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http://www.amakiblog.com/archives/2007/12/19/#000630
2007年12月19日
想像力を働かせて読む
思い起こせば1月4日にブログを書き始めて一年が経とうとしている。その間の思いとこれからの事については、近く連載で書き綴っていくつもりだ。
私のブログの原点は、誰にでも手に入る公開情報を通じて、少しでも真実に近づく事であり、そのためにはあらゆる公開情報にアンテナをめぐらし、それを自分の頭で考え、想像力を働かせて読む、そのヒントを読者と共有する事にある。
その為には私が目にした興味ある公開情報を、一切の解説をつけずに掲載したほうがいいのかもしれない。しかしやはりどうしても解説したくなる。自分の独断と偏見をそこに投影したくなる。そして文章が長くなる。
今日のブログは極力そのような解説を控え、記事の紹介を通じて読者の想像力に訴えようと、つとめて書いた。しかしこれが結構難しいのだ。果たして成功したかどうか。
1.COP13 「日本の姿、見えなかった」 (12月19日朝日新聞)
経済同友会の桜井正光代表幹事(リコー社長)が18日の記者会見で、地球温暖化防止への政府の対応に、次のように疑問を投げかけたという。政府の環境外交が、環境問題に消極的な財界人からも批判されているのだ。
「日本の姿が見えなかった」、「数量設定などの話で日本の主張が見えなかった」と桜井は述べたという。
姿が見えなかった理由は勿論数値目標に反対する米国と足並みを揃えたからだ。しかし12月16日の産経新聞は一面でポスト京都の国際枠組みづくりに向けて、米国が中国、インドなどの発展途上国のリーダーと協力してロードマップ(工程表)をつくる事になった、と報じている。そこには日本の名前はない。
本来ならばこれこそが日本が率先して行うべき環境外交である。真っ先に批判さるべき米国が、同じく数値目標に反対する開発途上国の親分である中国、インドを糾合し、新たな合意づくりに貢献する役割に転じているのだ。中国もインドも米国に協力するに違いない。
日本の姿が見えないのは、米国に追随して数値目標に反対したからではない。開発途上国との合意作りを率先して行うことなく、米国に追従するしか能のない外交に終始しているからである。その結果、米国に置いてけぼりを食わされ、日本の存在が見えないままに、それでも米国に従属していくしかない、そんな日本の姿がある。そこが問題なのである。
2.「レバノンは大シリアの一部」 (12月19日 朝日新聞)
シリアのメクダド副外相は17日朝日新聞記者との会見で次のように語ったという。
・・・(レバノンについては)「大シリアの一部」とみなして大使館を設置していないが、「シリアに敵対しない政府」が成立すれば相互設置を認めたい・・・
私は米国の中東政策に反対している。しかしその米国の中東政策に抵抗しているシリアが正しいとは決して思わない。シリアは巨悪米国に踊らされて来た卑劣な小悪国家である。レバノンとシリアにどのような歴史的繋がりがあるにせよ、いやしくも戦後独立国となったレバノンとシリアは、二つの独立した対等な主権国家である。それを、レバノン内戦のドサクサにまぎれてレバノンに軍事介入し、レバノン停戦の監視役と称して今日までレバノンを軍事占領してきたシリアという卑劣国家。その暴挙を黙認してきたのが米国である。シリアの暴力によってパレスチナの反米武装抵抗を抑えるのに役立ったからだ。自らの手を汚す事無くシリアに代理暴力を引き受けさせたのだ。
9・11以降米国の中東政策は一変した。もはや中東すべてを民主国家(米国の言うなりになる従米国家)につくり変え、中東を安全な地域にするしかないと考えた米国。だから一転してシリア独裁政権を転覆しようとした。しかしイラク戦争の混迷で再び政策を転じ、シリアを許し、見せかけの中東和平の片棒を担がせようとし始めた。なんの事はない。昔の政策に戻りつつあるだけなのだ。
メクダド副外相のインタビューの味噌は、中東和平の実現のためにシリアが米国やイスラエルとの関係改善をほのめかしている点だ。シリアは自らの生き残りのためには米国・イスラエルと手を結ぶ用意があるというメッセージを送っているのだ。
こうして、切り捨てられるのはパレスチナ人であり、なす術のない小国レバノンである。国際政治の現実がそこにある。
3.いま亡国の永田町の各政党事情(12月19日 日刊ゲンダイ)
これはもう解説はいらない。今の日本の正常を見事に言い当てている言葉である。大手新聞の政治記者はここまでは書けない。仕事に疲れて電車で帰宅するサラリーマンの憂さ晴らしタブロイド夕刊新聞、日刊ゲンダイならではの言い回しである。そしてそれはまさしく本質を突いている。
括弧書きは私が勝手に補足した言葉である。私は日刊ゲンダイのよきお抱え記者になれるかもしれないと思う。
「選挙に負けるのを恐れ現有勢力のまま悪政を強行する自民・公明党。参院第一党でありながら国民の期待通りには動けない民主党。弱小なくせに独善の共産党が肝心な時に自民党(を助ける役をする)。(そして)あってもなくても関係のないその他の政党。(年末の日本をおおいつくす日本の政情は)民主主義と程遠い現状、実情。
4.沖縄が沿岸案を飲まないなら見切り発車だ (12月19日 毎日新聞)
守屋前防衛事務次官が小泉元首相の意向と威光をバックに米軍再編を強行した事は既に明らかになっている。それを示す小泉元首相の言葉を19日の毎日新聞「守屋天皇の時代(上)」の中に見つけた。
普天間飛行場の名護市移設案修正協議が大詰めを迎えていた06年3月28日の夜の事だという。東京都内の日本料理店に小泉首相、額賀防衛庁長官、自民党の山崎拓前副総裁が集まり、その席に守屋次官も加わっていた。
沖縄住民の意向を一顧だにせず、勝手にブッシュ大統領に米軍再編への協力を約束してしまった小泉対米従属首相は、「普天間移転とその他の米軍再編の協議はパッケージ(一括同時決着)だ」と米国に脅かされ、普天間移設に合意してしまった。沖縄の住民が反対するからといって、今更米国に変更を迫る訳には行かない。そういう背景の中で発せられた小泉元首相の本音の声である。
・・・地元の意向を受けた山崎氏が大幅修正を求めたが、小泉首相は拒否。沖合いへ移動する距離をめぐる議論で「『1メートルではどうか』と山崎さんは言ったが、小泉首相は『1センチ』だと答えたという。そう守屋次官は証言したという・・・
ふざけた話ではないか。小泉発言はさらに続く。「守屋次官を続投させてくれ」、「(移設)工事を(早く)やれる(ようにする)事が肝心」、「環境問題はタブー。海に触るな。」
頭は空っぽだが、世論をごまかす知恵には長けた「食わせ者」首相の面目躍如の生々しい言葉ではないか。沖縄住民はこの言葉を忘れてはならない。
5.ダグラス・マッカーサーの言葉(12月19日 毎日新聞)
・・・私は日本国民に対して事実上無制限の権力を持っていた。歴史上いかなる植民地総督も、征服者も、総司令官も、私が日本国民に対して持ったほどの権力を持ったことはなかった。私の権力は至上のものであった・・・
これはマッカーサーが回顧録の中で語った言葉であるという。「権力の館を歩く」という連載の中で御厨貴東大教授はこの言葉を引用し、さらに次のように語っている。
・・・住居としたアメリカ大使館と第一ビル(総司令部がある日比谷の執務室)の2キロを車で毎日6年間、定時に判で押したように二往復し、パーティにも出ず、日本人とも会わず・・・権力の神秘性を保とうとした・・・(そのマッカーサーに会うために)吉田茂は75回も彼の執務室を訪ねた・・・
そんなマッカーサーを少なくとも当時の日本人は、天皇陛下から一国民までこぞって崇拝し、トルーマンに解雇されて日本を去るマッカーサーとの別れを惜しんで、羽田への沿道を埋め尽くし、涙したのだ。
ここまで進んだ今日の米国による日本占領に誰も異を唱える事のない日本人の原型がそこにある。
6.「沖縄のために能力を出しつくした」と真顔で語る稲嶺恵一前沖縄知事(12月17日 読売新聞)
どういうつもりで読売新聞はこういう記事を掲載したのだろうか。12月17日の「高校グラフィティー」という記事の中で、首里高、那覇高の卒業生である高良倉吉琉球大学教授と、稲嶺恵一前沖縄知事の言葉を紹介している。
首里高の卒業生である琉球大教授高良倉吉(60)は、95年の琉球大学の教授に就任した半年後に米兵による少女暴行事件に遭遇した。事件への怒りは胸にたぎっていたが、基地撤廃を求める抗議集会での発言には強い違和感を持ったという。そして2000年にその思いを集約した論文「沖縄イニシアティブ」を発表した。その論文は、日米同盟が果たす安全保障上の役割を評価し、米軍基地の存在意義を認め、その上で基地と住民の生活を両立させる方策を求めたものであるという。
どうしてこのような発想が沖縄人から出てくるのであろうかと思う。この特集記事の筆者である読売新聞西部社会部の吉田尚大は、「沖縄のタブーに挑戦する論文だった」と褒めちぎっている。しかし、基地と住民の生活が両立できるはずはない。どんな理屈を並べ立てても両者は本質的に相矛盾するのだ。
また、那覇高の卒業生である稲嶺恵一(74)前沖縄知事は二期務めた沖縄知事を述懐して、
「沖縄のために能力を出しつくした」と言ったという。
稲嶺は本気でそう思っているのだろうか。沖縄のために8年間で何を成し遂げたというのだろうか。
98年8月に革新系の大田昌秀知事と戦う保守系候補として名前が挙がったとき、稲嶺はラオスに出張し、ゆったりと流れるメコン川を見て、「大きな流れには逆らわないで従っていこう」と決意したという。
その考えこそ、今大問題になっている普天間飛行場移設問題の元凶である。それを「最善ではないが、ベターな選択」と言い放つ稲嶺の本性である。「『沖縄のため』という責任感に支えられた8年間であった」と公言できる稲嶺の無神経さを、端的に表している言葉ではないのか。
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