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1990年3月27日 不動産融資総量規制を通達 バブル崩壊の“発火点” 【東京新聞】2006年10月26日 紙面から
ヒルズ族なる呼称も生まれ、格差社会の象徴的存在となった東京都港区の六本木ヒルズ。庶民を見下ろすようにそびえるビルの頂点、地上二百十八メートルの展望台に男は現れた。ビル賃貸業「桃源社」社長の佐佐木吉之助(74)。
慶大医学部大学院を修了し、開業医から不動産業界へ転身。バブル経済絶頂期には総資産九千億円の「世界第十二位の富豪」(フォーチュン誌)と紹介された。しかし、住専(住宅金融専門会社)が問題化すると、大口融資先だった桃源社は末野興産、麻布建物などとともに「破たんの元凶」と矢面に立つ。
明るいガラス窓の外に広がる大パノラマを見やりながら、佐佐木は花形時代に思いをはせた。「あのころはね、東京二十三区の土地で米国全土の土地を買えるといわれた時代だったんだよ」
日本列島中が株や不動産投資ブームに沸き立っていた一九八〇年代後半。桃源社は六本木を中心に、飲食店ビルなど百四十五棟もの商業ビルを所有。ビルを建てるたびに地価の上昇力で金融機関からの融資限度枠(与信枠)は拡大した。「カネはいくらでも銀行が用意した。どこまで事業を成長させられるか、限界に挑戦したいと思った」
膨張したバブル(泡)はいつかははじける時が来る。「天にも昇るエレベーターに乗る男」(フォーブス誌)は“あの日”を境に、真っ逆さまに墜落する運命をたどる。
九〇年三月二十七日−。「不動産融資総量規制」という一通の通達が大蔵省銀行局長、土田正顕(故人)の名で全国の金融機関に発せられた。異常な投機熱を冷やすため、土地取引に流れる融資の伸びを抑える狙いだった。
効果は劇的に表れた。不動産向けの資金の蛇口が急に閉められたため、建設や不動産の取引が収縮。地価下落が始まり、法人による都心部の土地取引額はその後二年間で半減した。
一方で、総量規制は、大手銀行などで設立された住専を対象からはずしたことで、住専の不動産関連融資が一気に膨らむ“ひずみ”を生じさせた。“母体”の銀行に住宅ローン市場を侵食されて、住専が住宅融資シェアを低下させていたのが対象からはずれた主因といわれるが、大蔵省から多くの天下りがありながら「暴走」を止められなかったのか禍根は残る。
さらに日銀による急激な金融引き締めが“劇薬”となった。日銀は八九年五月に公定歩合を年2・5%から3・25%へ引き上げたのを皮切りに、計五回の連続利上げで九〇年八月には6%に。しかし、これは引き締めのスタートが遅れ、そしてテンポが急すぎた。
埼玉大経済学部教授の伊藤修は「八八年の前半に引き締めを始めていればあれほどの崩壊にはならなかった」と断言。ただ、背景として「当時は八九年からの消費税導入が決まり、内需拡大を国際公約していた政府から金融緩和への要請が強かった。日銀は動きたくても動けなかったというのが真相」と指摘する。
バブル退治に血眼になった大蔵、日銀の「誤謬(ごびゅう)」。都心部の地価は九〇年をピークに下落の一途をたどる。都心一等地は最盛期の十分の一に暴落。日本経済は長期にわたる不況の谷底へ転げ落ちていった。
住専の破たん処理策が決まった九六年の「住専国会」。住専の大口融資先として佐佐木は参院予算委員会で証人喚問された。
「あの時代にあの政策をとられたら、いかなる名経営者でも倒れざるを得ない。ナポレオンでもダメである」
佐佐木の言葉に委員会は騒然となった。「居直りだ」「借りたカネは返せ」。議員らの怒号が飛び交った。
佐佐木はその年、競売入札妨害や国会での偽証などの容疑で逮捕され、東京拘置所で百四十日間の拘置生活を送った。一審で懲役二年の実刑判決を受けたが、二審の東京高裁は一審判決を破棄し、懲役二年、執行猶予三年の有罪判決を下した。
佐佐木は九七年から所有していた商業ビルの処分を始め、百四十五棟すべてを処分。住専を中心に大小六十の金融機関から受けた融資約四千億円のうち約三千億円を返済した。「残りの一千億円は金融機関側が最終処理し、もう私が求められるものはない」。
二度の刑事裁判に加え、百回以上の民事法廷をこなし、佐佐木の「バブル清算」がようやく終わった。
六本木ヒルズの展望台から建設工事のクレーンがあちこちに見える。来春、ヒルズを上回る高さの東京ミッドタウンが六本木地区に開業する。東京の不動産市場はバブル崩壊後、約十五年ぶりの活況に沸いている。
バブルに踊った佐佐木ら多くの借り手や、貸し手の金融機関幹部が刑事、民事両面で責任を問われ、市場から退場させられた。日銀法が改正され、政府の影響を受け続けてきた日銀の独立性は格段に高まった。
日本経済にとってはあまりに深い傷跡となったが、バブル経済から学んだものは何か。
元建設経済研究所常務理事で現在は明海大学不動産学部教授の長谷川徳之輔は「地価は上がり続けるという土地神話に乗ったばくちは、長くは続かないことを国民も金融機関も教訓として得た。土地は所有するものから利用するものへと考え方が変わったのがバブル崩壊の最大の成果」と語る。
だが続けて長谷川は「バブルの清算は実はまだ終わっていない」。不良債権処理に費やされて膨らんだ国と地方の巨額の債務を挙げ「重い借金の返済を迫られるのはいまの若年層。世代間の格差問題は今後、さらに深刻になる」と問題の根深さを突き付けた。(花井勝規)=文中敬称略
<プレーバック> 住専7社で不良債権6兆円
バブル崩壊による不良債権問題の象徴は住専だった。公的資金投入の先駆けになったと同時に、農協系金融機関の救済色が濃かった点などで国民の批判を浴びた。
住専は一九七〇年代、銀行に個人向けローンのノウハウがなかったことから大蔵省が主導し、大手銀行などが共同出資して設立。資金や役員を派遣した銀行は母体行と呼ばれた。その後、銀行が住宅ローン市場に進出し、市場を奪われた住専は不動産向け融資にのめり込んだ。
大蔵省の「不動産融資総量規制」の対象から外れたため、住専の不動産融資は一気に膨らんだ。バブル崩壊で地価が暴落すると住専七社は不良債権が計六兆円を超え、次々と破たん。九六年に六千八百五十億円の公的資金投入が決まった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/anohi/CK2007061502124485.html