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日本人のDNAを調べると大半が北方モンゴル系であるというのはよく聞く話です。当方は、純粋日本人は、超古代ムー文明の末裔であり、日本語も日本人も、また国旗にみる太陽信仰も、世界の何処にも似ていず、また周辺アジア諸国にも似ていないのも不思議ですが、正に、ムー文明の名残を最も強く受け継ぎ、影響を受けているように思います。
純粋日本人、原日本人は、周辺から流入して形成されたものですが、特に、主流は海洋系、南方系であると思っており、北方系だとするならば、かなり超古代に大陸から海洋まで広く分布していた可能性もあります。北方のフィンランドのフィン人が魚のひれ(フィン)を現す意味を有していたり、なまはげなどを始め、北欧の風習が日本の秋田などの一部地域と酷似しているのも事実です。何らかの交流ないしは共通点があったと見ることもできます。
それよりも、当方は、幾多の例証から、ジンギスカンが源義経であったという見解に賛同しており、その遺伝子、血流、思考、風習、民族的気質などが、現在の朝青龍を初めとするモンゴル人に継承されているように思います。遺伝子鑑定も、何時からのものであるのかまでは特定できないのではと思います。
ところで、「武士道、神道、日本仏教などが日本文化の中心ではないか」に関して、敢えて付言すれば、当方は、神道、仏道(仏教ではなく、仏法)の融合が必須であり、これが世界救済への道標になろうかと思います。そして、礼儀、道徳、倫理(儒教、修身、武士道)などが基本に存在することが大切でしょう。
然るに、現在の神道、仏道、儒教も、かなり本質から外れて変質されており、根本的な改訂が必須と言えるでしょう。神道も、基本から逸脱してユダヤ的儀式が混入しているのも事実であり、仏道にしても、各派宗教(各宗門の教え)に対立堕落しており、また武士道も基本の精神よりも形式的な解釈に陥っているようです。「菊と刀」でも、日本人の国民性を、武士階級時代の封建性によるものとしておりますが、大多数の日本人と同様に、本質が理解できていないようです。
そもそも武士の象徴であったチョンマゲや羽織・袴などは、明治になって岩倉使節団が訪米した際に、米国人には、アフリカ辺りの先住民の習性・風俗に見られて大変恥ずかしい思いをしたようでことから、公家の筆頭である岩倉具視をして、思い切って捨てる覚悟をなさしめたようです。
これが契機となって、多くの公家や明治天皇陛下までもが後に続き、終いには国民全体が雪崩を打って従っていったようです。中には、日本の伝統・文化の象徴でもあったちょんまげを切るとは一体何事だと言うことで、離婚などの抵抗や混乱もあったようですが、このちょんまげの歴史も決して日本古来の風習・習俗でもなく、当時でも、せいぜい、武家政治以来の700年間ぐらいの歴史でしかなかったものです。しかし、チョンマゲや羽織・袴を捨てたからと言って、日本人でなくなったわけではありません。
そもそも、武士とは鹿島昇説によると、アッシリアに囚われていたユダヤ人が逃亡して、そのアッシリアの「サメリナ(=サマリア)県」から来た由来であり、サマリアの士がサムライになり、インドに行って武士階級を形成し、それから新羅花郎として、日本に流入して、天皇家や公家のボディーガードと仕えてきたものが、平安末期から独立して戦国時代へと発展したものであり、元々は、明らかに海洋系の平家と同様に南方系らしいですが、真相は分かりません。
なお、平氏と源氏は、平安末から北条で終了ではなく、織田、徳川にも継承され、江戸時代は平氏の赤褌の川人足、源氏の白褌の駕籠かきなどの岡人足、明治では平氏の海軍、源氏の陸軍、戦後は平氏の造船業界、源氏の建設業界などと棲み分けながら、今でも国民性の根底部分では大きく二分しているようですが、国民レベルでは、400年前当たりから、最も早く結婚を通して融合してきたようです。幕末までは、異なる民族同士での結婚の自由や職業の選択の自由もなく、居所移動の自由もなく、名字を付ける自由もなかったものでした。
然るに、そんなことはどうでもよく、要は、伝統文化の頑なな維持・継承よりも、新しい日本国家の崩壊阻止から将来的発展に繋げて、捨てるべきものは捨て、改訂すべきものは改訂し、導入すべきものは導入していく歴史的な大変革が大切となってくることでしょう。歴史的にもかなり汚染汚濁感染された日本人の国民性ですが、今こそ、「真明正直」の原点に立ち返って、身命を賭して立ち向かう正義、信義、道義に満ちた生命感みなぎる「真の大和魂」への改訂・復活・再生が求められていくことでしょう。
それには、日本人を覚醒されるためにも、ある程度、国内外の大混乱が必至・必須と見ております。恰も、ピラニアがいる水槽であれば、魚も必死で生き抜くことと同じかと思います。それに改革を世界的にならしめるためにも、外国を誘き出し、引きずり込み、巻き込んでいくのも神仕組みであり運命的なものかと思います。
もっとも、柔軟な国民性の日本であるからこそ、世界的で歴史的な改革を発信できるものと思いますが、逆に、その裏返しでもある無節操で無原則的な国民性でもある故に、最も早く、飽きっぽく形骸化し捨て去るのも日本人であろうかと懸念するものです。それ故に、改革が成った後の理念や体制の永遠不変の継続を達成するために、確固とした信念に満ちた国民性の変革も必須なのです。