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戦争犯罪人には甘く、一般凶悪犯には極刑をと叫ぶ大衆の情動をドイツのダルフ・ジョルダーノが指摘している。【ナチ犯を告訴するのはやめろ、ドイツの裁判所でナチスの審理をするのはやめろ―─一体だれが金を出しているんだ。・・・免罪を求める声はナチ犯だけを対象としている。「集団的情動のその6」の信奉者たちは・・・】、一般凶悪犯には死刑の導入さえ要求するのだそうだ。【】部は『第二の罪』(白水社)の引用。
もちろん「ナチ犯にも死刑を?」と問えば、彼ら彼女らがキョトンとするのは明らかだ。
テロ国家アメリカのアフガン侵略・イラク侵略に全面的に協力してきた日本国民はアフガン国民・イラク国民100万人以上の虐殺の共犯者である。私のように反対してきた人間にもその罪はある。まあそれでも罪の重さを勘案してブッシュを死刑に!、小泉を死刑に!と私も叫ぶことができる。少なくと日頃そう叫んでいる人間のみが、一般凶悪犯に対して死刑を!と叫ぶことの方が道理に叶っているのは自明だろう。
ところが世間というかテレビを代表するメディアは全く違う。極悪人ブッシュや小泉のウソ八百を垂れ流すのみで、そう極悪人に荷担しながらも、一般凶悪犯裁判では加害者を標的にリンチ報道を繰り返すのだ。不幸にも遅れた日本低国には死刑制度があるから、ドイツと違っておおっぴらに暴徒に犯人を殺せ殺せと煽れるのだ。
お笑いなのはそれに呼応して馬鹿弁護士=橋下徹も登場して、暴徒の情動を刺激し、日本裁判制度をぶち壊しにかかるのだ。
被害者が検察側の筋書きによって発言しているのだから、「被害者側に偏り過ぎているのではないか?」とのメディアへの批判は、「検察側に偏り過ぎていないか?」となぜ自省しないのか?富山氷見冤罪事件・志布志冤罪事件でもしメディアが検察側に偏っていたならと想像さえもしないのか?前者の事件で検察は被告のアリバイの証拠をつかみながそれを証拠として開示しなかったのだ。明白なでっち上げ事件なのだ。要するに、自白強要装置としての代用監獄が問題視されて当然なのに、だからこそ裁判で被告が主張を変えるのはしごく当然なのに、「主張を変えた」となぜ騒ぐ?
さてこのバカげたリンチ報道を綿井健陽が的確に報道している。雑誌『創』に書いてもいるし、以下のブログもある。
▼【また広島にて その3】
http://blog.so-net.ne.jp/watai/