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「三光作戦」記憶紡ぐ 旧日本軍の中国・共産ゲリラ掃討【中日新聞】
2007年7月2日 夕刊
◆名古屋で来月写真展『新たな交流始めたい』
長野県松本市の通信制高校職員大野のり子さん(59)が、中国山西省の農村部で旧日本軍による「三光作戦」の被害者らを撮影して証言を聞き取り、東京都港区の汐留メディアタワーで三日から「『中国黄土高原 紅棗(なつめ)がみのる村から』写真展」を開く。現地の古老たちにとって戦後初めて出会った日本人といい、大野さんは「(現地では)旧日本軍の悪さだけが伝えられていてつらかった。新しい記憶の糸を紡ぐきっかけになれば」と話す。
大野さんは独学で中国語を学び、約四年前に開設された通信制の「信濃むつみ高校」の中国現地スタッフとして、日本からの留学生や修学旅行などの世話をしてきた。
二〇〇三年十月、一人旅の途中、黄土高原のナツメの産地として知られる山西省臨県磧口の農村に立ち寄った。子どもたちの写真を撮っていると、老婦人に「どこから来たの?」と問われ、「日本から」と答えた途端、憤怒の表情で激しくののしられたという。
その時初めて、そこが旧日本軍の三光作戦が行われた現場の一つで、自分が戦後初めて足を踏み入れた日本人だと知った。「戦争中の日本人の過去だけが子々孫々にわたり語り継がれている」と大きな衝撃を受けた。
「新しく交流を始められないか」。そんな思いに駆られて〇四年八月、磧口を再訪。八十四歳の老人に三光作戦にまつわる記憶の聞き取りを試みた。老人は母親を焼き殺された過去を証言。同時に約六十年ぶりの日本人の来訪を「感動しました。遠いところをよく来てくれた。日本のみんなに聞いたことを伝えてほしい」と語ったという。
「日本人を恨み、日本政府に補償や謝罪を求める言葉を予想していたのに、逆に『感動した』と言われて感激した」と大野さん。〇五年七月から今年六月まで「国家級貧困地区」に指定されている臨県に滞在。四十六農村を訪ね、主に七十歳以上の老人たちを撮影しつつ記憶を聞き取り、比較的しっかりしていた五十人の証言をまとめた。このうち四十五村では、日本人が訪ねたのは戦後初めてだったという。
「彼らの記憶を文章化して歴史に残すのは、今は私の仕事と思っています。沖縄戦の集団自決のように証言を肯定するか否定するか、今は『記憶の戦争』という言葉があるけれど、人と人とのつながりには国と国との関係を超える何かがある気がします」
写真展では、大野さんを支援する日中の学生や画家、写真家らの作品も併せて展示される。三十日まで。入場無料。このほか、名古屋市(八月七−十二日・名古屋市中区の市民ギャラリー栄)、大阪府寝屋川市、埼玉県富士見市、長野県松本市(十一月)、長野市(同)、京都市で順次開かれる。
東京の問い合わせは写真展実行委員会・東京=電03(3947)2621=へ。ホームページはhttp://www.natsume2007.jp
三光作戦 日中戦争中の1940年代初頭、日本軍は中国・華北を中心に共産ゲリラの抗日根拠地に対する掃討作戦を行ったとされる。日本軍では燼滅(じんめつ)作戦と呼んだ。中国は「焼き尽くす(焼光)、殺し尽くす(殺光)、奪い尽くす(搶光)」の三光作戦と呼んで非難した。しかし、三光作戦は中国のプロパガンダだなどと指摘、事実関係を否定する議論がある。中学の歴史教科書では記述の削除、変更が目立つ。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007070202029032.html