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忍び寄る崩壊の足音/2 過労死基準超える残業
当直中の奥田美加医師。日中は多忙で、カルテのチェックは夜しかできない=横浜市大母子医療センターで、竹内幹写す ◇「次世代が増えないと限界」
横浜市立大母子医療センターの産科主任、奥田美加医師(40)は、夕方過ぎに病院から自宅へ電話を入れるのが日課だ。小学1年生の長男(7)からは、決まって同じことを聞かれる。「ねえ、今日帰ってくるの?」
月7〜8回当直し、連続36時間勤務や土日の呼び出しは当たり前。自宅で食事中に呼び出され、泣きそうな顔の長男を残して出勤することもしばしばだ。予定外の手術も多く、学会発表の準備などもある。勤務時間は週75時間以上に達する。
奥田さんは「何とかやれているのが本当に不思議。次世代が増えてくれないともう限界」と話す。しかし、産科は研修医から敬遠されている。神奈川県で06年春に初期研修を終えた600人のうち、産婦人科医を選んだのは10人だった。
厚生労働省の「医師の需給に関する検討会」の調査では、医師は平均で週に63・3時間働いている。平均的な医師でも月90時間以上は時間外労働をしており、同省の過労死認定基準が目安とする「月80時間の時間外労働」を超えている。
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「医者なんてろくな職業じゃない」。小児科医を目指し、神奈川県の病院で研修医生活を送る千葉智子さん(25)は高校3年だった99年春、小児科医の父、中原利郎さんから医師への道を猛反対された。
その夏。「父は過度のストレスを感じている」との心配が的中してしまう。白衣姿で勤務先の病院の屋上から飛び降り自殺した。44歳だった。
自殺の半年前、小児科部長代理になった。責任が重くなる一方、退職や転職で半減した医師の補充もなく、当直日数が増えた。遺書には「経済大国の首都で行われるあまりに貧弱な小児医療。医師を続ける気力も体力もありません」とあった。
智子さんは、医師の労働条件を整備しようと、厚労省の医系技官を目指した。しかし、小児科の講義で「小児には発達があり未来があり、病気が治る可能性がある」と聞き、父の思いの原点を感じて心が動いた。父親に認めてもらえるような医師が目標だ。
労災認定を求めて薬剤師の妻、のり子さん(50)が起こした行政訴訟の判決が3月、東京地裁である。のり子さんは「夫のような悲劇が二度と起きない医療現場になってほしい」と訴える。
一方、大阪高裁では2月、看護師の過労死認定を巡る訴訟の控訴審判決が言い渡される。
原告は、01年3月にくも膜下出血で亡くなった国立循環器病センター(大阪府吹田市)の看護師、村上優子さん(当時25歳)の遺族。当時、村上さんが友人に送ったメールには「日勤が忙しくて、帰ったのは22時前でした。寝る時間がほとんどなくってそのまま深夜(勤務)に突入。もう始まったときからふらふらでした」とあった。
1審判決は遺族側全面敗訴だったが、裁判を支援する会の仲村幸治事務局長は「看護師の職場環境は劣悪。村上さんの例は氷山の一角だ」と訴える。
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05年秋の米国医師会雑誌に、過労による医師の能力低下を調べた論文が掲載された。週80〜90時間働き、夜間の呼び出しもある小児科研修医の注意力などの能力は、週44時間勤務の小児科研修医が飲酒した状態と同じ程度に落ちていた。
医師不足による過労は、患者の安全も脅かしている。=つづく
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毎日新聞 2007年1月24日 東京朝刊