★阿修羅♪ > 社会問題5 > 246.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071026dde012040075000c.html
<おちおち死んではいられない>
◇生きる土台、しっかりと−−記録映画作家・81歳・羽田澄子さん
◇最期の時、自宅で1割 今こそ福祉の充実 発想の根源に
仏壇のある家が今どのくらいあるのか知らないが、その日の館内は線香のにおいがした。
「終りよければすべてよし」。終末期医療をテーマにした記録映画である。暑い夏の午後、岩波ホール(東京・神田神保町)に入ると、周囲はみんな高齢の女性だった。満員になり、通路に並べたパイプ椅子も埋まったが、そのほとんどがお年寄りで、扇子をパタパタしたり、スクリーンに身を乗り出し、相づちを打っては隣の人としゃべったり。映画というより寄席に来たような感じだ。
映画はいたってまじめで深刻な内容だった。患者の自宅に往診する医者に羽田澄子さんらスタッフが同行し、最期の時を自宅で迎える患者と家族にカメラを向ける。
訪れた医師に「どうぞよろしく」と握手する高齢の女性。血圧を測ったナースが「OKよ」と声をかけるとにこりと笑う。穏やかな顔でカメラを見つめるその女性が亡くなったのは、撮影の4日後だった。
末期がんの男性(60)は治療の望みがなくなって病院から自宅に戻ってきた。「あと10年は生きたいと訴えています。せめてあと3年、あと1年でもいい……」と妻は涙ぐむ。羽田さんが「退院なさってよかったですね」と男性に声をかけると、「はい、ありがとうございます」と答える。その男性は撮影の9日後に亡くなった。
そこには悲嘆も絶望もなければ、死への恐れや厳かさもなく、ただ日常の時間が淡々と流れていくだけである。
「死の瞬間を撮影しようと思えばできたんですけれど、ドラマチックなものを追ったわけじゃないから。そのことのために、撮られる相手に嫌な思いをさせたくはありませんでした」
■
「痴呆性老人の世界」(86年)、「安心して老いるために」(90年)など、まだ新聞もテレビもまともに取り上げる以前から痴呆や老いを実写してきた。ネット時代、メディアが進化していく中で、記録映画が残してきた仕事はもっと注目されてもいいだろう。
「終りよければ……」のパンフレットに羽田さんはこう書いている。
<医療の中には人間の死についての思想が欠如しているのではないかと思った。死はだれにでも確実に訪れる。しかし、医療は死を敗北としかとらえてないのではないか>
人間の死についての思想の欠如−−という医療への根源的な懐疑。ひとりの記録映画作家の心の底に、焼きごてを押されたような原体験がモチーフとなっている。
35年前のことである。がんに侵された妹を、激しい痛みが襲う。あと3カ月しかもたないと言いながら、医者は「体に悪いから」と痛み止めをなかなか処方してくれない。いよいよ最期と思われたとき、家族は病室から出された。ベッドに飛び乗った医者がやせ細った妹の胸を何度も強く押しつけて心臓マッサージをする姿がちらりと見えた。しばらくして病室に入れられると、妹はすでに息をしていなかった。
「病院に入ることができれば、それで安心だとみんな思ってきたのですよね。戦後の高度成長の時に、スウェーデンは福祉の充実を求めたけれど、日本は経済的な成功に奔走してきた。人間の生活なんてどこかへ行ってしまった」
■
どこで最期の時を迎えるのかを示すグラフがある。1951年当時は自宅で死ぬ人が8割、病院で死ぬ人は1割だったのが、03年には自宅が1割で、病院が8割を超えた。ほとんどの人が自らの人生とは縁も意味もない、病室という空間で最期を迎えているのだ。
それでいいのか、いいわけがない……と思いつつ、また違うことが思い浮かんだりもする。スクリーンに登場する人々のなんと幸せそうなことか。しかし、住み慣れた家で死にたくてもできない人がどれだけいることだろう。
「そうなんです。息子が老いた父親を殺してしまったり、ひどい虐待が目に付きますよね。在宅ならばいいというわけでは決してない。生きる土台がしっかりしていないと悲惨なことになるんです」
小さな子を虐待する親が急増していることが社会問題になって久しいが、今では老いた親を虐待する子がそれを追い越しそうな勢いだという。それが、この国の現実なのだ。映画に登場する家族もそれを見に来る客も、恵まれた一部の人々なのかもしれない。
さらに不安なことがある。家庭での介護が難しく、特別養護老人ホームの空きもないために、療養病床には40万人近いお年寄りがいる。このうち、介護療養型医療施設(13万人)は5年以内に全廃され、医療保険の療養病床は25万人から15万人へと減らされる。いずれも小泉内閣時代にほとんど論議もされないまま決められた。
おちおち……終われませんね。
「本当にどうしようかしら。経済財政諮問会議ってありますよね。どうも福祉にお金を使いたくないらしい。それで本当にいいのかしら。人間の生活をどうすれば支えられるかということが発想の根源にないといけないと思うのです」
■
妹は戦後2年間フランスに留学し、ノーベル賞作家アナトール・フランスの研究をした。羽田さんが岐阜県根尾村(現本巣市)にある天然記念物の巨木「薄墨の桜」の記録映画を撮ろうと思ったとき、妹に詩を書いてもらった。
撮影に入る前に2人で桜を見に行った。最初で最後の2人だけの旅だった。妹ががんで倒れたのはその直後。千数百年を生き続ける「薄墨の桜」に比べ、42歳というあまりにも短い生涯だった。
認知症になると新しい記憶から落ちていくという。たった今のことは忘れてしまうのに、遠い昔のことは覚えている。
羽田さんが一生忘れられないと思ったのは、小学生のころ過ごした旅順の風景である。
<波打つような緑の中に、石造りや赤煉瓦(れんが)や、白やクリーム色の壁のロシア風の建物が点在している「こんな美しい街にすんでいるのだ」。私は息をのむ思いでつくづく眺めた>
かつて朝日新聞の連載でそう書いた。
その旅順を98年に訪れた。妹と遊んだ家がまだ残っていた。古ぼけた家だった。【野沢和弘】
==============
◇「夕刊とっておき」へご意見、ご感想を
t.yukan@mbx.mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
==============
■人物略歴
◇はねだ・すみこ
1926年、旧満州(現中国東北部)大連生まれ。50年、岩波映画製作所入社。記録映画の演出、脚本に携わる。81年退社し、フリーに。福祉や医療をテーマにした作品のほかに、「歌舞伎役者片岡仁左衛門」(93年)、「平塚らいてうの生涯」(02年)など。コンビを組んだプロデューサーの工藤充氏と結婚、2人暮らし。
毎日新聞 2007年10月26日 東京夕刊