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だいぶ前になるが、ハルヒ第二期が朝日新聞の広告として載ったらしい。
ハルヒとは何か?
中高生に人気の、シリーズ8作で累計450万部の売上げを記録した小説である。大人のオタク系にも人気がある。
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ストーリー
「東中学出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上。」
県立北高校入学早々、このぶっ飛んだ自己紹介をした涼宮ハルヒ。見た目は美少女なのだが、その性格は唯我独尊・傍若無人・猪突猛進であるため、クラスで孤立していった。そんなハルヒに好奇心で話しかけた「一般人」であるキョンという変わったあだ名のクラスメイトとだけは会話をしてしまうようになる。
ゴールデンウィークも過ぎたある日、校内に自分が楽しめるクラブがないことを嘆いていたハルヒは、キョンの発言により自分で新しい部活を作ることを思いつく。キョンを引き連れて文芸部部室を占領し、また唯一の文芸部員であった長門有希を巻き込み、メイド兼マスコットとして上級生の朝比奈みくるを「任意同行」と称し拉致。さらにハルヒ曰く「謎の転校生」の古泉一樹を加入させ、「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶこと」を目的とした新クラブ「SOS団」を発足させる。
ところが、ハルヒが適当に集めた長門有希・朝比奈みくる・古泉一樹の3人は、それぞれ本物の宇宙人・未来人・超能力者で、それぞれの属する組織から送り込まれてきたのであった。彼らの目的は、ハルヒが無自覚に持つ能力――世界を思い通りに改変し、望んだとおりの出来事を発生させる能力――の観察、監視。キョンはハルヒに選ばれた人物であり、ハルヒにとっての「鍵」であると言う。
漫画のような話をキョンはにわかに信じられなかったが、キョンやSOS団の周辺に異常な出来事が起こるようになり、キョンも数々の体験をしていく中で3人の話を信じざるを得なくなった。ハルヒだけが気付かないまま、キョン達SOS団メンバーは異常事態の処理やハルヒの退屈しのぎのために日々奔走する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%BC%E5%AE%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%92%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
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第二期では物語上のテーマである「私はここにいる」を軸に展開するらしい。
※感想:
第一期とされるものは全て見た。原作も途中まで読了。
物語の基本構造はこうだ。
ハルヒは日常が退屈→非日常へ憧れる→なかなか非日常の体験はできない→そのため自ら非日常を作り出すための奇行を繰り返す→キョンがいるから日常に帰ることもする。
いわゆる「パターン」と呼ばれるものと同一のストーリーですが、ハルヒほどベタにやった作品は他にないでしょう。
すぐに連想したのは酒鬼薔薇聖斗。途中まではハルヒと行動パターンが全く同じです。
酒鬼薔薇聖斗-作品集
http://www5.pf-x.net/~kusogaki/sakuhin.html#num1
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悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない
そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」
その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。
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もちろん、ハルヒは日常に戻るわけですから、酒鬼薔薇聖斗とは違います。それにテーマ性を読み取って楽しんでいる人は少ないようです。けれど、売れだけの需要はあったワケでしょう。こんな小説/アニメが 「中高生に人気」「450万部」というのは、世も末期かもしれません。
そう言うボクも、酒鬼薔薇聖斗-にある程度は、共感した人間ですが、ハルヒにもやはり共感しましたがね……。
なぜ中高生は「私はここにいる」と言わなければならないのか。考える必要があるんじゃないか。