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2008年世界マーケットの「期待の星」は日本だった!
不安高まる2008年の始まり
サブプライム・ショックによる不安が高まりこそすれど、消え去りはしない中、2008年(平成20年)は不気味な形で始まった。思い返してみれば、昨年の1月、「これから2度の瓦落(がら)がマーケットを襲う」と想定できただろうか。
私自身について振り返ってみると、いわゆるチャイナ・ショック(2月末)については、金融インテリジェンスを駆使して的確に予測分析を公表することができた。他方、それに続くサブプライム・ショックについては、ヘッジファンド規制をめぐる攻防で不協和音をたてはじめた米欧関係、さらにはNY市場から欧州の名だたる企業たちが上場廃止(つまり「キャピタル・フライト」)し始めたことなどから、初夏には世界的な下落となると予想。実際のところ、これはずれ込み、8月からの下落スタートとなったのである。
いずれにせよ、重要なのはあらためて1年のスタート地点に立った今、「これからの1年、マーケットは一体どのように展開するのか?」を冷静に見通すことだろう。
そんな中、思いだすのが某ドイツ紙が昨年1月に掲載した記事である。「今年はドイツで金融再編が生じるであろう」と記すその記事は、やがてサブプライム・ショックを通じ巨額の損失を出したドイツの地銀勢に対する米系ファンドの猛烈な「買い」となって現実のものとなった。
そのことを思い起こせば、昨年末の段階で、欧州メディアが今年のマーケットにおける展開をどのように見通していたのかをチェックすることは、あながち無意味なことではないだろう。
欧州勢の「声」を聞く
世界中の経済・政治ニュースを選りすぐり、公式ブログでIISIAデイリー・ブリーフィング(無料)を出している私の目でチェックしてみると、いくつかの「メッセージ」に気づくことができる。
たとえばドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙に掲載された記事「発券銀行をめぐる突発事故」(2007年12月23日付)では、2007年後半から生じてきたマーケットの変調は、サブプライム、あるいは米国不動産マーケットの転調だけによるものではないとする。むしろ、各国の銀行が相互に不信を募らせた結果、世界的な「信用の収縮」、つまりマネーの欠乏が生じてしまったことにその原因があるのだとしている。
もっとも重要なのはここからだ。この記事では、2008年の第1四半期には、早ければこうした銀行間の「不信」も解かれ、正常化するだろうと述べているのである。楽観的に聞こえるものの、あながち納得できないわけではない。
なぜならば、現在起きているショックが、大統領選挙を前にして「選挙相場」となっていた米国マーケットにけん引される体制から、そうではない別のけん引役への変動に伴うものだからだ。
この点について、たとえばスイスのノイエ・チューリッヒャー紙掲載記事「不況の回避を期待して」(2007年12月24日付)は、米系投資銀行による分析を引用する形で、「米国経済は衰退するかもしれないが、その分、東アジアが世界経済を引っ張る役割を担うので相殺される」旨を述べている。つまり、「選手交代」が明らかとなり、マネーが東アジアに向けて流れ始めれば、もはや不信が不信を呼ぶ現在の展開に、終止符が打たれることになるだろうというのである。
「期待の星」は日本だったという真実
1月19日に東京、26日に大阪、27日には名古屋で開催する拙著の新刊記念講演会(無料)では、その辺りの事情も踏まえつつ、2008年における世界マーケットとそれを取り巻く世界の見通しについてお話できればと思う。
このように東アジアに期待が集まっている中、実は最も熱いまなざしが向けられているのは、何を隠そう、私たちの国=日本のマーケットなのである。金利引き上げが既定事項となり、「円」が高くなる一方で、構造改革という「破壊ビジネス」の展開により、それなりに風通しがよくなった日本。ファンダメンタルズは決して悪くはないのに、新興市場を中心に、あまりにも「割安」なレベルに株価は放置されてきている。
「最後に選ばれたのは日本だった」。このことは、昨年12月末に米国で断念された「サブプライム救済基金」の出資を、最後の最後に日本のメガバンクが求められたことからも明らかだろう。
米国の「越境する投資主体たち」は、もはや自分たちだけで後始末をつけることができない状況になっているのだ。その一方、いわゆる「失われた10年」の中で完全にフリーズしてしまったジャパン・マネーが実は眠る日本は、まさに「黄金の国・ジパング」である。
日本には「灯台下暗し」という格言がある。はたして自らがそうなっていないか、私たち日本の個人投資家は、今こそ襟を正さなければならないようだ。
[新世紀人コメント]
チャイナの福田首相に対する”異様な?歓待ぶり”は勿論のことであるが冗談や酔狂によるものではなかろう。
冷徹なチャイニーズの行いは正直であるとも言える。
感情に走りがちな日本人の特性による行動は判りやすいようではあるが実は不安定で捉えがたいともいえるわけだが、チャイニーズは全く異なる。
小沢も福田も歓迎された訳だ。
チャイナ外交は味わい深い。老酒の味のようだ。
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