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2007年12月21日
年金問題と薬害問題に共通するもの
テレビに映し出される薬害肝炎の原告団は圧倒的に女性が多い。それは被害者の中には出産時に非加熱製剤を止血剤として投与され、感染した者が多いからに違いない。
しかしそれだけではないと思う。不正義に対し、自らの犠牲を省みず闘う強さが女性にはあるのだろう。保身や世間体に右顧左眄する世の男には真似の出来ない純粋さがある。潔さがある。
世の中の母親たちよ。そしてすべての女性たちよ。いまこそ彼女たちの支持者となって男どもが動かすこの国の政治を変えなければいけない。
薬害問題の本質は何か。それは、政府・裁判所が示す和解案が、国や製薬会社が危険性を認識していたのに必要な対策をとらなかった85年8月―88年6月の期間に責任を限っているのに対し、被害者たちの求めるものは、国や製薬会社の責任はそのような狭義の、形式的な責任にとどまらず、被害者は等しく生命軽視の態度からくる、国、製薬会社の過失、不作為責任の犠牲者であると主張し、皆平等に救済されなくてはならないとする点である。
それは、突き詰めて言えば、薬害被害者の認定をめぐる技術的問題や、その範囲が無限に広がることへの財政負担を盾にとる国と官僚の論理に対し、そのような姑息で責任逃れの態度こそ、罪のない国民を犠牲にした元凶であるとする、常識論、根本論のぶつかり合いなのである。
政治決着というのは、技術的、理論的には一見正しく見えても、根本のところで保身的、責任回避的態度から導き出される結論を、庶民、国民、弱者の視点にたって上書きする決断の事である。
年金問題と薬害問題に共通して言えることは、国の責任で犠牲者を明確にしなければならないのにそれを被害者の責任に転嫁する。そして膨れ上がる財政負担のおそれを盾に、責任範囲を限定することである。そのあやまりを正し、限られた国の予算を予算編成で責任を持つ、たとえば1機216億円かかる米国製の戦闘ヘリコプターの購入をやめる(21日読売新聞)、そういう覚悟をするということだ。福田はもとより枡添えさえも、そのような政治家でなかったということだ。官僚の延長の政治家でしかないということだ。
12月21日の読売新聞に官僚を評価する際に性善説にたつか性悪説にたつかで福田首相と石破防衛相の間で違いが見られる、という記事を見つけた。よくあるくだらない禅問答だ。その問いに正しい答えなどあるはずは無い。
しかしこれだけははっきり断言できる。官僚は、キャリアもノンキャリアも等しく責任逃れをする。保身に走る。なぜならば少しでも正義感のある官僚ならば、いずれ行き詰まって辞めていくからだ。官僚を続けられるということは、保身や現実的打算を優先するあまり目の前の不正に目をつむる厚かましさを持てる者たちである。
その事を批判する資格はだれも無い。しかしそのような者ばかりが残る官僚組織にまともな仕事が出来るはずはない。間違いは放置され、繰り返される。年金問題や薬害問題の本質はまさにそこにある。
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