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暮らしの中の宗教:葬儀編/1 火葬だけの「直葬」急増
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msn.co.jp/kurashi/katei/archive/news/2007/02/20070201ddm013100007000c.ht
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直葬に必要な道具はわずか。簡素なひつぎが使われることが多い=東京都豊島区
で昨年11月、長谷川直亮撮影 ◇本音は「金をかけたくない」−−大都会では
宗教色薄れ
親しい人の死を悼み、悲しみにくれる遺族を慰める葬儀のあり方が、この5、
6年で激変している。音楽葬、お別れの会など宗教色を排した葬儀は、もはや珍
しくなく、親しい親族だけで弔う家族葬も増えた。その一方、過疎地では僧侶不
在の無住寺も増え、その地の住民らは葬儀に不安を抱いている。「暮らしの中の
宗教・葬儀編」では、私たちが宗教とかかわる機会の多い葬儀の今を取材した。
【中村美奈子】
「本音は皆、葬儀にお金をあんまりかけたくないんじゃないでしょうか」。神
奈川県横須賀市で年金暮らしを送っている野原秋男さん(81)、シズさん(7
6)夫婦=いずれも仮名=は、昨年4月、胃がんで亡くなったシズさんの3歳年
上の兄を弔う際に直葬(ちょくそう)を選んだ。
寺やホールで葬儀・告別式を営まず、火葬だけで死者を送るのが直葬。死亡が
確認された病院から火葬場に遺体を直接運び、死後24時間経過後、火葬する。
会葬者は20人ほどと、こぢんまりとした葬送の形式で、昨年ごろから東京を中
心に関東圏で目立って増えている。
直葬は遺体を荼毘(だび)に付せば弔いは終わる。所要時間は2時間弱。僧侶
に読経してもらう遺族もいるが、読経がなければ直葬に宗教が介在する余地はな
い。
関東圏では昨年、葬儀のうち、直葬が約2〜3割を占めた葬儀社もある。10
年前も直葬を依頼する遺族はあったが、当時は依頼者の大半が生活困窮者だった
。昨年ごろから、資産の有無にかかわらず、あえて直葬を選ぶ遺族が増え始めた
。
野原さんの場合、シズさんの兄は東京都内で1人暮らしをしていたが、昨年1
月に胃がんを再発し、医師から万一の場合に備え、覚悟をするように言い渡され
た。野原さん夫婦に大した蓄えはない。兄が葬儀用として生命保険に加入してい
ることが分かり、夫婦はこの金を使って葬儀を行うことにした。
兄が亡くなれば、実家が檀家(だんか)総代も務めた故郷の秋田県の菩提(ぼ
だい)寺(日蓮宗)での法要はせざるを得ない。「死んだら菩提寺の墓に入りた
い」という兄の願いもかなえたい。野原さん夫婦は、東京で荼毘に付し、菩提寺
で四十九日法要と納骨をすることに決めた。
NTTの番号案内を使って知った葬儀社案内業者を通じて、昨年3月、直葬を
多く扱う葬儀社、中央セレモニー(東京都豊島区)を知り、見積もりを立てても
らった。
兄が亡くなったのは4月中旬。2日後に直葬に参列したのは、野原さん夫婦ら
身内7人だった。ひつぎに花を入れ、火葬前の20分と火葬後の収骨中の5分、
葬儀社に紹介された僧侶にお経を上げてもらった。「80歳前後になると、付き
合う人数はせいぜい十数人。見送ったのは7人だが、参列者は生前の兄をしのん
でくれた」と野原さん夫婦は口をそろえる。
「出来るだけ簡素な葬儀を」と直葬を選んだ野原さん夫婦だが、火葬の際には
僧侶の読経は省かなかった。「秋田の実家では、先祖の月命日にお坊さんが必ず
お参りに来てくれた。お経を聞くと、心が安らぐ。お経ぐらい上げないと故人を
見送った気がしない」。シズさんは語る。
直葬の費用は約40万円だった。野原さん夫婦は生命保険金の残りを菩提寺で
の法要、納骨の費用に充てた。直葬は初めての経験だったが、野原さん夫婦は、
自分たちが死んだ際にも直葬で十分だと考えるようになった。
「予想以上に直葬を望む遺族が増えている。葬儀社としては収益が少ないため
歓迎できない傾向だが、今後5年以内に依頼件数の3割以上は直葬になるだろう
」。都内23区で21万円といった低価格で直葬を請け負い、現在依頼の2割が
直葬の葬儀社、フェイスセレモニー(足立区)の小泉輝雄社長は予測する。
“葬式仏教”と揶揄(やゆ)されることもある仏教。だが、大都会では、その
葬儀でさえも宗教色が薄れようとしているようだ。=つづく
毎日新聞 2007年2月1日 東京朝刊
暮らしの中の宗教:葬儀編/2 お坊さん、派遣
◇お布施15万円の業者も−−お東さんも乗り出す
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msn.co.jp/kurashi/katei/archive/news/2007/02/20070202ddm013100080000c.ht
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都会で働く地方出身者にとって、古里の菩提(ぼだい)寺とのつながりは希薄
になりがちだ。家族が亡くなり、葬儀を営む段になって、「どこの僧侶に頼めば
……」と戸惑うこともある。葬儀社に頼る遺族も多いが、通夜、葬儀に僧侶を派
遣する専門会社が登場し、菩提寺から離れて暮らす信者のために僧侶を派遣する
教団も現れた。
「紹介不可能は一切なく、当日手配も可能。神道、キリスト教にも対応−−」
。ネットでこう紹介されているのが株式会社グランド・レリジオン(埼玉県蕨市
)。会社は00年に設立され、通夜、葬儀の2日間の供養(初七日供養を含む)
に対して、派遣された僧侶に手渡すお布施は戒名も含め一律15万円と定めてい
る。
関東地方で仏式で葬儀を上げた際、お布施の平均的な額は50万〜60万円と
言われている。グランド・レリジオンの斎藤浩司社長が大手葬儀会社に勤務して
いたころ、高額なのに金額の根拠が不明なお布施に、強い不満を持つ遺族たちを
目の当たりにし、お布施の低額化を打ち出した。現在、同社には僧侶や宮司、牧
師ら約200人が登録している。
東京、埼玉に近い茨城県五霞町にある浄土宗善照寺副住職の大谷隆伸さん(3
6)はインターネットで同社のことを知り、昨年4月に登録した。
「死ぬ苦しみからの解放を、お釈迦さまは説いていらっしゃるんですよ。この
場だけでも南無阿弥陀仏と唱えて下さい」
大谷さんは初対面の喪主ら故人の身内が集まるお通夜に赴き、40分ほど読経
する。仏の教えを説き、全員で念仏を唱えるうちに、初めて会った僧侶に対して
警戒した面持ちだった遺族らの顔つきが、徐々に穏やかになるのを感じるという
。
「初めてお念仏をしたけれど、本当に気持ちがいいんですね」。葬儀が終わっ
た清めの席で、参列者から感謝の声をかけられる。大谷さんが派遣僧侶としてや
りがいを感じる時だ。
善照寺の檀家(だんか)数は約240軒。寺の改修もままならず、暮らしを切
り詰め、なんとか寺を維持していた。同社に登録後、千葉、埼玉、東京を対象に
葬儀の依頼は毎月、平均して7件ほどある。寺の収入も月約90万円増え、改修
が可能になった。
「葬式は仏教に触れる最大の機会。法要をしない人が増え、これからは寺とい
う建物がなくなっていくだろう。僧侶のあり方は一人の布教者に戻ることに尽き
る」。大谷さんは危機感を募らせる。
▲▼▲▼▲▼
既成教団にも動きがある。「お東さん」の愛称で知られる真宗大谷派は06年
7月、既成教団として初めて、菩提寺から離れて暮らす信者のために、葬儀の際
に教団から僧侶を派遣する仏事代行制度を全国的に発足させた。同派の信者が多
い滋賀や北陸では、宗教法人数の2割超が同派。首都圏の1都3県では同派の寺
は登録されている宗教法人のうち2%足らずだ。新制度は都会の信者と宗門との
縁を絶やさず、葬儀を「仏の教えに出合う場」にするのが狙い。
「自分がなじんだお経を聞くと、とても安心するんですよ」
東京都武蔵野市に住む山本左代子さん(74)は昨年5月、75歳で亡くなっ
た夫の葬儀のため、同派の首都圏の布教拠点、真宗会館(東京都練馬区)に僧侶
派遣を頼んだ。夫の菩提寺は新婚時代を過ごした金沢市にあり、東京で暮らす5
0年間、毎年のように盆参りに行っていた。だが、遠方なので、万一の時は、「
葬儀を近くの同派の寺に頼みたい」と夫婦で話し合っていた。菩提寺に電話をす
ると、真宗会館を紹介された。
駆けつけた僧侶が、死者を最初に弔う枕経を上げ、通夜、葬儀と3日間の仏事
を菩提寺の僧侶の代行として務めた。山本さん夫婦には子どもがなく、夫を亡く
して一人になった不安な気持ちを僧侶に聞いてもらった。誠実な応対に引かれ、
四十九日法要などの仏事も任せた。
菩提寺とのつながりが絶えたわけではない。山本さんは昨年10月、仏弟子と
して法名(戒名)を授かる帰敬式を菩提寺で受けた。式の後は毎晩仏壇に手を合
わせ、夫に一日の報告をする。「菩提寺は実家のようなもの。近くの真宗会館が
加わり、心のよりどころが二つになった。本当に心強い」。山本さんはほっとし
ている。
宗教離れが進むとはいえ、葬儀では僧侶らによる法要を求める人は多い。さま
ざまな形を取りながら、葬儀社、宗教界も古里から離れて暮らす人たちに手をさ
しのべようと変わりつつある。【中村美奈子】=つづく
毎日新聞 2007年2月2日 東京朝刊
暮らしの中の宗教:葬儀編/3 過疎で無住寺増え
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msn.co.jp/kurashi/katei/archive/news/2007/02/20070203ddm013100149000c.ht
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先祖代々の位牌が並ぶ位牌堂。檀家総出で雪下ろしをして守っている=山形県新
庄市の明性院で06年10月 ◇よその住職に頼るしか−−生活の一部だったの
に
過疎地では、住民たちと菩提(ぼだい)寺のつながりは都会とは趣を異にする
。住職は先祖や地域をよく知るだけでなく、住民のよき相談相手でもある。葬儀
も故人宅で営まれることが多く、菩提寺の僧侶によって執り行われる。だが、地
方で過疎化が進むように、跡継ぎがおらず住職不在の無住寺も増えている。生ま
れ育った地に愛着を持つお年寄りが亡くなった時、葬儀を営むには、よその寺の
住職に頼らなければならない地域もある。
山形県新庄市の中心部から車で10分。山沿いに農家が点在する山屋地区に、
平安時代から続くとされる天台宗明性(みょうしょう)院がある。約10年前に
住職が亡くなり、2人の息子は跡を継がず、無住寺となった。寺の名を刻んだ門
柱をくぐると、住職の住まいを兼ねた本堂は、寺院というより農家の母屋と変わ
らない建物だ。だが、その本堂には鍵が掛かり、人の気配はない。
檀家(だんか)は21軒。農家と会社員の世帯で、70代以上が半数を占める
。明性院が無住寺となってから、市内の天台宗松巌寺の野川慎海(しんかい)住
職(46)が住職を事実上兼務している。葬儀は年2、3回あり、ほとんど自宅
で営まれ、明性院の檀家に頼まれて野川住職が読経を行う。
「無人になって寂しい。我々は何代も前から(明性院に)お世話になってた。
新しく住職を迎えるのはあきらめてる。ただ、このままでは死(す)んでも死(
す)に切れない」
明性院の位牌(いはい)堂の前で、山屋地区に住む農業、阿部一(はじめ)さ
ん(76)が話し始めた。位牌堂は、雪深い山地で墓石が雪に埋もれるため、冬
場の参拝のために建てられた施設。86年に檀家が資金を出し合って300万円
で建てた。毎年、檀家総出で雪下ろしをして位牌堂や境内を守ってきた。
位牌堂と並んで建つ観音堂は、住民たちの憩いの場だった。かつて、女性たち
にとっては、子どものはしかよけの願掛けの場であり、祭りが近づくと若者たち
のお囃子(はやし)の練習場でもあった。田植えや稲刈りの後には必ず休息に集
まった。堂内には江戸末期の弓道大会の記録が残され、明治時代に集落のお伊勢
参りの様子を描いた絵などが壁一面に掛かっている。集落にとって寺は生活の一
部であり、歴史でもある。
5、6年前から、40〜50代の檀家が中心となって、檀家全員で松巌寺の檀
家に移りたいと、野川住職に申し入れている。先祖代々の寺から離脱するわけだ
。だが、本堂や土地は明性院住職一家の個人所有であり、無断で寺の行く末を決
めるわけにはいかない。それだけでなく、明性院に強い思い入れのある70代以
上の檀家には菩提寺が消えることに迷いがある。今も明性院に新しい住職が来る
めどは立っていない。
▲▼▲▼▲▼
「かなしいかなや人の身は」。同県鶴岡市にある天台宗金剛樹院には、毎月3
回、70代を中心に10人を超す女性が集まる。島津玄真住職(58)のもと、
御詠歌の練習をするのだ。1年で10件ほど営まれる檀家の葬儀には、女性たち
が駆けつけ、故人宅で通夜の前に弔いの御詠歌を唱え、故人を供養する。しめや
かで素朴な調べは、遺族を慰める調べでもある。
金剛樹院の檀家数は140軒。毎年、本山参りを兼ねて、住職と檀家は旅行に
出かける。寺を核に強いつながりを保っているが、檀家は70〜80代が多く、
高齢化による檀家減少の不安を抱える。
国内にある約18万3000の宗教法人のうち、約4割が仏教系、そして無住
寺など不活動状態の法人は5000弱あるとみられる。寺院が生活の一部となり
、文化を伝える役割を担うことを求められる地域ほど、寺の将来に頭を悩ます。
【中村美奈子】=次回は7日に掲載
毎日新聞 2007年2月3日 東京朝刊
暮らしの中の宗教:葬儀編/4 核家族化が促す自然葬
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頭を垂れ、海に流した遺灰を見送る遺族たち=神奈川県横須賀市の観音崎沖で昨
年6月 ◇強引な寺と絶縁し、散骨−−「子に墓守の苦労させぬ」
昨年6月、観音崎(神奈川県横須賀市)沖の東京湾。初夏の日差しに照らされ
る水面に一隻の船が停泊した。甲板から和紙に包まれた遺灰が海上に流され、赤
いサツキの花がまかれた。埋葬ではなく、遺灰を自然に返す自然葬。僧侶の読経
はなく、哀悼の汽笛が鳴り響き、遠くに流れていく遺灰を見つめながら2組の遺
族が手を合わせた。いずれの遺族も葬送のあり方に疑問を持ち、自然葬を選んだ
のだった。
海上に散骨する自然葬の手助けをしたのはNPO法人「葬送の自由をすすめる
会」(東京都文京区)。栃木県に住む主婦、森田マチ子さん(62)=仮名=が
ここに連絡を取ったのは、4年前に心臓病で亡くなった28歳の次男を送るため
だった。葬儀は寺で営んだが、型通りの一方的な対応を押しつけられ、相談にの
ってもらえる余地はなかった。寺にお骨を預けたが、寺の強引な態度には納得い
かなかった。
次男の埋葬先を考えていた3年前、同会の自然葬のことを記した新聞記事を目
にした。墓に納骨するのではなく、「自然に返す」点に共感した。海への散骨は
海が好きな次男にぴったりだと思えた。
自然葬当日、甲板には森田さんと夫、そして2人の息子がそろい、別れを告げ
た。
「墓は守る人がいなくなると、無縁仏になり、寺が遺骨を整理してしまう。ど
んな墓でも、それが早いか遅いかだけで、いずれは無になる。自然葬にしてよか
った」。森田さんは言葉少なに語った。
甲板からサツキの花をまいた横浜市の主婦、杉山明美さん(53)=仮名=は
、05年12月に肺がんで亡くなった父親を見送った。83歳だった。
自然葬のことを知ったのは約3年前。「冷たい墓石の下ではなく、自然の中で
朽ちていく」。家族共通の願いだ。杉山さんと両親は、同会の会員になり、自分
たちの葬送は「自然葬で行いたい」と決めた。山の中で育った父親は「ぼくは海
がいい」と散骨される場について話していた。
サツキは、園芸好きの父親の好きな花。「お父さん、うらやましいわ。お花と
一緒に、広々とした海に行けて」。杉山さんは海を見つめてつぶやいた。
▲▼▲▼▲▼
埋葬されていた先祖の遺骨を、つきあいの長い寺と縁を絶ってまで、自然葬で
葬る人もいる。そう決意させる心の底には、寺に対する不信感があった。
東京都内に住む無職、中野仙吉さん(83)=仮名=は、05年12月、幕末
から親の代までの先祖9体の遺骨を同会の自然葬で送った。きっかけは、前年に
都内の菩提(ぼだい)寺から届いた通知。「寺に隣接する墓地を一新するので、
寄付を募る」と記されていた。墓地を使用し続ける場合、墓石代として100万
〜200万円が必要だが、金額の根拠は分からない。
中野さんの子どもは息子2人。既に独立し、「寺の墓には入りたくない」と話
しており、墓守を無理強いすることはできない。「今は核家族で、親子といって
も考え方はまちまち。あと2〜3年で無縁仏になっちゃうのに、寺に大金を払う
ことはできない」。中野さんは語気を強めた。自然葬の前月、寺の墓から先祖の
遺骨を全部引き揚げ、寺と縁を切った。自身も自然葬で送ってほしいと思ってい
る。
葬送の自由をすすめる会によると、先祖の遺骨を墓から出し、自然葬にする人
は1〜2年前から増えているという。同会は1年間で約120件の自然葬を行っ
ているが、その約2割とみられる。「子どもに墓守の迷惑はかけたくない」「自
分の代で墓の始末をつけたい」というのが動機という。
寺離れの結果、自然葬を選ぶ人たち。背景には檀家(だんか)の事情を考慮し
ない旧態依然の寺院への反発がある。【中村美奈子】=つづく
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この企画へのご意見、ご感想は〒100−8051(住所不要)毎日新聞生活
家庭部「暮らしの中の宗教」係へ。メールは表題を「暮らしの中の宗教」として
、t.seikatsu@mbx.mainichi.co.jpにお願いします。
毎日新聞 2007年2月7日 東京朝刊
暮らしの中の宗教:葬儀編/5止 原点を取り戻すために
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仏教会初のグリーフケア研修。出席者は法務に生かそうと真剣にメモを取る=大
阪市西区で ◇僧侶にも危機感−−「檀家と深くかかわりたい」
「葬儀、中陰(四十九日法要など)を通して遺族にかかわっているが、どのよ
うに法話などしていいか、わからない時が多い」「僧侶(の自分)が説教をふり
かざしても、遺族に届かず無力感を感じる事があった。遺族との接し方を見直し
たい」。僧侶たちの驚くほど率直な言葉が並ぶ。これは昨年11月、僧侶を対象
に大阪市で始まったグリーフケア研修で出席者が記した参加動機だ。今、僧侶の
多くが葬儀の場などで、愛する者を失った遺族とどう向き合えばいいのか悩んで
いる。
子供を失った親、長年連れ添った配偶者を亡くした夫や妻……深く悲しみ、心
を痛めた人たちに寄り添うのがグリーフケア。仏教では葬儀、四十九日、百カ日
といった法要の場で、僧侶が遺族と悲しみを共有し、仏の教えを説いてきた。だ
が、最近は形がい化した法要も多く、寺のあり方を反省する僧侶もいる。
研修は大阪市仏教会社会福祉委員会と大阪府仏教青年会の共催で行われている
。伝統仏教の僧侶でつくる仏教会が、グリーフケアの研修を実施するのは全国初
の試みだ。研修を企画した真宗高田派正覚寺住職で、大阪市仏教会社会福祉委員
会の松原俊幸委員長(45)は「寺の日常の法務に磨きをかけ、地域のつながり
を失った社会にも役立つ研修にするのが狙い」と話す。
「自らの喪失体験を振り返る」と題した初回は大阪府内の住職やその妻ら22
人が出席した。「教典の言葉に安易に逃げないことで、檀家(だんか)と初めて
深くかかわることができる。僧侶も一人の人間として、自分をごまかさず、目の
前にいる人とどうかかわっていけばいいのかを、自身で感じながら学んでほしい
」。僧侶らを前に講師の真宗大谷派の僧侶、瀬良信勝さん(35)は訴えた。
「僧侶でも、死にまつわることで答えられないことがしばしばある」と瀬良さ
んは言う。そして、「大切な人を亡くした時、何か解決法を求められても答えは
ない。大事なのは、答えのない質問をぶつけてくる相手の苦しい思いを察し、そ
の人がどういう状態にあるのか感じ取ることだ」と強調する。
以前は講師の瀬良さんも、遺族に何を話し、どう向き合えばいいのか模索する
一人だった。僧侶として駆け出しの00年夏、20歳の息子を交通事故で亡くし
て悲しみにくれる母親を前に言葉が浮かばず、頭が真っ白になった。僧侶の学校
でも「どう声をかけるべきか」は教わっていなかった。「このままではいけない
」とグリーフケアを行っている場を探し、死別体験を分かち合う会に出合った。
そこで目にしたのは、寺では体験したことのなかったことばかりだった。会を
主催するカトリックのシスターが愛する者を亡くした人にそっと語りかけた一言
が忘れられない。「悲しむにも体力が要るのですよ」。悲しむことの本質を知ら
なければ発することができない言葉だった。瀬良さんは「悲しむ人と向かい合う
時の精神的な立場を感覚的に学んだ」という。
大阪市では約10年前から、宗旨宗派に関係なく、住職の人柄を見て菩提(ぼ
だい)寺を変える人が増えている。「だからこっちも必死にならんとね。檀家さ
んと仏さんのつながりを作るのが我々僧侶の仕事。グリーフケアは全く手探りの
段階だが、これからは仏教者も取り組まなければ」。研修に参加した大阪市此花
区の真宗大谷派本真寺、西村正淳住職(51)は話す。
▼▲▼▲▼▲
僧侶不在の直葬、NPOによる自然葬など葬儀の宗教離れが加速している。し
かし、「このままでは寺と檀家のつながりはますます遠くなってしまう」と危機
感を募らせる僧侶も多い。「葬儀が本来果たすべき役割は何なのか」。宗教の原
点を取り戻すための動きもまた、活発になろうとしている。【中村美奈子】=お
わり
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家庭部「暮らしの中の宗教」係へ。メールは表題を「暮らしの中の宗教」として
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毎日新聞 2007年2月8日 東京朝刊