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最近、オランダで安楽死に関する法案が成立して、米国でも一部の州で極めて前向きに検討しているようだ。どうも未だ不完全、不十分な面を痛感せざるを得ない。それにしてもこれまで全く実施すらされなかったことである故に、今後の進展に際して、大きな第一歩を踏む出した点は大いに評価されても良いであろう。ところで、安楽死を考える場合に、よくナチスドイツのような生体実験だとか、合法的な殺人だとか非難されているのが現状である。そして、一部の有識者からは、オランダでの安楽死の合法化は、満杯となった病院のベッドの回転効率を上げるためにとか、また臓器移植を容易にさせるために、大々的に実施したものだと批判されているようだ。
しかしながら根本的に異なることは、強制的に為されるか本人の意思が最大限に考慮されているかであろう。本人の自発的な意志が尊重されていくならば、地獄的で拷問的な死の苦しみから解放させて差し上げるべきであろう。本人にとっては正にその苦しみは地獄であり拷問に等しいことも充分に理解してあげるべきであろう。勿論、様々な事例があるだろうから、あくまでも本人の自発的な意志を尊重する意味が大きいのである。それに末期的な症状の患者にとって自分の生死を決定する権利を奪ってはならないであろう。
単に第三者の一般的な倫理、道徳的説教や、医者の一方的なかすかな回復可能性の期待感等に著しく左右されることなく、無理に生き長らえさせるような頑固な医者の態度は厳しく排除されていくべきだろう。大抵の医者は安楽死に対して批判的であるのが現状である。一方で、殆どの良心的な医者は、無益な治療の継続にも反対であるのも確かである。そして法律家の殆どが、安楽死に対して殺人であると言った刑法犯罪行為であるとの認識が殆どであるのも確かである。個別の医者や法律かと言った専門家が殆ど全員反対であるのが現実である。安楽死に際しては、快復可能性の十分な時間的な吟味が必要なことは言うまでもないし、刑法犯罪行為でないことの大切なのは言うまでもない。安楽死に関しての本人の自発的な意志を厳しく検討する意味での医者や法律家等の第三者の関与ならば当然であろうが、本人の意思を無視し否定するような干渉は余計なお世話というものであろう。
そうでなくても、本人が自発的に自殺を希望し実行することに対して、何ら有効な対策を講じることが出来ない現状をどうするつもりでいるのであろうか。自殺防止のために、病院や自宅という牢獄で管理し束縛さえしておけば充分と言えるであろうか。若くて将来性があり、単に経済的、健康的な面での自殺ならばそうした対応でも十分であるだろうが、現在、問題になっている末期的症状の患者や、余命幾ばくもなく、不治の病に冒されていることが明白で回復可能性も極めて低く、また経済的な負担が重くのし掛かって来ているような患者の場合には、あくまでも本人の意思を尊重して安楽死を認めていくべきであろう。その場合の死への道筋や手段、方法等は色々と検討していくこともあるだろう。即ち、周囲への不信感や苦痛や残酷性を極力排除していくことも考慮されていく必要があるだろう。
また、本人の自発的な意志が求められずに、且つ本人が脳死状態や植物的状態に陥っている場合であるが、こうした場合にも、残された家族の経済的な面、看護負担の面を最大限に考慮して大々的に認めていくことが必要であろう。この場合も、単に本人の自発的意志が求められないと言うだけの相異であり、治癒回復可能性の極めて低いことでは同様の事例であるからだ。その際には、医学的見地から回復可能性の有無を検討するべく、医者の判断をも考慮していくことが大切なのは言うまでもない。だが医者だけの判断で、即ち、医療的見地のみから安楽死を判断し決定しないことであろう。
更に、刑法犯罪に該当するか否かといった法律的な視点からの検討も重要になってくることであろう。そうした責任や任務を負うべきものは法律家に委せるべきではなく、各地方自治体における警察に委せていったら良いであろう。検察では余りにも国民生活から遊離しすぎている嫌いがあり、法律家では人権擁護の面が余りにも優先してしまいがちだからだ。共に、個別の職業倫理を優先して追究する余り、真に患者や家族のことの苦しみや負担軽減に思いを致すことが弱いからだ。そして家族の意志の尊重は、住居のある地方自治体の長である県知事等の関与が好ましいと言えるであろう。この場合の国よりも地方自治体の方が、家族にとって身近な存在であり、極めて親近感を有して判断していけることであろう。
最早、医療的にも回復不可能であれば、家族の看護負担を経済的側面から最大限に考慮して、死亡したものと見なしていけば良いものと思われる。その際に注意するべきことは、意識回復の可能性を判断する期間として、三カ月を目途に観察していけば良く、医者の判断と合わせて、刑事上の問題を検討するために警察の判断、そして家族の生活看護上の負担を県知事等が判断していくことが必要であろうと思われる。即ち、こうして、家族の意志を最大限に尊重することを前提として、地方自治体の長である県知事、警察、医者の三者の協議により、安楽死を認めていくべきであろう。回復可能性がない患者に対してまで看護を法律が強制することに関して、最早、家族のためにも根底から検討して国民的合意を得る時機に達してきたと言えるのではないだろうか。何よりも最大限に尊重されるべきは、家族の希望であり、意志であろうと思われる。
http://www4.ocn.ne.jp/~mukzke98/seishinsensei1.html