★阿修羅♪ > 社会問題5 > 414.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080218AS1K1800318022008.html
社説2 お節介すぎる学習指導要領(2/19)
学校で何をどのくらい、どう教えるのか。そのよりどころになるのが、文部科学省のつくる学習指導要領だ。戦後しばらくは、教員が授業の目安にする程度の存在だった。
ところが、昭和30年代の改訂から記述がどんどん細かくなり、学校現場への拘束力も強まった。均質ではあるが冒険はあまり許されない。そんな戦後公教育の根本に、この準法規的な性格を持つ文書がある。
文科省が小中学校の新しい指導要領案を公表した。3月末にも告示され、小学校は2011年度から、中学校は翌年度から全面実施となる。
授業時間数を1割ほど増やし「総合的な学習」は減らす。小学校高学年に「外国語活動」を新設する。こうした施策が話題になっているが、指導要領の些末(さまつ)な記述や画一性は相変わらずだ。
新指導要領のごく一部を挙げてみよう。小学校5年生の理科で「花にはおしべやめしべなどがあり、花粉がめしべの先に付くとめしべのもとが実になり、実の中に種子ができること」を教えるよう定めている。
これだけでも細かいが、注記がある。「おしべ、めしべ、がく及び花びらを扱うこと。受粉については、虫や風が関係していることにも触れること」。万事、こんな調子だ。
もっとも、現行指導要領はもっと縛りがきつい。「おしべ、めしべ、がく及び花びらを扱うことにとどめること」などとクギを刺している。いわゆる歯止め規定である。
今回の改訂では随所にあったこの種の規定を外し、指導要領は最低基準であることを明確にした。しかし記述そのものはなお拘束性が強く、指導項目はむしろ増えている。
国が授業のあり方を事細かに定める手法が均質な学力を保証してきた面はあろう。しかし一方で、その画一性が現場を萎縮させ、創意工夫の余地を奪ってきた。現場も指導要領を金科玉条のようにとらえがちだ。
経済協力開発機構(OECD)は昨年発表した学力調査結果のなかで、学校の裁量の大きい国ほど好成績を収めていると指摘した。日本でも地方分権の流れを受け、地域や学校での独自の試みが盛んになっている。指導要領も、あまりにお節介な性格を改める必要があるはずだ。