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「2008年1月 4日 (金)
国策パラダイムの転換と国策捜査
2007年は“偽装”に明け暮れた年であった。耐震強度偽装は2005年の後半に発覚し、それ以来、食品や粉飾決算、年金のこと、さまざまなところで偽装事件が矢継ぎ早に起こっている。偽装の濫発は、社会のタガが緩んだと一言で言い切ってしまえばその通りなのであるが、深く考えると、日本の戦後体制そのものが一つの大きな偽装であったと言えなくもない。日本は大東亜戦争敗戦で東京裁判を甘受し、GHQの洗脳放送によって精神に偽装を施されたまま六十数年間を過ごした。そういう大きな枠で戦後日本の歩みを考察することは重要だと思う。昨今、さまざまなジャンルで頻発する“偽装”とは、きわめて悪質な社会的作為性のことである。偽装は戦後からそれなりにあったとは思うが、昨今のそれは桁違いに激化しており、より深刻な悪影響を社会に及ばしている。
その根本的な理由を見出そうとすれば、それは倫理規範の崩壊(モラル・ハザード)にほかならない。これがなぜ起きたのかという説明は実は簡単なことだ。一言で言えば公的感覚の極限的鈍磨である。それはここ数年、国家を挙げて急激な伝統意識の破壊に向かったからだ。このために、尊属殺人やその他の異常な犯罪がうなぎ上りに頻発する事態に陥った。このモラルハザードの原因を歴史や経済から把握しようとすれば、ブログの一ページでは到底説明できない要因が輻輳しているが、実はこれをかなり明確に解き明かしている有識者がいる。その前に、小林よしのり氏やその他の多くの人たちが、戦後民主主義の価値相対主義、伝統意識の断裂性、共同体意識の溶解などを見事に説明している。私も基本的にはそういう見方に賛同する者だが、戦後日本の位相を左右思想の対置構造として見る見方とともに、もう一つは経済思想的に見る見方があることを最近知った。そしてそれは左翼右翼の両思想間の拮抗対立とは異なった思想的地平を持っている。そのことは、経済学博士の丹羽春喜先生の著書である『謀略の思想「反ケインズ」主義』(展転社)という著書に鮮明に描かれている。
この本の内容については、あらためてブログで公開するつもりであるが、丹羽先生は戦後の日本経済を席巻した思潮は、マルクス主義陣営と新古典派の共闘関係であったと喝破している。今これらを詳しく説明する暇はないが、マルクス主義と新古典派(新自由主義)のタイアップという概念は、戦後的価値を分析する上で非常に重要だと思い至っている。つまり、冒頭で申し上げたように、昨今、ジャンルを横断して頻出する偽装事件の真因は、戦後民主主義と言われるものの枢要な部分を占めていると思うからである。新自由主義(ネオリベ)と言えば、その最も先鋭的な政策を強行した小泉政権を指弾せずにはいられない。今更説明するまでもなく、小泉・竹中構造改革のせいで、無辜の企業や国民がどれほど痛めつけられているか、自殺者は後を絶たない状況だ。その影響はいまだに苛烈に残存し続けている。わかりやすいところで言うなら、マルクス主義と新自由主義における同根の共通点は底知れぬニヒリズムである。新自由主義の思想的地平を極左急進的虚無主義と言ってしまえば、左翼思想の最も過激な形となってしまうが、新自由主義を包括的な意味で左翼と定義してしまえば、従来の単線的な左右思想の対置構造から抜け出ることは難しい。従って、新自由主義を独立した思想体系、すなわち「反ケインズ主義」思想と捉えた方が問題の本質が明確になると思われる。
私個人はマルクスについては不勉強ではあるが、通俗的な説明にあるように、この思想体系が人類にとって全否定するべきもの、すべてが有害であるとは思っていない。これを一種の社会哲学としてみるなら、人類社会の構造を明晰に捉えていて、社会学的な思考方法にとっては有益な面がかなりあると思う。佐藤優氏もそうだが、明晰な思考体系を有する方々にはマルクスを深く勉強した人が多いことがそれを物語っている。佐藤氏の場合はキリスト教神学も学んだようだ。私のような浅学菲才が言うべきではないかもしれないが、聖書体系と、マルクス・ドグマは、神があるなしの違いで、世界観としては似通っているように思う。たとえば「共産党宣言」綱領で言う階級闘争史観や、革命は人類全体の解放を目指すという考え方は、新約聖書の贖罪の事跡を思わせるし、旧約聖書で繰り返し教訓的なモチーフとなって出てくるイスラエルとエジプトの霊的な対置は、共産主義で言うところのプロレタリアとブルジョアジーの関係を想起させる。従って、マルクス主義に浸透する底知れぬニヒリズムは神の不在、すなわち究極の唯物史観である。
同様に新自由主義にも底知れぬニヒリズムが存在し、そこには虚無的な無政府主義の実現に直結する衝動が起こる。いわゆる『小さな政府』論は効率の面や透明性の面で肯定的に使われる場合が多いが、新自由主義の動力学では大多数の国民を有する国家の否定につながり、国家もどきの枠を武力で維持する勢力は巨大資本を有する特権階級である。佐藤優氏は『国家と神とマルクス』で、アメリカ型の新自由主義の内在的論理を把握するためには、国際経済の解説書よりもマルクス経済学の理論書が役に立ったと言っている。その中で、マルクス経済学に課税論理がないことはマルクスが国家を捨象しているからだと。つまり、マル経もアメリカ型の新自由主義も徹底的に国家を敵視していることが特徴である。人間は国家を否定すると歴史感覚から浮遊して現在性に揺曳し、自己同一性の危機に陥る。西村真悟氏風の言い方を借りれば、それは歴史の背骨(せぼね)の喪失である。
私は丹羽春喜博士の言う、国民をマインドコントロールしている反ケインズ主義の謀略も、佐藤優氏の言う小泉政権下における国策パラダイムの転換も、本質的に同じものを捉えていると思う。反ケインズ主義の思潮は、丹羽博士によれば1970年代から我が国を席巻しており、それは小泉政権下でより先鋭化したということである。これはただ単に日本の経済成長を押さえ続ける謀略が進展しているという意味に止まるだけではない。新自由主義とマルクス主義(世界観という意味で)の共闘が日本人の精神性に深刻な破壊をもたらしていることを意味する。ただ、奇異なことに、小泉政権以降では日本共産党が新自由主義の反国益性を糾弾している。その舌鋒は民主党よりも的確さを持つように思える。最近、労働者共産党の機関紙『プロレタリア』という理論誌を読んでみた。新自由主義阻止と憲法九条改正反対について言及していたからだ。基本原理ではマルクス主義を旨とする共産党は新自由主義とは理念的に強い親和性を持つはずであるが、どういうわけか、日本共産党が新自由主義を的確に攻撃していることは興味深い現象だと思う。新自由主義は富の再配分を滅茶苦茶にして福祉のセーティネットを壊した。
話をメディアの問題に移そう。神保哲生氏によれば、我が国のメディアは例外なく軒並み根こそぎ“やられて”いて、公器としての報道バランスを喪失している。このような陰惨なメディア背景の中で、小泉政権のように、アメリカの陰湿な圧力によって国家の政策の方向性(国策パラダイム)が変わった場合、それに反する考え方を持った有識者が国策捜査によってその名誉や社会的信用性が剥奪されることになる。私は一昨年以来、エコノミストの植草一秀さんの擁護に関わって、その現実をまざまざと見せ付けられた。明らかに大衆的メディアは検察の意向に沿って、植草さんのありもしない犯罪をこれ見よがしに世間に垂れ流し続けた。これも典型的な大衆へのマインドコントロールであり、イメージ操作さえ成功すれば事実の検証などはどうでもいいという暴虐であった。これも反ケインズ主義の謀略の一環である。
また2005年の11月28日には衆議院議員の西村眞悟氏が弁護士法違反で逮捕されたが、私はこれも明らかに国策逮捕であると確信している。氏が逮捕勾留された翌月の12月、北京の日本大使館では、日朝間の事務レベル協議が行われたが、そこの議題は、拉致問題と核問題、そして過去の清算を含む日朝国交正常化を三者併行して協議して行く事が合意されたのである。つまりはこういうことである。三種類の協議議題を併行させて進むということの真意は、拉致問題と国交正常化の緊密なリンクを解除するということにあった。
すなわち、問題を個別に恣意的に協議していくということであり、この時点の政府の意向は国交正常化だけを先に行うという方向性があったのである。すると日本の膨大な税金が賠償金として北朝鮮に払われかねなかった。西村氏がそのような売国的行動を看過するはすがない。外務省が半島系に支配されているという噂が事実なら尚更である。それが西村氏を国策捜査にかけて活動を封じたことの第一の狙いであろう。それに彼の普段からの愛国的言辞は、アメリカに彼を要注意人物として注目させていたに違いない。また、当時自由党に在籍していた西村真悟議員が、平成15年2月28日の予算委員会で、塩川財務大臣に、日本経済復活の会の小野盛司会長が著した『政府貨幣発行で日本経済が蘇る』から、小野氏シュミレーションを引用し、政府が持っている政府貨幣発行特権(セイニアーリッジ)を使えば、デフレから脱却でき、失業率も低下、結果的に不況から脱出できるはずだと質問している。案外、これが反ケインズ主義者の逆鱗に触れていた可能性は高いのだ。
この時もメディアは西村氏の拉致問題の功績やその他の功績は無視して、センセーショナルに弁護士法違反だけを報じて彼のイメージ低落を狙った。ここ二十年間は特にケインジアンの有識者は一線から排斥される傾向にあり、小泉政権以降に至っては、排斥されるどころか、犯罪者として国策捜査の毒牙にかけられてしまうようである。これは売国の小泉政権によって国策のパラダイムが新自由主義に転換したからである。そういう背景で、マスコミを動員した国策捜査が頻発することになる。」
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2008/01/post_6909.html
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