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「2008年1月 7日 (月)
デフレ下で行う増税や歳出削減が、いかに馬鹿げているか(小野盛司)
(※日本経済復活の会(http://tek.jp/p/ ) 小野盛司会長の記事、第三弾です)
長引くデフレのお陰で、日本が急速に貧乏になりつつあることに気付いているだろうか。内閣府の発表によると、世界のGDPに占める日本の比率は1999年度の17%から2006年度9.1%に、つまり半分近くにまで下落した。かつて、世界一だった一人当たりの名目GDPが18位まで落ち込んだ。IMDの発表によれば、世界競争力は1989年から1993年まで5年連続で日本は世界一だったが、いまや24位まで落ちている。
滝実衆議院議員は質問主意書で、日本経済のこのような没落の原因を質問した。政府の答弁は次の通りであった。
『平成十年から平成十七年にかけて、世界の名目GDPに占める日本の比率が低下している主な要因としては、世界経済が順調に成長する中で、日本経済がデフレ状況にあったため、名目成長率が相対的に低かつたことなどが挙げられる。政府としては、これまで、各年度の「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」や「構造改革と経済財政の中期展望」等に基づき、適切な経済財政運営に努めてきた。』
要するに、デフレのために日本経済が没落したが、政府は「適切な」経済財政運営を行ったのだそうだ!?世界中でデフレに苦しんでいる国は日本だけだ。デフレでは、お金がブラックホールに吸い込まれるがごとく、どんどん消えていき、国がどんどん貧乏になる。なぜ、日本だけが貧乏にならなければならないのだろうか。
金本位制の時代にはデフレになることがよくあった。世界大恐慌や昭和恐慌などが有名だ。兌換紙幣を発行し、貨幣をいつでも金と交換できる金本位制の下では、発行できる通貨の量が限られてしまう。通貨を発行し過ぎると、その通貨を交換しようとする人が増えて、政府の金を全部買い取られてしまうからだ。お金の量が増やせないときに、経済が拡大して生産力が増大すると、お金が足りなくなってデフレになる。折角、売る物が沢山あるのに、国民はお金を十分渡されていないから、物が余り、投げ売りが発生しデフレとなり、経済の発展が止まり国は貧乏になる。
世界恐慌の際、早期に金本位制を採用した国の経済はデフレに陥り、金本位制を採用しなかった国、あるいは早期に金本位制から離脱した国の経済は比較的堅調な成長を維持したのである。日本は高橋是清蔵相の改革のお陰で、金本位制から離脱し、大規模な景気対策を行ったお陰で、いち早く景気回復をなしとげた。通貨管理制度は通貨を国が自由に発行できる制度で、これにより経済の限りない発展の道を開く改革であったと言える。経済発展のためには、通貨を徐々に増やしていかねばならないわけだから、この改革は極めて重要な改革だったし、毎年通貨を適量だけ発行し続けていけば、経済は発展し、国民は豊かになり、デフレ経済には絶対にならないのである。
なぜ、日本だけがデフレになったのかと言えば、理由もなく通貨発行を拒否し、わざわざ国を貧乏にする道を選んだ唯一の愚かな国だからである。日本だけが、通貨管理制度を放棄し、旧態依然の金本位制まがいの制度に逆戻りしている。デフレになったら、通貨発行をしてデフレから脱却は簡単にできるのに、それを拒否してどんどん貧乏になっている。それを海外の識者は、あきれて見ているのが現状だ。
ノーベル経済学賞をもらったスティグリッツ、クライン、サミュエルソンやバーナンキFRB議長など、経済学における世界トップのアドバイスは、日本に対し、通貨発行し、それを財源に減税や、医療・福祉・教育・公共投資など、国民に必要な政策に使いなさい。そうすれば、国も豊かになり、財政も健全化し、デフレも止まる。本当の意味の通貨管理制度に戻りなさいということだ。
何がいけなかったのかと言えば、国債は国の借金であり、将来税金で返さなければならないものと説明したのが、実は通貨管理制度を放棄せよという説明になっているのだ。通貨を発行する仕組みは、国が国債を発行し、それが市中に流れ、それを日銀が買えば、その引き替えにお金が出ていく。つまり通貨を発行するには、国債を多く発行しなければならない。それが悪いことだとしてしまったら、通貨管理制度を拒否し、昔の金本位制のような通貨発行に制限が掛かる制度に逆戻りすることを意味する。経済拡大のためには、それに見合った通貨の量が必要であることは、世界中の人が理解しており、そのためには、発行する国債を増やしていく必要があることも理解しているのだが、日本だけは、国債は国の借金だからよくないものと勘違いしている。これでは日本だけが貧乏になっていくしかない。
1930年、日本は金本位制に復帰した。それをきっかけに昭和恐慌と呼ばれるデフレを引き起こしたのは、浜口内閣であったが、当時の蔵相井上準之助は1929年9月に『国民経済の立直しと金解禁決行に就いて国民に訴う』において次のように書いている。「借金として歳出を図っているというような不健全なことを止めてしまって、借金もせずに、バランスを合わせて、この財政上の状態を立て直すつもりであります。」彼の均衡予算の考えは、景気を悪化させ、税収を落ち込ませ、それが財政を悪化させた。現在のデフレとそっくりの状態に陥った。
それを救ったのが、1931年、犬養内閣で、高橋是清による大規模な景気対策であった。1933年には実質GDPの伸びは10.1%にも達し、世界における日本の輸出のシェアも1930年の2.7%から1935年には3.6%にまで上昇した。現在の日本でも日経新聞社の日本経済モデルによる試算では、大規模な景気対策を行えば同様な結果になることが分かっている。
日本が果てしなく貧乏になる前に、計量経済学の分析を基に、しっかりとした経済対策を行うべきではないだろうか。(小野盛司)」
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