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http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/news/20070829ddm002070088000c.html から転載。
発信箱:また会おうね=元村有希子
その少女は何かいたずらをしたのだろう、母親にしかられながら電車に乗ってきた。
東京はお盆の時期で、電車はすいていた。5歳くらいの少女は座ってもなお母親にしかられていたが、隣り合わせた私をしばらく見つめ「ネックレスきれいね」と言った。
私は「ありがとう」と答えた。少しどぎまぎした。電車を降りる時、少女は言った。「ばいばい、また会おうね」
冷静に考えれば1200万人の大都会で再会できる確率はゼロに近い。それでも彼女は私に「また会おうね」と言うのだった。深い意味があるわけではない、彼女はどこで会った人にもこういう言葉をかけるのだろう。
「いってきます」と出かけたまま、大切な人が戻ってこないことはありうる。ありうるが、考えたくないから考えないだけだ。閉め切った炎暑の車内に置き去りにされ、熱射病で死んだ男の子の家族を思う。
両親は死から1カ月の節目に「(今も息子が現れて)冷蔵庫から飲み物を出すような気がする」と語った。犯罪サイトで知り合った見ず知らずの男たちに捕まり、7万円を奪われて殺された女性の家族や恋人はどんな気持ちでいるだろうか。
ばいばい、また会おうね。
せめて、また会えると思いながらひとと別れたいと思う。別れのつらさの中に希望の光を見つけたい。
熊本市の病院が設置した「こうのとりのゆりかご」に預けられた子どもは6人。そのうち1人は、約10日後に両親が引き取りに来たという。(科学環境部)
毎日新聞 2007年8月29日 東京朝刊
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人生も同じだな。道をたどっていくと分岐点で左右に分かれる。またどこかで合流すると思いながら左に行くが、永遠に右への道に出会わない。イギリスの詩人がこんな詩を詠んでいたように思う。
「せめて、また会えると思いながらひとと別れたいと思う」。胸に切々と迫ってくる言葉だ。
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