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(回答先: 掘口裕子さん(仮名)児童養護施設での体験。「毎晩レイプですよ、職員はみんな見て見ぬフリでしたね」−週刊SPA 投稿者 kaname 日時 2008 年 2 月 17 日 23:51:41)
時々阿修羅で自分の経験を書いているので、gataroが通称「孤児院」、あるいは「子どもの家」とも呼ばれる児童養護施設に収容されていたことを知っておられる方もあるだろう。
確かに「施設」にはこんなひどいこともある。gataroにしても、戦後の食糧難時代に収容されていたので、施設の弱肉強食的生存競争を経験した。プロテスタント系の団体である「婦人矯風会」が運営していた施設なので、食事の前に「天に召します…」のお祈りをするのだが、その間にも食事の争奪が始まっている。とられたくなければ、勝つしかない。負ければ栄養失調で死ぬだけだ。
gataroは孤児ではなく、父母に養育能力がなくて特別の配慮で収容されていた。母親が時に着替えなどを持って面会に来てくれたが、こんなものをまともに着せてもらったことはない。身の回りの世話をしてくれる寮母さんたちも戦後の生活難で苦労しているため、こっそり自宅に持って帰って自分の子どもに着せてしまう。世話する者も、される者も、弱肉強食の世界に順応するしかなかったのだ。
こんな辛い世界でも、他に行くところのなかったgataroには、本当にありがたい場所だった。gataroを、育ててくれない両親、見捨ててしまった親戚縁者に代わって、雨露をしのぐ屋根と命をつなぐ粗末ながらも食事を提供してくれたのだから。
正式名称「同情会・子どもの家」という施設に収容されていた時のgataroは、小学校の同級生に「シラミ」のあだ名で呼ばれていた。頭のてっぺんから足の先まで虱だらけだったからである。
それでも大阪駅でホームレスをしていて、一家心中しようとする父親にいつ殺されるか分からないよりは、施設の悲惨さの方がはるかにマシだった。いまもそのことでは「同情会」に感謝の気持ちで一杯だ。
成長して40歳代になったある日、gataroは久しぶりに尼崎にあるこの施設を訪れた。当時世話してくれた方はもう一人しかいなかった。訪ねて来たことをとても喜んでくださった。もうそれでgataroには十分だった。
こうした施設はとんでもない劣悪な条件の中で存在しているものなのだ。誰だって、他にもっと資質のすぐれた職員が働いていてくれる方がよい、と思っている。だがそんな恵まれた状況はとても望めない。そこで暮らしたことのあるgataroでさえも、そこを職場にしようとはとても思わない。当然、前向きな気持ちの職員ばかりで施設を構成し運営するわけにはいかないだろう。
この週刊SPAの記事を読んで感じたことを最後に書いておく。
「児童養護施設が、子供にとっての『地獄』になっていることを知ろう」の表現に端的に表れているように思うが、問題を明らかにして解決すると言うよりはむしろ、煽って売らんかなの姿勢が濃厚に感じられる。
掘口裕子さんも、もっと筋のよい記者に取り上げてもらうべきだった。どこまでも運の悪い人だと思う。
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【関連投稿】
Re: 皆さんはホームレスをしたことがないのですか?幸せな人生を送っていらっしゃるんだなぁ!
http://www.asyura2.com/08/idletalk29/msg/627.html
投稿者 gataro 日時 2008 年 2 月 04 日 09:31:35: KbIx4LOvH6Ccw
Re: 小生の一家は崩壊する直前(小生6〜7歳の冬)、大阪駅でホームレスをやっていた。だが誰も駅からは追い出さなかった。
http://www.asyura2.com/07/hasan49/msg/196.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 2 月 05 日 22:16:55: KbIx4LOvH6Ccw