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http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10061311079.html から転載。
2007-12-21 08:58:52
gataro-cloneの投稿
学力テスト結果公表 地域内の差こそ問題 データ分析し解消策を―志水宏吉・大阪大学教授【日経新聞】
テーマ:格差問題
電子版では見あたらなかったが、公表された学力テスト結果に基づく論評を、志水宏吉・大阪大学教授が日経新聞に書いておられる。傾聴すべき観点である。 以下は、楽天ブログ「賃労働」からの転載。ただし色文字等は gataro による。 ========================================== 2007.12.19 全国一斉学力テストの結果を受け、大阪大学の志水宏吉教授は、日本の学力問題は、地域間格差から地域内格差の時代に移行したと指摘する。 英の失敗教訓に 思い出されるのは、英国での出来事だ。私は1990年代初頭に英国で研究を行っていた。そのときに目撃したのが、ナショナルテストと呼ばれる全国一斉学力テストに振り回される教育現場の混乱振りだ。「学校選択の自由」を認められた保護者の多くが、公表されたテストの結果・点数に基づいて学校を選ぶために、「頑張ってはいるが成果の出ない学校」の人気が地に落ち、閉校や廃校の憂き目にあう公立学校が少なくなかった。 単純比較は弊害 私には英国での経験から、第二の道のほうがよりよい選択肢に思える。学力テストの結果は、必ず独り歩きを始める。結果の公表は、点数による地域や学校の「序列化」を必然的に招き、「できない子の排除」とか、「テスト準備教育のまん延」などの望ましくない事態をもたらす。様々な条件の違いを考慮に入れないテスト得点の単純な比較は、メリットよりも弊害の方が圧倒的に大きい。 ------------------------ 学力の格差は経済力の格差に依存しています。
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学力テスト結果公表 地域内の差こそ問題 データ分析し解消策を 大阪大学教授志水宏吉 教育 日本経済新聞
第一に、知識を問うA問題では7−8割、知識の活用の仕方を問うB問題では6−7割の正答率に達したこと。第二に、家庭学習時間の増加や朝ごはんを食べる子供の比率の増加など、子供たちの生活習慣や学習習慣に一定の改善がみらられたこと。そして第三に、「地域間格差」がそれほど大きくないという事実が明らかになったこと。
都道府県別の正答率の一覧が報道され、各地に大きな波紋を広げているが、今回見出された都道府県間の格差は極めて小さいものと言ってよい。およそ40年前の調査と比べると、「学力の都道府県格差」は驚くほど縮小している。
しかし、問題がなくなったわけではない。
今回、興味深い結果が公表された。各学校の「就学援助率」と学力との関係である。「就学援助」とは、給食費や修学旅行代などの経費に関する自治体の経済的支援のことで、「就学援助率」とは「その学校における就学援助を受けている児童生徒の比率」である。
この就学援助率と学力との間に、かなりの相関関係があることが明らかになった。「就学援助率が高い学校ほど、平均正答率が低下」という顕著な傾向が認められた。言い換えるなら、校区の社会経済的な状況が、子供たちの学力に大きな影響を及ぼしているということである。
データが明らかにしたのは、かっての「地域間格差」の時代から、今日の日本は、「地域内格差」の時代へ移行しているということだ。「地域内格差」の時代とは、ある一定の地域内での「学校間格差」と、その背後にある「階層間格差」が顕在化する現代の状況を指し示す言葉である。
私はここ数年、いくつかの自治体の学力調査の分析に携わってきた。その中で確認したのは、以下の3点である。
第一に、学校が立地する地域の社会経済的状況が、子供たちの学力形成に及ぼす影響は思いのほか大きい。第二に、学校の学力向上の取り組みは校区の地域性や家庭の階層的背景の影響を強く受けざるをえない。第三に、それゆえに学校の取り組みの成果を評価するには、そうした要因を考慮に入れる必要がある。
このような事実が認識されていないと、つぎのようなことが起こる。経済的に豊かな地域に立地する学校では、仮に教師たちが全く学力向上に取り組まなくても、「学力の高い、よい学校」とみなされ、逆に、社会的・経済的に多くの課題を多く抱ええた地域に立地する学校では、教師が全力で学力向上に取り組んでもなかなか結果がでず、「学力の低い学校」というレッテルをはられてしまうという事態である。
全国学力テストの結果が公表された今日、日本は「学力新時代」を迎えたと言える。日本に教育界は、どこに向かって進めばいいのだろうか。
私には、二つの方向性があるように思える。第一の方向性は、テストの結果を広く公表することで競争状態を作り出し、学校の自助・経営努力のもとで、子供たちの学力を高めていこうとするもの。今ひとつは、「現場の力」を信頼し、テスト結果は学校の取り組みの成果を検証する内部的資料として使い、子供たちの学力の底上げを図っていこうとするものだ。
誰もが思うように、順番をつけるためだけにテストを行うことは愚の骨頂である。今回のような学力テストは、保護者らが、自分の地域や学校の具体的課題を把握し、それを自らの力で解決していこうとする動きを生じさせることにこそ、用いられるべきである。
最後に、テストを実施する文部科学省に、三点ほど要望を述べたい。
第一に、テストの実施自体に関して。今回のような悉皆(しっかい)調査、すなわち当該学年の全員が受ける調査を毎年実施する必要はない。全国の状況を把握するという趣旨でなら、せいぜい5年に一度で事足りるだろう。またその際にも、サンプリング調査で十分である。70億円余という莫大(ばくだい)な経費は、教師の増員等の他の学力向上の手立てに用いられるべきである。
第二に、テストの分析に関して。今回発表された分析結果は、ごく一部に過ぎない。文科省は今回得られた莫大なデータを、「格差の実態把握」をはじめとする多様な観点から分析し、施策に反映させる責務を負っている。結果の分析・検証を、都道府県に丸投げするわけにはいかない。
第三に、テストに基づく施策の展開に関して。英国では、97年に労働党が政権について以来、社会経済的なハンディキャップをもつ地域・学校に優先的に予算や人員を割り振り、学力の底上げをはかる政策を採っている。しかしながら、日本では、「格差解消」に向けての手立てはほとんど採られていない。
「格差に挑む」というスタンスが、今私たちに求められている。
(12/17日本経済新聞)
学校の序列化は様々の弊害を招きます。
学力テストの結果を権力者が自分の都合のいいようにねじまげて使わないで欲しいと思います。