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2008年01月04日
「声なき声に応えたい」と年頭に誓う読売新聞社会部長
「国家的犯罪から身の回りの病理現象まで・・・記者の一人ひとりが追及すべき悪の対象を胸に秘め、取材している。あとはいま書ける事を書き切るだけだ。過去の苦い悔いを繰り返さないように・・・声なき声の代弁者でいたい・・・」
これは年頭にあたって読売新聞社会部長の中井一平という記者が1月4日の読売新聞朝刊に寄せている誓いである。
その言やよし。読売新聞の記者は本当にそれを実行してくれるだろうか。この一年の読売新聞の記事を私は注視して行きたい。
中井社会部長がこのような決意を書いた理由は、氏がかつて駆け出しの頃、横田めぐみさん拉致事件に関して、「国策も絡むのなら記事にできないか」と独り合点して取材のほこを収めたからだ。筆を折ったからだ。
その時の経緯を今思い返して、中井部長は次のように書いている。
・・・77年11月、当時中学1年生の横田めぐみさんが下校途中、北朝鮮工作員に拉致されたとされる自宅近くの道を、(海鳴りの)音に向かって進む。松林を抜け、荒波が打ち寄せる日本海が目に入った時、かぶさるように、ある光景が思い浮かんだ。
85年の秋口、東京都内の警視庁公安部の刑事宅。深夜、帰ってきた顔なじみの刑事が、玄関先で沈んだ声で言った。
「急に、『もういい』となった。何なんだろう」
門灯の薄明かりにも、さえない表情はうかがえた・・「上の方」から捜査にストップがかかったという。
「政治的な思惑らしい。でも日本人が無理やり、連れていかれているんだよ」。刑事はいつしか涙声 になっていた。そのころ大物政治家が日朝の関係改善に動いていた・・・
こう書いたあと、中井部長の前掲の言葉が続く。
「国策が絡むのなら記事にでできないか」。真偽は確かめられないまま独り合点して取材のほこを収めた。」
そして、中井部長は次のように更に続ける。
「あのとき書いて世に訴えていれば」、「いや、それでどうなったか」。悔いと言い訳が胸中で交錯した。年を重ねるごとに膨らむのは悔いの方だ・・・
ならば中井部長にお願いをしたい。今からでも遅くない。たかだか20年ほど前の話だ。あの時どのような配慮から拉致問題を不問にするという政治的判断がなされたのか。その判断を下した政治家たちは誰か。その政治家の判断に黙って従った警察庁や外務省の官僚たちは誰か。
その政治家たちが今も口をぬぐって残っている限り、そしてその官僚たちの体質が今の官僚に受け継がれている限り、拉致問題の真の解決はおぼつかない。
そして何よりも、あなたが、「声なき声の代弁者になりたい」と本気で年頭に決意をしたのであれば、今からでも遅くない。当時知りえた事実を包み隠さず書くことだ。当時の同僚記者たちに呼びかけて、国民には殆ど知らされていない拉致問題の真実を国民に知らせることだ。
一般市民の「声なき声に応える」事は、決して難しい事ではない。本当にその覚悟があるのならば。
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