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(回答先: このような決定は、少なくとも拉致被害者家族の方々には説明をしながら行うべきだ。本文なし。 投稿者 新世紀人 日時 2007 年 12 月 22 日 20:04:54)
http://www.enecho.meti.go.jp/e-ene/handbook/qa/010000/010100/010122/index.html
北朝鮮はなぜ軽水炉を導入しようとしているのか、その経緯について教えてください。
北朝鮮が当初開発を進めていた黒鉛減速炉は、核爆弾の製造を目的としたプルトニウムを作ることが比較的容易であるといわれています。一方、軽水炉からできるプルトニウムは、核分裂性プルトニウムの純度が落ちるため、核爆弾への転用がしにくいものとなっています。
今回の協力は、核不拡散体制を強化する目的から、北朝鮮の黒鉛減速炉の軽水炉への転換を図ろうとするものです。
1992年に国際原子力機関(IAEA)による特別査察の実施を拒否した北朝鮮は、1993年に核拡散防止条約(NPT)やIAEAからの脱退を表明するなど、核兵器開発疑惑が高まりました。その後の協議の結果、1994年10月、米国及び北朝鮮は、北朝鮮の黒鉛減速炉の軽水炉への転換などを柱とする枠組みに合意しました。
この軽水炉プロジェクトの実施などのための国際コンソーシアムとして朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が設立され、1995年12月に北朝鮮との間で原子力発電所を建設するための取り決めを締結しました。その内容は、100万kW級の軽水炉(PWR)2基を東部沿岸のクムホサイトに建設するものとなっています。
1997年7月に軽水炉起工式が行われ、2001年8月に敷地整備工事が終了、2001年9月に掘削工事開始のセレモニーが現地で開催されました。
2002年10月に、北朝鮮が核兵器のためのウラン濃縮計画を有していたことが明らかになり、その
後のNPT脱退宣言など北朝鮮の一連の言動を受けて、KEDO事業は2003年12月から1年間停止され
ることとなりました。
KEDO:The Korean Peninsula Energy Development Organization
主要関連事項の経緯 1978年 北朝鮮、第2次7か年計画開始 1985年 北朝鮮、核拡散防止条約に調印 1987年 北朝鮮、第3次7か年計画開始 1992年 朝鮮半島非核化共同宣言 北朝鮮、IAEAと保障措置協定に調印 北朝鮮、IAEAによる特別査察を拒否 1993年 北朝鮮、核拡散防止条約脱退を宣言 核兵器開発疑惑問題が表面化 1994年 北朝鮮、国際原子力機関脱退 1994年10月 北朝鮮、軽水炉への転換についてアメリカとの枠組みに同意 1995年 3月 日本・米国・韓国の3か国、KEDOを設立 1995年12月 KEDO及び北朝鮮、軽水炉供給取極めに合意、署名 1997年 8月 KEDO、軽水炉敷地造成の起工式 1997年11月 軽水炉建設費見積を52億ドルに決定 1998年 6月 軽水炉建設費を46億ドルに修正 韓国「7割」、日本「10億ドル」を表明 なお4億ドル不足 1998年 8月 米国は北朝鮮の寧辺の北西KMに核開発疑惑地下施設を察知、11月に地下施設問題で第1回米朝会議 1998年 10月 日本は費用分担に関するKEDO理事会決議に署名 1999年 1月 韓国は2003年までに2基の軽水炉建設は不可能との見とおし発表、同月に寧辺の各施設で96年より続いてきた使用済み核燃料の密封作業完了。 1999年3月 第4回米朝会議で地下施設立ち入り合意 2001年8月 建設現地の敷地整備工事が完了 2001年9月 建設現地で掘削工事開始のセレモニー開催 2003年12月 北朝鮮の核開発発覚等により1年間停止
〔出 典〕 「原子力白書 平成15年版」 「原子力年鑑2004」
〔関連資料〕
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