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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu157.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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農地を潰して杉の林に変えて地方の過疎化に拍車をかけた林野庁
杉を植えても60年間無収入で荒れ放題、日本中を花粉症にした林野庁
2007年12月3日 月曜日
12月2日サンデープロジェクトより
杉の人工林は西日本に集中している。
◆限界集落 12月3日 大石英司の代替空港
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2007/12/post_d36e.html
昨日のサンプロで、相川さんが面白いレポートをしていました。舞台は高知県の東端と西端。まず東端の大豊町という限界集落を多く抱える所がレポートされるんですが、限界集落が生まれた背景として、国の政策誘導が浮かび上がる。1950年代に、木材需要が高まり、補助金を出すからと、農地から杉への転作奨励があった。国は各自治体で数字を競わせて杉を植えさせた。40年収入が得られないと解りきっているのに。結果として、若者は山を捨てて集落を出て行き、山には一本も売れない杉山が残り、土地が痩せて山崩れが頻発するようになった。
「緑の砂漠化」と呼ぶ専門家がいますが、杉が密集すると、表面に光りが届かなくなり、地表面の緑が失われるわけですね。一見歩きやすくて整備されているように見えるけれども、保水力を失った斜面になるわけです。それが雨が降ったわけでもないのに、乾燥が進むことで山崩れを起こす。
大豊町では、バス路線が廃止され、お年寄りが停留場から一時間山道を上って自宅まで帰る。水道は無いから、何軒かで山の涌水を利用しているんだけど、もうそれを管理できる人間も居なくなりつつある。
一方対照的なのが、同じ高知の西端の旧十和村という所で、こちらは限界集落ゼロで、今全国から注目されているらしい。ここは交通の便では、大豊町より遙かに不便なのに、なぜ限界集落がゼロかというと、その50年代当時、国の政策誘導を蹴って、40年換金できないものを植えても仕方ないだろう、と賢明な判断を下した地元の指導者がいて、「山の複合型経営」という概念で、むしろ広葉樹を植えて、椎茸やお茶、栗の産地としてこの半世紀やって来た。それが地元の特産品となり、Uターンしてくる若者もいるから限界集落ゼロ。
高知県大豊町では、広葉樹対針葉樹の比率が3対7
旧十和村では 6対4
ちなみに日本全国では、1千万ヘクタールの人工林のうち8割が放置状態。なぜこうも杉への過度な転作が続いたかと言うと、1980年に木材価格はピークを迎えて、以降、ずっと下がり続けるわけですね。所が、林野庁がその転作奨励政策を止めたのが1987年。金にならないと解りきっていて、その後7年も続いた。
番組が林野庁の官僚にインタビューしているんだけど、その人は胸を張って「中国で木材需要が高まっていることを思えば、今日的な観点からは評価されるべきではないか」と嘯く。あんたそこまで言うなら、それ日本の木材を中国に良い値段で売っているんだろうな?
番組が描くほど、問題が単純だとは思えない。そういう上手く行っている山沿いの町が、四半世紀後も限界集落ゼロだとはとても思えないですから。ただ、限界集落化をその地域社会の努力によって遅らせることは出来る。そういう所を最小のコストで支援することは出来るだろうな、と思いました。問題は、限界集落を越えて、消滅集落へと突き進む所をどうするか? ですよね。
一面の田畑が杉林になってしまった所
植林は収入が無いから過疎化が余計に進む
(私のコメント)
昨日のサンプロでは限界集落についてやっていましたが、地方の過疎化の原因としては田畑を植林してしまった事が大きな原因になっているようだ。山間僻地では過疎化の流れは止められませんが、限界集落ともなると集落が消滅してしまう。田畑であれば多少の収入があるから、特産品でも出来れば大きな収入をもたらす。
しかし杉林にしてしまっては60年間は収入が無く、木材相場の下落で山林は放置されて荒れ放題になってしまった。間伐もされないから地面は乾ききりカラカラになって山崩れが起きるようになってしまった。おまけに毎年杉花粉症が発生するようになり公害を撒き散らしている。
林野庁行政の誤りがこのような結果をもたらしたのですが林野庁は多くの団体に天下りを送り込んでいる。林野庁は専ら林道整備に金を使って第二の道路公団化している。しかし林業が崩壊した現在では林道を作っても何の意味も無いのだ。実際は林道と言いながら観光道路を作っている。
日本の産業構造の変化によって地方の過疎化は避けられないのですが、農業自身も近代化させれば山間僻地でも農業は成り立つはずだ。サンプロでも旧十和村ではシイタケ栽培やお茶やクリの栽培で活気のある山間僻地もあるのだ。日本の農林行政はあって無きがごとくであり、誤った補助金行政は取り返しのつかない災いをもたらしている。
11月20日にアメリカの農業事情を書きましたが、石油の値上がりが農産物にまで影響を与えてきている。アメリカのトウモロコシや大豆など日本に入ってこなくなる時代がやってくる。入ってきたとしても遺伝子組み換え作物であり危険な作物だ。このような農作物相場が世界的に急騰すれば、今放置されている田畑でも農作物を作れば儲かる時代がやってくるだろう。しかし山林にしてしまったら農地に戻すのは不可能だ。
昨日の財務省の役人をぼろ糞にこき下ろしましたが、中央官庁のエリート官僚はどうして長期的な戦略が立てられないのだろうか? 世界的の乾燥化が進んでおりオーストラリアでは旱魃が慢性化して農作物が出来なくなっている。アメリカも地下水が枯れてきて砂漠化が進んで農作物が出来なくなるだろう。
食糧安全保障の意味でも補助金を出して日本の田畑を守るべきなのだ。おそらく近いうちにアメリカから農産物を輸入できない時がやってくるだろう。そうなれば嫌でも国内で食用作物を作らなければならない時がやってくる。しかし日本人は弊害が表面化しないと対策を打とうとはしない。