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http://blogs.dion.ne.jp/mouth_of_madness/archives/5351918.htmlより転載。
消費資本主義社会の正体
消費資本主義社会の事をお風呂で考えた。この社会は実はホワイトカラー側の人間が自分達の立ち位置を維持する為に回転させ続けている自転車操業社会と思うのだ。
実はホワイトカラーの人々は生活能力弱者なのだ。実は本当に生きるのに必要な能力は農業、漁業、等の食料供給業、大工等の建築業、衣服及び生活必需品を作る製造業の能力である。特に食料供給業は偉いのだ。彼等のお陰で日々の食の事を気にしなくて生きて行けているのだ。彼等が食を供給してくれるからその他の事に僕達は邁進する事が出来る。彼等が自分達の分しか製造しなくなれば僕達は他の事を出来なくなるのだ。僕達は彼等に生かされているのだ。
しかし実際の社会ではそれらを運営しているといわれている者達の方が評価が高い。運営している者がいるから社会は上手く回っているのだという考えだ。
彼等は自分が能力弱者である事を知らないし知ろうともしない。学校では教えないしそもそもホワイトカラーを肯定させる事を目標とさせているからだ。
本当に必要な消費物は安く(まぁ雨風を防ぐ家は高いが)実際は必要でないモノは高額である。ホワイトカラーの連中はその必要で無いモノを作る。その正体は流行である。
例えば車を例にとると性能がアップでECO等の事を考えているとはいえ毎年の様に新車を出す必要は無い。10年に一度とかでも良いくらいだ。流行を作る事で消費マインドを刺激し本当は必要の無い買い換えを促進しているのだ。新しい車が出なければ不具合が無い限り買い換えようとは思わないのだ。製造している人は新車種だろうが旧車種だろうがやる事は変わらない。必要な台数を作るだけなのだ。
しかしデザイン等や広告戦略等を考えているホワイトカラーの連中は10年とか変化が無いとなると仕事が無くなるのだ。彼等は弱者の為工場等でまともに働く事は出来ない。そうすると生活に困るし上に立つ事は出来ない。だから流行を作り続けるしかない社会を作ったのだ。
自転車操業の社会を辞める事こそがECOなのだ。地球にも人にもやさしい社会なのだ。流行に後れる恐怖、人と違う恐怖をまだ人間は克服出来ていない。個人主義等が増えているというがあれも個人主義という流行に過ぎない。個性的というのも殆どが錯覚でしかない。
上手い言葉が思いつかず纏まりのない文章になったが(いつもの事だが)文明が破壊された時に必要な能力が本当に大事な事なのだ。文化に必要な能力はその力によって生かされている事を努々忘れては駄目なのだ。