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発信箱:踏み絵=玉木研二
鹿児島の警察が取り調べで容疑を認めぬ人に家族の名を書いた紙を踏ませていた。隠れキリシタン追及の「踏み絵」の伝統がまだ息づいていたか、ではすまない、暗い連想がわく。
例えば、昨今の教育改革論議で叫ばれる「不適格教師の追放」や「外部評価の強化」などいかめしい文言の数々。私はこれが、学校や先生の前に目に見えぬ踏み絵を置くことにならないかと気になる。「目をつけられないようにするには」「うけをよくするには」。高じて忠誠競争のようなことが始まったら教育改革どころではない。取り越し苦労だろうか。
1950年、米ウィスコンシン州選出の無名の上院議員ジョセフ・マッカーシーがある集会で「国務省に共産主義者が巣くっている」と爆弾発言するや、ここでもあそこでもと、畑にさえソ連のスパイが潜んでいるかのような話が広まり、赤狩りの大嵐が吹いた。
各界でパージが相次ぎ、ハリウッドも優秀な映画人を失う。著名人は競って忠誠を表明し、「あいつは怪しい」と友の名を密告さえした。
冷静な判断や実証的な論議が消し飛んだのはなぜか。米ソ核軍拡競争、冷戦体制などが人々に深い不安を植えつけ、扇情の「マッカーシズム」が突き動かしたのだ。
「ダメ教師が学校をむしばみ、教育委員会は役立たず」のような論法は教育問題を一気に解き明かすかのような錯覚を抱かす。どうか落ち着いて考え、意見を交わし、改善の試行を重ねよう。
時の人マッカーシーは5年で失墜したが、熱病から一気に冷めた社会のそこかしこに癒やし難い傷を残した。(論説室)
毎日新聞 2007年1月23日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/news/20070123ddm002070115000c.html