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破たん夕張
市立総合病院 委託運営に名乗り
昨年夏に経営破たんした北海道夕張市の市立総合病院の再建に乗り出した医師がいる。自ら医療法人を設立し、市から病院運営の委託を受ける指定管理者に名乗りを上げる。財政難や医師不足で全国各地の自治体病院はどこも苦境にあえいではいるが、なぜ、あえて破たんした夕張市の医療再生に挑むのか。今月、同病院に着任した村上智彦医師(45)に聞いた。 (竹内洋一)
朝、例年よりは少ない雪に埋まった夕張市立総合病院に患者が集まってくる。夕張市は高齢化率(人口に占める六十五歳以上の割合)が全国の市で最高の40・2%。家族に車で送ってもらったり、乗り合いバスを利用したりして同病院に通ってくる患者も、ほとんどがお年寄りだ。
こうしたお年寄りを診察する常勤医師は、村上医師ら内科二人、整形外科一人の計三人。村上氏は昨年十二月末に応援医師として着任。早速宿直を志願して病院で新年を迎え、一月一日付で正式に同病院の医師となった。
同病院は二〇〇五年度で約四十億円の負債を抱え、事実上破たん。今年四月、民間の医療法人に経営を委ねる「公設民営」になる。村上氏はこの担い手となるべく、自らを代表に医療法人「夕張希望の杜(もり)」の設立を北海道に申請、来月下旬にも設立認可される見通し。
これに合わせ同市は今月中にも指定管理者を公募する。指定期間は四月から二十年間で、指定管理者の公募に応募する動きはほかになく、村上氏の法人が選ばれる見通しだ。
指定管理者には病院施設が無償で貸与されるが、市からは委託費をはじめ一切の公費は支出されない。「もうかるなら、ほかにも手を挙げる人がいるだろうが、そんな病院だったらこんな赤字にはならない」。病院関係者がこう明かすほど状況は厳しい。ところが、火中のクリを拾う村上氏に、悲壮感はない。
「十数年後には、日本では高齢化率四割の自治体が三割を超えるという試算がある。だから、夕張は将来の日本の縮図なんですよ。ここで新しい医療の仕組みをつくるのは、本当に最先端の取り組みだと思う。確かに給料は安いかもしれないが、いい結果が出れば、将来すごく役立つノウハウになる。そう考えたら、こんなに楽しいことはない。わくわくしています」
同病院は一九八二年、北海道夕張炭鉱病院の廃止に伴い、市が北炭から買い取って開設。内科、外科、眼科など九科目を掲げる「総合病院」で、一般病床百七十一床を持つ。現在は皮膚科や産婦人科が休止しているほか、ほとんどの診療科で非常勤医師による月一回から数回の診療しか行えない状態だ。
総務省と北海道の委託を受けた公認会計士らが昨秋まとめた経営診断では、破たんの要因として医師不足や技術水準の低下で患者が激減したことが指摘される。収益低下による処遇悪化で医師の退職にも拍車がかかり、最盛期に十一人いた常勤医師は一時二人にまで減った。これに対し、准看護師や薬剤師、検査技師、事務職員の給与水準は全国平均より高く、経営を圧迫した。
村上氏は再建を担う前提として、こう話す。
「総合病院は、人口十万人に一つで採算が取れるというのが常識です。夕張は人口一万四千人。その時点で身の丈に合っていない。今後も人口が増える材料はない。いずれは五、六千人になるでしょう。それを見越して、身の丈に合った診療所にしようと言っているんです」
村上氏の再建構想はこうだ。現在の病院を十九床の診療所と四十床の介護老人保健施設にする。三月末までにいったん解雇される約百五十人の職員のうち、一部は再雇用する。九科目だった診療科は、内科、小児科、整形外科、透析科などに再編。救急患者も受け入れる。三、四人の常勤医師は往診も行い、在宅医療の定着を目指す。同時に予防医療を徹底。病人を減らし、医療費を削減させる。
関係者によれば、再建を指導する総務省には二十床以上の「病院」を維持すべきだという意見もあるという。診療所になれば地方交付税交付金はほとんど入らないのに対し、病院なら年三億円規模の交付金を五年間にわたって受け取れるからだ。が、村上氏は、この考え方を切って捨てる。
「それでは、さらに税金を無駄遣いするということです。赤字でも交付金が入るからいいと営業努力をしてこなかった。それが破たんの原因なんだから、一度断ち切るべきです。診療所は訪問診療などの診療報酬も高いし、ぼくは東京から経営のプロも招く。採算は取れます」
では、診療所で医療の質をどう維持し、高めることができるのだろうか。
村上氏は「住民が大きい病院で最先端の医療を受ければ治るという妄想を持っていてはダメ。高度な専門医の治療が必要な患者は一、二割。病気の八、九割は生活習慣病です。生活習慣を改善して予防するしかない」と住民の意識改革の必要性を訴える。
そのためには「従来の病院のような患者を待っている医療ではいけない」。通院できない患者には、いつでも医師らが患者宅に出向く。健康意識を高めるため、医師が地域での講演も積極的に行い、在宅医療・介護をサポートする人材の育成にも取り組む。体力が弱った高齢者は老人保健施設でリハビリしてもらい、いざというときには診療所のベッドで受け入れる。
理想とする地域はこんな姿だ。「高齢者が元気にいつまでも働いている。定年なんてなくしちゃう。田舎は会社員が少なく一次産業が多いから、そういう社会をつくりやすいはず。医療従事者は健康へのアドバイスをしながら、いざという時の備えとしている。それでいて暇にしているというのが目標なんです」
総合病院より診療科目は減るが、「ぼくはプライマリーケア(初期診療)の認定医です。お産以外は何科でも診ます。患者さんは選びません。ぼくが治療できるならするし、必要なら専門医に適切に送ります」。
自信を裏付ける実績もある。昨年三月まで勤めた北海道旧瀬棚町の診療所で、全国初の六十五歳以上の肺炎球菌ワクチン接種への公費助成を導入するなど予防医療に力を注いだ。この結果、一九八九年に一人当たり全国最高だった老人医療費をほぼ半減させ、予防医療の第一人者として全国的に知られる存在になった。
〇五年九月に同町を含む三町が合併して誕生したせたな町の新町長と予防医療のあり方をめぐって対立。退職を余儀なくされた。
「首長に逆らえばクビになるのは当然。公務員の限界です。公設民営なら、行政と対等に自分の考えで運営できる」と、村上氏は公設民営の新潟県湯沢町保健医療センターでノウハウを学んだ動機を披露する。
こうした実績のある村上氏に、市民の期待も高い。ぜんそく治療に通院する主婦(77)は「やはり住み慣れた夕張の病院がいい。内地からこんなところまで来てくれた村上先生は信頼しています」。黒沢映画の名医「赤ひげ」を重ね見ているのかもしれない。だが、村上氏はこう言い切る。
「ぼくは赤ひげじゃないし、赤ひげ主義には反対です。一人の医師の献身に頼る医療は、赤ひげが死んだら成り立たなくなる。ぼくは地域医療の基礎をつくったら、後に続く若い医師につなげていく。そういうシステムをつくりたい」
むらかみ・ともひこ 1961年、北海道歌登村(現枝幸町)生まれ。北海道薬科大院修了。薬剤師として3年間勤務後、医師に転身。金沢医大卒後、自治医大に入局。東京の離島や岩手県などの病院に勤務。札幌市に妻と一男二女。夕張には単身赴任。
<デスクメモ> 財政破たんで一時は八割以上の市職員が退職を検討した夕張市。実際に四月から全職員の半数が退職し、課長以上の幹部の大半が姿を消す。堰(せき)を切ったように、“泥舟”から逃げ出す公務員とは対照的に、小さくてもきらりと光る診療所を目指す医師の姿はさわやか。暗闇に一条の光をみる思いだ。 (吉)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070114/mng_____tokuho__000.shtml