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武田邦彦
http://takedanet.com/2007/04/post_82ef.html
(転写貼り付け)
ゆっくり考える・・・ペットボトルのリサイクル(1)
リサイクルの夜明けと実態
(このシリーズは「やしきたかじん」の番組にでて環境の話をしたところ、反響があり、多くの問い合わせがあるので、それに答える目的で執筆された。多くの人がいろいろな疑問を持っておられるので、ゆっくり落ち着いて説明をしていきたい。)
バブルの頃だっただろうか。質実剛健、節約を旨として生きてきた日本人もすこし浮かれたのかも知れない。グルメとか土地、それに日常生活ではあまりに次々と買い物をして、次々と捨てるようになった。
そして、いつのまにか廃棄物貯蔵所が満杯になってきたのに気がついて慌てて始めたものだった。今から15年ほど前だろうか。廃棄物貯蔵所はあと8年で満杯になると言われて慌てたものである。
特にペットボトルは廃棄物貯蔵所を満杯にする「悪いやつ」ということになり、ペットボトル追放運動が起こった。その頃、ちょうど500ミリリットルのペットボトルが使われようとしていたが、「小型ペットボトル反対運動」が起こった。
当時、危機感を持ったのはペットボトルのメーカーだった。せっかく、ペットボトルが定着し、さらに500ミリリットル・ボトルにでようとしたらゴミ騒ぎである。これを何とか回避して「大量生産、ポイ捨て」を促進できないかと考えたのである。
その切り札が「リサイクル」だった。「リサイクルすればまた使えます」と言えば、日本社会はペットボトルを認めてくれるという作戦であり、それは成功した。
「リサイクルは大量消費につながる」と反対していた自治体や環境団体も押し切られ、「ドイツもやっている」という錯覚もあり、リサイクル大合唱となったのである。ドイツのリサイクルについては後の方に説明するつもりである。
この時、リサイクルに荷担したのが「シンクタンク」と呼ばれる調査会社と大新聞だった。太平洋戦争前にも新渡戸稲造の平和論を徹底的にたたいたのが新聞だったように、新聞は時の利権のためには「故意の誤報」は平気である。
私はその当時、ペットボトルのリサイクルが環境にどういう影響を与えるのかを研究していた。その時、目にしたシンクタンクの計算結果を今でも忘れることができない。その報告書ではものすごく複雑な計算が示されていて「ペットボトルのリサイクルは資源を節約できる」という結論になっていた。
私がその報告を読んでいくと、驚くことに「使い終わったペットボトルを回収するためには資源は全く使用しない」という事になっていたのだ。具体的には「スーパーにペットボトルを運搬してきたトラックが使い終わったペットボトルを持って帰るのでなにも資源はいらない」という前提だった。
シンクタンクは政府やペットボトルメーカーが作る協会からお金をもらって調査し、計算を行う。我田引水になることは間違いない。よほどの士(さむらい)がいなければ依頼主に迎合する。各家庭や事務所に持ち込まれるペットボトルが「帰りのトラック」でペットボトル製造工場に持ち込まれるので、回収にはなにも資源やガソリンは使わない、というのはかなり乱暴な仮定だった。
でもあまりに複雑な計算の中にそのようなトリックが隠されているか普通には発見できないだろう。それを大新聞が擁護したのである。
もともと「お茶が150円」は信じられないほど高いが、どうしてこんな値段が付くのだろうか?「ガソリンより水が高い」とはよく言ったもので、ガソリンは1リットル120円程度。水はその半分の量で150円で売っている。水がガソリンの倍もするのだから大変なことだ。
日本の文化ではお茶はタダのものだった。厳密に言うと家庭用のお茶というのはだいたい100グラム300円ぐらいのもので、それを1ヶ月3回ぐらい買う。それで毎日、あまり節約せずにお茶を飲める。おおよそ1日30円というところだ。
500ミリリットルというと湯飲み茶碗で3杯分ぐらいだから、家族で5回飲んで30円。つまり500ミリリットルのお茶はせいぜい5円から6円である。それに容器のペットボトルは10円である。
お茶が5円でボトルが10円なら、合計の原価は15円。それを10倍で売っている。そしてそれが暴利ではないのが現代社会の怖いところだ。
飲料メーカー、卸、そしてコンビニなどの小売り業の利益率はせいぜい10%。工業製品より少しは利益率が高い場合もあるが、返品や賞味期限切れなどを考慮すると「普通の商売」である。
150円がまともとすると15円の差額の135円はペットボトルを運搬する人の賃金だけに使われるのではない。だいたい、大量に作られる比較的簡単な製品にかける人件費というのは商品の価格の10%ぐらいだが、ペットボトルの場合は小売りも入るので25%見ても良いだろう(リサイクルの人件費がおおよそ25%というのは資料があるので後の整理する)。
つまり150円からお茶とボトルの15円と儲けの15円を引いて120円。その25%が人件費として、75%はエネルギーや資源として使われたものだ。その額は90円である。つまり、150円のうちの90円は「お茶がいつでも飲めるために使われる資源やエネルギー」である。
私たちは便利な生活をするために仕事をし、科学を発展させているのだから、ペットボトルそのものが「悪」であるとは言いにくい。ともかく便利な生活をしようとするとエネルギーや資源を使う。それは仕方がないというものである。
少し具体的な話を進めよう。
ペットボトルは石油で作られる。大きさや目的にもよるがおおよそ1本で20グラムから40グラムである。石油の価格は最近、急上昇したが、だいたいバレル(150キログラムほど)で30ドル(3000円)ぐらいだったから、キログラム20円というところだ。
ペットボトル1本に30グラムを使うとすると1キログラムの30分の1。だから元々はペットボトルに使う石油は1円未満である。
ペットボトルに使う石油の値段はもともとは1円?! それなのにペットボトルは10円? さらにそれにお茶を入れると150円? おかしな事ばかりだが、リサイクルに意味があるかを自分で判断するためのポイントはここにある。
なぜ原油が1円、ボトルが10円、そして商品が150円なのだろうか?それは1本のボトルを製造して飲料メーカーに配達するのに石油を10本分使うからである。そして消費者が「いつでも手元にお茶が欲しい」という希望を持っているので、それをかなえると石油をペットボトルの重さの石油に換算すると150本分使ってしまう。人件費を差し引いても120本分を使っている計算になる。
計算間違い?!おかしい!?
おかしいと言ってもしかたがない。現在の日本人の生活はそうなっている。だいたい、お茶を飲むのに遙か遠いところでお茶を入れて(飲料メーカーの工場)、それをトラックで運搬し(コンビニエンスストアーに)、どこでも飲むことができるということ自体、「貴族の生活」なのである。
家でお茶を沸かし水筒を持ってでるのが庶民。私はペットボトルにお茶を詰めて外出する。10回は使える。私は、ペットボトル・メーカーや飲料メーカーの敵だ。
もともとお茶を飲むのに150円も払えるということ自体が貴族だ。自分のお金だから何に使っても文句はないが、ペットボトルのお茶を買うこと自体、環境とは相容れないのは当然である。だから買ったペットボトルを一回で捨て、それをリサイクルにまわすなど滑稽なことなのだ。
ところで話を元に戻そう。
原油はそのままボトルにはならない。まず石油精製工場で精製する。製品をとれる比率もあるし、エネルギーや装置も使う。
次に精製した石油からボトルを作るのに適した成分を取り出し、テレフタル酸とエチレングリコールにしてさらにそれを精製する。純度も99%以上にしなければならない。このような化学物質は平均的にキログラム100円とか200円する。だからすでにこの時点でボトル1本に対して5本から10本分使っている。
さらにテレフタル酸とエチレングリコールを高温で反応させてポリエステルにし、それをさらにブロー成形でボトルにする。だから原油が1円でもボトルは10円するのは仕方がない。
つまり原油なら1円でもボトルが10円ということは残りの9円はどうしたのだろうか?それはボトルの後ろに「背後霊」としてボトルの品質を保っている。目には見えないけれどすでに使ってしまったものなのである。
この背後霊はリサイクルできない。
次に「どこでもいつでもお茶」というわがままを言うとボトル1本の重さの150倍の原油を使う。その理由も常識的でわかりやすいので、次に羅列した。
成形屋さんでボトルを作るとトラックに載せて飲料メーカーに運ぶ。飲料メーカーではボトルにお茶を詰めてふたをして品質のチェックをしたり、衛生的な面を見たりして出荷準備に入る。
食品は難しいものである。工場は清潔でなければならないし、すこしでもお茶に異物が入っていたら全部、捨てる必要がある。ボトルも汚いボトルは許されない。あれこれあって資源もエネルギーも使う。
工場から出荷されるとトラックに積まれて全国に配送される。引っ越しや宅急便でわかるように運ぶというのは結構、お金がかかるものである。トラックは使う、タイヤは減る、そしてガソリンや軽油は使う。
高速道路もいるし信号もいる。ガードレールから何から何まで作らなければならない。かくして飲料を全国に配送し、小分けしている間に資源やエネルギーがかかる。それで150本の半分ぐらいは使ってしまう。
そして最後は小売りだ。コンビニがたとえば75円で仕入れたペットボトル飲料を150円で売ったからといってボロ儲けしていると非難してはいけない。コンビニは土地代も払い、家賃を払い、エアコンや照明の電気代を払い、ほとんどお客のこない夜でも店内は明るく快適にしておかなければならない。
照明、冷暖房などに使う電気は主に石油から作られている。
時には売れ残って期限切れになることがある。もし期限切れの飲料を売ると大変なことになる。環境どころの騒ぎではない。現在の日本のように大量に生産し、大量に消費する時代には無駄も発生する。いつどこでも好きなものを食べ、飲めるようにするのは2割ぐらいは捨てなければならない。
ペットボトルのリサイクルが成立しない原理はここにある。簡単だ。
1本のペットボトルを作るのに150本分の原油を消費する。149本はペットボトルの背後霊で、すでに使ってしまっている。
仮に、神様が使い終わったペットボトルを集めてくれるとしよう。ちょうど、リサイクルをするかという議論が合った時のシンクタンクの計算と同じ仮定だ。
「焼却してもリサイクル」と言う方法がある。日本語で「焼却リサイクル」というと露骨だから英語で「サーマル・リサイクル」という。
焼却リサイクルは焼却する時に熱か電気を回収する。だから資源の節約になるとされているが、1本のペットボトルには背後霊が149本がついていて背後霊はカロリーを持っていない。
つまり、
1) 使用したすべてのペットボトルが回収され、
2) 回収に物質もエネルギーもいらない、
としても「熱の回収率」は最大で150分の1、つまり0.67%にしかならないのである。
熱の回収率がかなり高ければ、リサイクルする時にかかる物質やエネルギーなど気にしなくても良いが、回収率が0.67%となると、「リサイクルに少しでも物質やエネルギーを使うとリサイクルの意味を失う」ということになる。
次にそれを検証してみよう。
リサイクルに何が使われるかを考える時には映画のフィルムを逆向きに回すようすれば見えてくる。
家庭や職場でペットボトルのお茶を飲む。そして空になったボトルをしばらく「資源ゴミ回収袋」に入れておく。回収日にそれを近くの収集場所に持って行っておく。
自治体のトラックがきてリサイクル・ペットボトルを回収し、それを「ベール」というまとまった箱状のものにするための小さな作業場に運ぶ。
そこでペットボトル以外ものを除き、時にはふたやラベルをある程度、はがし、そしてベールにする。ベールにしたペットボトルは少し重たくなるが、それでも鉄や銅などとは違いずいぶん軽い。
それをトラックで「ペットボトルリサイクル工場」まで運搬する。もともと石油化学というのはあまり高価なものを作るわけではないので、一つの工場があまり小さいと勝負にならない。だいたい年産で10万トンクラスである。工場が小さいとそれだけ物質やエネルギーを無駄に使う。
石油から石油製品を作る時、工場の規模をできるだけ大きくして製品を作ると石油の消費量を減らす。これがスケールメリットで、資源を節約するには大切なことだ。
ペットボトルのリサイクルが開始された頃のペットボトルの消費量は年間20万トン。現在はそれが増えて50万トンになったが、回収されるペットボトルは20から30万トンだ。石油化学工業から言えば全国で3つ程度のリサイクル工場でやっとということになる。
しかし、リサイクル工場が全国で、3つという訳にはいかないので、北海道に一つ、東北に一つ、関東に3つ、北陸に1つ、東海に2つ、近畿に3つ、中国に1つ、四国に1つ、そして九州に一つに沖縄とすると14ヶになり、平均の向上規模は2万トン程度になる。
スケールメリットには普通、0.6乗則というのがあって、規模が10倍になって10倍製造しても資源やエネルギーは4倍にしかならないという法則である。
通常の石油化学が年産20万トンで、リサイクル工場が2万トンの場合、規模が10倍違うからそこで使う資源やエネルギーは大規模工場の2.5倍になる。
工業とはやっかいなものだ。
それに回収してきたペットボトルを洗浄し、ポリエステル以外のものを取り外し、切断し、異物を除く。
リサイクル・ペットボトルを燃やすならそんなことはしなくても良いが、再利用するのが目的だから、リサイクル工場ではだいたいこのようなことをする。
家庭や職場からここまでのリサイクルでは、新品のペットボトルに飲料を詰めて運搬するのは大量生産方式だから資源の使い方も節約されているが、リサイクルはより手が込んでいる。
そうすると1円の価値しかないリサイクル・ペットボトルを回収して再利用するのに人件費を除いて90円以上は使うという事になる。お金で表現しても、石油で表現しても同じだから、1本のペットボトルをリサイクルするのに原理的には90本以上のペットボトルに相当する石油を使うことになる。
私がまだ日本でリサイクルをしていない時に計算したら理想的な状態で約30円だったが、最近、実績を調べると80円ぐらい使っているようだ。ペットボトル1本を回収するのに80本分の石油を使うというのだから、実にばからしい。
ということで「リサイクルしてはいけない」という本を出したが、賛否両論だった。まだ現実にリサイクルがされていなかったから単なる計算と考えられたのだ。
最近ではあまり反論されなくなったが、当時は「お金がかかっても環境に良ければ良いじゃないか!」と叱られたものである。でも、人件費は議論になるが、その他のお金は結局、資源かエネルギーに使われる。だから、資源やエネルギーを節約するのが目的ならお金と石油は比例するとしてもよい。
そして、それから7年。すでに実績は出ている。つまり、
「ペットボトルのリサイクルをしている人は、していない人に比べて環境を汚している」 である。リサイクルする人は少しは遠慮がちにやって欲しい。
ペットボトルをリサイクルしている人がリサイクルしていない人を非難することはできないが、リサイクルしていない人はリサイクルしている人を非難して良い。だいたい、他人に分別をしいて不便をさせ、環境を汚しているのだから。
フランシス・ベーコン、チャールズ・ダーウィンの言葉を思い出す。
「人は真実を信じるのではなく、そうなって欲しいことを信じる」
「真実を見るには勇気がいる」
お茶碗は食事の後にリサイクルしない。それなのになぜペットボトルは使い捨て(リサイクル)するのだろうか。その矛盾は日本人のほとんどが心の底で気がついている。でも先入観もある、人目もある、メンツもある、そして職業もある・・・みんな環境には無関係だが人間にとっては大切なことだ。
そこでリサイクルは環境を汚しながら進行している。
(転写貼り付け終わり)