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2008年01月05日
国民力の元年にしたい
いきなり唐突な言葉を持ち出して恐縮だが、今年の政治を語るキーワードとして「国民力元年」という言葉を思いついた。その意味は、今年が「国民が政治の主役になる年」の始まりになる、いやそうしなければいけない、という意味である。
国民と言っても様々だ。しかしここで私が言う「国民」は、テレビやメディアで勝手なことを書いたりしゃべったりしながら優雅な生活をしている国民ではない。もちろん政治家や官僚や財界人のごとくこの国を食い物にしている連中の事ではない。非正規労働者や失業者、若者や高齢者などは勿論、日々の生活に追われるこの国の大多数の善良で沈黙している一般大衆の事である。
なぜ私が「国民力」という言葉を思いついたか。それは小沢民主党が昨年の暮れから急に「国民の生活を守る」という言葉を使い始めたからだ。もちろんこの言葉は昨年7月の参議院選挙のキャッチフレーズであった。しかし小沢代表がこの言葉を急に頻繁に使いだしたのは大連立構想が頓挫してからであった。つまり大連立構想が国民によって拒否されるや、180度方向転換をして選挙で政権交代を取るしかないと覚悟を決め、照準を「国民の生活」に合わせたからだ。
以来小沢氏の発言の中には、国民の生活、国民の怒り、国民の声、と言った言葉が連発される。そしてその真骨頂は年明け早々に発売された週刊プレーボーイ(1月21日号)のインタビューにおける次の言葉である。
「・・・我々民主党は、安全保障も市場原理、自由競争もいいけれど、まずは国民の生活を守る仕組みをきちんとつくると言っているんです・・・国民が声をあげないでこのまま解散しなかったら、あと2年間我慢するしかない。でもあと2年このまんまだったら、日本はメチャクチャになっていると思う・・・」
元自民党政治家の小沢が、若者向けの週刊誌に登場してここまで言わなくてはならないのである。国民力の凄さに感づいているからだ。
そして、この小沢民主党代表の攻勢に対抗するかのように、とうとう福田首相までもが1月4日行われた年頭記者会見において、国民の生活が一番重要である、ときっぱりと言い出した。年金問題、薬剤肝炎問題で示された国民の反発と支持率急減に脅えた結果である。
付け足して言えば、1月5日の朝日新聞政治欄において、自民党の山崎拓元幹事長が4日の福岡市の講演で、「生活者の視点に立つ勢力も含み、新しい政治の核が必ずできる」と話したという小さな記事があった。もはや国民最優先の政治のオンパレードである。
公明党、共産党、社民党らはすっかりお株を奪われてしまった格好だ。しかしこれらの政党にとって「生活者、消費者重視の政治」に異論があろうはずはない。
かくして今年は「国民力」が問われる年になる。「国民力元年」と私が名前をつけたゆえんである。
ならば我々はその国民力を今年こそ政治家たちに見せつけなければならない。国民力の中心となるのは若者、団塊世代、老人である。彼らはその立場、境遇、思想においてバラバラかも知れない。それどころか世代間格差、世代間対立の中にあるのかもしれない。しかし彼らは等しく官僚主導のこの国の政治の犠牲者なのだ。行き詰まった今の政治を打破しなければ未来はないという点で一致している。会社人間から解き放たれ、政治的に自由になった団塊の世代は今こそ自立した政治的行動を取らなければならない。政府から切り捨てられる老人たち、今こそ生命を脅かす政策に怒らなければならない。そして真っ先に搾取の犠牲者にさせられるの若者たち、そのエネルギーを政治変革にぶつけていかなければならない。間違っても「希望は戦争」などとマスコミに持ち上げられて、踊らされてはいけない。
どうすればいいか?選挙で自公政権を交代させることだ。当然だろう。永久政権政党であった自民党が日本をここまで行き詰まらせたのだ。その自民党と偽装結婚をしてこの国を左右してきた公明党が日本の政治を歪めたのだ。小沢民主党が嫌いでも、護憲政党がかったるくても、自公政権をこれ以上延命させるよりはましなのだ。政変を起こす。その事で何かが変わる。変わらなければ何度も政変を起こす。それは世界の流れである。
今年は国民力元年となる。いやそうならなければ日本は世界から取り残されていく。
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