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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu145.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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老人は息子娘から切り離された瞬間に難民化するのは当然なので
あって、介護の問題と言うより家庭(一家、一族)の問題なんだろう
2007年6月15日 金曜日
◆発信箱:コムスン問題の黒幕 中村秀明(経済部) 6月15日 毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070615k0000m070150000c.html
コムスンと折口雅博会長を糾弾し、社会的制裁を加えれば、すべて丸く収まるのか。不正請求で暴利をあげ、サービスの中身も劣悪なら。福祉でぬれ手であわを狙い、老人を食い物にしていたなら、話は単純だ。
しかし、コムスンの訪問介護分野は利益面で振るわず、ワタミの渡辺美樹社長に「老人ホームには関心があるが、訪問介護はいらない」と言われた。一方で、「24時間営業」など他社にないサービスが利用者に高く評価され、離島まで拠点を持つのはコムスンだけ。業界2位のニチイ学館は「24時間体制を全面的に引き継ぐのは無理だ」と語っている。
つまり、ディスコのノリを重視する野心家が、独自のサービスで顧客の支持を受けながら、社員に厳しいノルマを課し、不正を積み重ね、それでも採算に乗らないのが訪問介護事業と言える。さらに現場のヘルパーの多くは年収300万円未満で、離職率も高い。介護は、ビジネスとして職業として、夢も希望もないどころか、成り立っていないのが現実だ。
そもそも介護事業には、まっとうにやって利益を上げられる仕組みが備わってないふしがある。厚生労働省が06年度に、介護保険会計の健全性を維持するためとして業者への介護報酬を引き下げたせいと指摘する関係者は少なくない。
介護を「無償の奉仕」として家族や地域だけに押し付けるのでなく、「事業」として民間に委ねたはいいが、例によってお役所仕事に終始する厚労省こそ問題の黒幕ではないか。このままではやがて何十万、何百万人の介護難民が生み出される日がくる。
◆毎日新聞がコムスン問題について正しいことを書いている件 6月15日 切込隊長ブログ
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/06/post_d668.html
経済部の記者が「制度的に介護事業が儲からないからマトモな事業家が参入しなくて、変な奴がやっちまったんだよ」と驚くほど正論な記事を書き面白かったのでピックアップ。いやその通り。
最後は役所批判になっているのがアレだが、総じて高齢者の介護は世間的なニーズはあるけどそもそも社会に付加価値を与える仕事では本質的にない、だから国が制度として高齢者福祉のあり方を考えて決めましょう、しかし国庫負担を考えて年寄りに金撒くのは競争力の観点から見てもマイナスだから、ショボくてもそこそこのサービスができるようにしておくから国民の皆様方におかれましてはよろしくお願い申し上げます、という話だろうと思うわけで。
「介護難民」という書き方になっているが、老人は息子娘から切り離された瞬間に難民化するのは当然なのであって、介護の問題と言うより家庭(一家、一族)の問題なんだろう、きっと。老人介護は無料の奉仕といっても、老人は金を稼がないのだから昔から荷物だった、だから姥捨て山とかあったんじゃないか。現代になって、そういう社会じゃ国民が不安だろうから社会(国)が介入しましょう、という話となり、家庭を政策がどう手伝えるか吟味しなければならなかった。
福祉に効率ってありえるのか。合理的に介護をしてサービス原価を引き下げる企業的アプローチって、対象者である老人にとってどれだけ豊かで幸せなものになりうるのかね。といって、子供も生まず、親子の絆を失って面倒を見てくれる家庭を築かなかった老人の側にも問題あるよ、といえばそれまでなんだけどさ。
折口コムスン問題が投げかけたものって、この毎日新聞記事で指摘するような黒幕探しだけじゃなくて、結局私ら日本人が老人をどう扱っていくか実は良く考えてこなかったツケをいままさに払いつつあることを認識すべきってことじゃね。
(私のコメント)
昨日のNHKの「クローズアップ現代」でコムスンの問題を取り上げていましたが、金儲け主義の折口会長を吊るし上げればいいという話ではない。いわば戦後の家庭崩壊が問題を生み出しているのであり、家庭崩壊をもたらしたのは戦後の民法改正だ。
コムスン問題を見ると、昔あった姨捨山の伝統が現代の日本にもそのまま息づいているように思える。介護を受けている老人の息子や娘はどうしているのだろうか? 息子や娘は成人して都会に働きに行ってそのまま戻らず、地方では老人達が取り残されて、介護をコムスンが引き受けている事になる。
戦後の民法改正で大家族制度から核家族が前提となる仕組みに切り替わって、老人達は自分で老後の生活を考えなければならなくなった。核家族にしても夫婦共稼ぎで子供の養育がおざなりにされて、家庭の崩壊が進んだ。昔から夫婦が農作業に出かけて子供の養育は老父母が孫の面倒を見ていた。
つまりは子供の養育も老人介護も家庭内の問題だったのですが、核家族制度は、共稼ぎの夫婦の幼児は誰が面倒を見るのかという問題と、老父母の面倒を誰が見るのかという問題を作り出した。それは戦後の福祉政策によって公的な養育施設や老人ホームで全部面倒が見れれば良いのですがそれでは財政がパンクする。
お金のある人ならベビーシッターや老人介護士などを雇って見てもらえばいいのでしょうが、介護保険だけで全ての人が十分な介護を受けられるのは無理だろう。そのような場合には幼児なら両親とか、老人なら自分の娘や息子に見てもらうしかない。
もちろん重度の障害のある場合は介護士や介護施設に世話になるしかありませんが、介護保険はそれらを想定したものでしょう。しかし地方に行けば老人世帯だけの家庭が離れ離れに点在して、急病などの世話をする人がいない。神戸や新潟で大地震が起きて家が潰れた老人が沢山いましたが、ほとんどが身寄りのない老人だった。
家族や親戚が居ない訳ではないのでしょうが、最近では血は水よりも薄くなって親の面倒を見ない息子や娘が多くなって家族崩壊が進んでいる。その代わりを介護保険で国が関与してコムスンなどが業者が老人の世話をするというシステムは無理がある。
幼児の保育にしても公的な保育園で安い保育料で面倒を見ていたら財政はパンクするだろう。核家族制度の下では共働き家庭や母子家庭では幼児を面倒見る人がいない。大家族なら爺さんや婆さんが幼児の面倒を見れば、保育園が足らないと大騒ぎする必要はない。戦後のアメリカからもたらされた核家族制度には欠陥がある。
◆上坂冬子 評論家 正論8月号 平成17年度
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/kazoku_katei1.html
かって「戸主」や「家督」が日本の社会の秩序の根幹にあった。それをそのまま取り戻せとはいわないが、家族や家を社会秩序の根幹とすることのどこがいけないのか。たとえば「婚姻は家族の合意に基づいて、一家の平穏を願いつつ健全な社会の礎たるべく」成立させろと書けばいいではないか。
親子の間で雑炊の盛り加減を見比べた時代はとうに終わり、衣食足りたおかげで個人は自立しすぎるほど自立している。成人男女が親を見くびり家を捨てて一人前になったと錯覚したことが、少子時代を招き介護手当ての膨張を来していることに政治家なら当然きづくべきだ。
(私のコメント)
幼児保育も老人介護も国が関与するシステムは共産主義に基づくものであり、その共産主義はソビエトの崩壊でシステム自体が崩壊している。だから幼児保育も老人介護も理想としては家庭内で出来るシステムに切り替えるべきなのだ。
しかし現代のサラリーマン生活は数年おきに転勤などで引っ越さなければならないし、子供が大きくなれば学校の進学も絡んでくる。大家族で転勤で引っ越す事など不可能に近い。つまりサラリーマン社会の核家族化は必然的結果なのですが、幼児保育と老人介護は犠牲になる。
年金もいろいろ問題になっていますが、年金制度も社会主義的な制度であり、国家が管理することでズサンな管理も問題になっている。このように国家任せの制度は無責任を生み、家庭は崩壊してバラバラな家族は社会を崩壊させる。豊かな家庭なら金で補完は出来ますが、貧しい家庭は幼児保育もままならず、老人介護もおざなりになる。
だからコムスンはけしからん、社会保険庁は解体せよとか言われますが、非効率なものであり、結局は新しい形の大家族制度に戻って行くのではないだろうか? つまりはスープの冷めない距離に大家族が住めるようなシステムが一番向いていると思う。女性にとっても仕事と子育てを両立させるには、近くに両親がいると言う結果も出ている。