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2007 鬼籍に入った政治家
12月24日8時1分配信 産経新聞
■戦後政治の終焉…保守本流の宮沢喜一氏、革新本流の宮本顕治氏
夏の参院選での自民党惨敗に衆参「ねじれ国会」時代への突入、安倍晋三前首相の電撃辞任…。政界で混乱が続いた平成19年、戦後日本政治の「両極」を歩んだ自民党の宮沢喜一元首相、共産党の宮本顕治元議長ら多くの政治家たちが逝った。「戦後時代の終焉(しゅうえん)」をまた印象づけた1年でもあった。
経済通、国際派として知られた宮沢氏は6月28日、87歳で死去した。「保守本流の旗手」として早くから頭角を現し、外相、蔵相など要職を経て平成3年11月、第78代首相に就任した。所信表明演説では「真に先進国家と誇れるような活力と潤いに満ちたずっしりと手応えのある『生活大国』づくりを進めていきたい」と述べたが、「生活大国」は流行語になるほど国民に定着した。
5年6月、政治改革をめぐって野党から提出された内閣不信任決議案が党内の造反もあって可決されたため、解散・総選挙に打って出たが、過半数割れとなり内閣退陣を余儀なくされた。自民党一党支配に象徴される55年体制が終わった。
9条改正に慎重な「護憲派」の代表格であったが、その手腕の評価は高く、金融システム危機に直面した小渕内閣では、日本経済の再生役と期待され、蔵相として異例の再登板を果たした。
宮沢内閣で官房長官も務めた加藤紘一元自民党幹事長は「サンフランシスコ講和条約を忠実に守る現実的指導者だった。レジーム・チェンジが反米につながるということを分からずに話すことが、いかに危険かを心配しながら亡くなったのではないだろうか」と語る。
戦後、宮沢氏が「保守本流」を歩んできたのに対し、その対極といえる「革新本流」を突き進んだのが宮本氏だ。同氏は7月18日、98歳で不帰の客となった。
戦前、戦中の12年間を獄中で過ごしたが、戦後約40年にわたり日本共産党のカリスマ的最高指導者として君臨し、「革命政党」の礎と歴史を築いた。
党が武装闘争を含む極左主義から転換した昭和33年の第7回党大会で書記長、45年には委員長に就いた。57年7月、議長に就任したが、平成9年9月、名誉議長となり一線を退いた。対外的には「自主独立路線」を掲げ、旧ソ連、中国両共産党との関係を絶った。
不撓(ふとう)不屈神話を利用し、対立分子を容赦なく除名していく粛清手法により、一枚岩の「宮本共産党」を構築した。宮本氏に見いだされ党最高幹部に上りつめた不破哲三前議長や志位和夫委員長も、その独善的党指導の下で育成されたリーダーにすぎないといわれる。宮本氏を「戦後の闇の歴史を背負った最後の大物政治家の一人」と共産党ウオッチャーは評する。
中曽根康弘元首相とレーガン元米大統領の「ロン−ヤス蜜月時代」の黒子役といえた椎名素夫元参院議員は3月16日に亡くなった。昭和60年代の航空自衛隊の次期支援戦闘機(FSX)開発をめぐる日米交渉も陰で支えた。政府で要職に就く機会こそ恵まれなかったが、「日本の防衛力向上と日米関係への支援」の功績で、米国務長官特別功労賞を日本人として初めて受賞した。
10月28日に死去した藤波孝生元官房長官は、将来の首相候補と嘱望されていた。しかし、リクルート事件で受託収賄罪に問われ、有罪判決を受けた。
運輸相などを歴任した元自民党衆院議員の江藤隆美氏は11月22日、ベトナムで客死した。村山内閣当時、日本の朝鮮半島統治に関する発言で総務庁長官を辞任した。
元タレントで大阪府知事も務めた横山ノック氏(本名・山田勇)は5月3日、帰らぬ人に。昭和43年に参院全国区(当時)で初当選して政界入り。平成7年の大阪府知事選で当選を果たしたものの、11年4月の知事選期間中の運動員の女子大生への強制わいせつ罪で在宅起訴され、執行猶予付きの有罪判決が確定した。
農水相だった松岡利勝氏が自殺したのは5月28日のこと。事務所費問題などをめぐり国会で野党の集中砲火を受けていた最中で、現職閣僚の自尽は現憲法下では初めてだった。今振り返れば、松岡氏の死は9月の安倍内閣退陣への「始まり」であったかもしれない。政界混乱の1年を象徴する“事件”だった。合掌。
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最終更新:12月24日9時47分
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