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2007年12月19日
「検察を支配する『悪魔』(講談社)」という本を書評する
いつかは書いておきたいと思っていた事がある。それは出版界における昨今の検察批判の風潮についてである。そして検察批判の象徴として「国策捜査」という言葉がもてはやされている。私はそこに出版業界の売れれば何でも良いという浅薄な商業主義を感じ取る。
「国策捜査」とは何か。それは、国家組織を守り、時の権力に逆らう者を取り締まる、「政治的予見をともなった捜査」というほどの意味である。
この言葉を流行らせたのは鈴木宗男事件に絡んで起訴された外務省職員の佐藤憂である。佐藤はその著作、「国家の罠」(新潮社)の中で、自らを取り調べた西村尚芳検事が口にした「君は勝てっこない。なぜならばこれは『国策捜査』なのだから」という内輪の私語を世に暴露して、自分が捕まったのは「時代のけじめ」をつける為の国策捜査だったと言い立てた。
起訴や拘留という非日常的な状況に縁遠い善良な一般市民は、その言葉に恐れ、驚き、内部情報に聞き耳を立てる。検察の捜査は恐ろしいものであり、すべて国策捜査であるという風潮ができあがる。検察の横暴に怒る国民の心情を見事に射止めた所業である。
確かに検察の横暴は許せない。権力に迎合した検察の官僚的姿勢は目に余るものがある。それを国策捜査と呼ぶかどうかは別にしても、検事は、他のすべての官僚と同様に、権力に顔を向け、弱者国民の利益を守ろうとする姿勢に欠ける事はあらゆる情報が教えてくれている。
しかし、検察を批判する時は、批判すべき人間が、王道から批判しなければならない。さもなければ検察を利する事になるのだ。係争中とはいえ、訴追されている当事者が、あたかも自らが「国策捜査」の犠牲者であると言わんばかりに検察を批判する。それを出版業者が持ち上げてどんどん書かせる。そんな風潮に私は不健全さを感じるのである。
田中森一というヤメ検が古巣の検察批判を重ねている。あたかも自分の行った闇世界の弁護が、闇世界に生きるしか術のなかった弱者の立場を理解した正義であるかのように語っている。とんだ勘違いだ。闇社会に生きる者こそ善良な一般市民を食い物にする悪に違いない。
私の手元に一冊の本がある。田原総一郎と田中森一の対談をまとめた「検察を支配する『悪魔』」」(講談社)という新刊本である。田中は既に「反転―闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬社)の中で、やくざや犯罪人の弁護士を買って出た理由を明らかにし、彼らの弁護を通して検察の実態を暴露している。それが20数万部売れ、今やヤメ検田中は出版界の寵児になった。その田中に飛びついた田原総一郎が出した対談本が「検察を支配する『悪魔』」なのである。
その本の中で田中は検事を辞めた理由として、上層部からの介入により政治家の犯罪を最後まで追及できなかった無念さを書いている。その彼が、検察捜査の法技術上の越権を糾弾し、犯罪性の有無は当事者の心のあり方まで踏み込まないと正しく判断できないと主張する。
いいだろう。それでは田中の言う闇社会の弁護は、彼らの善の部分を心から信じて弁護したというのか。検事在職中に闇の世界が動かす桁違いの金の魅力に惹かれ、その金目当てに検事を辞して、普通の弁護活動に飽き足らず最初から闇社会の弁護をするつもりではなかったのか。「貧しい環境で育ったゆえに、アウトローの世界にしか生きる事の出来ない境遇の者たちに惹かれて彼らの弁護をしたいと思った」などと書いている事が偽りのない本心であるのか。
田中の心を誰も覗くことは出来ない。しかし許永中という稀代の悪人を弁護し、自らもその犯罪にかかわって起訴された田中が、まったくの冤罪であるとは私には思えない。田中が検察の国策捜査の犠牲者であると思う気にはなれない。
検察はもちろん官僚であるがゆえの保身がある。権力者と対立できない悪がある。しかし官僚の名誉のために言っておきたい。彼らは権力に弱い意気地なしではあっても、ハナから正義を否定する悪者集団ではない。国策捜査ばかりを重ねている権力の手先集団ではない。
検事の経験を逆手にとって、検事を辞めた後はもっぱら「闇社会の守護神」として金儲けに走る、そんなヤメ検が検察批判をする事は、真の検察批判の足を引っ張るようなものだ。私が田中森一の言動に不快感を覚えるのは、彼の言動がかえって検察を利する事になるからだ。
それにもかかわらず私はこの対談本を一読することを薦める。この本に唯一価値を見出すとすれば、田中が数々の政治家の権力犯罪を、これまでに書かることのなかった率直さで暴露している事である。暴露された政治家の多くは既に鬼籍に入っている。そのほとんどが過去の事だ。しかし田中の告発が正しいとすればこの国の大物政治家のほとんどは犯罪人であったということだ。犯罪人であったにも係わらず検察がそれを見逃した事だ。ここに検察の真の不正義がある。検察が批判さるべき点はまさにその一点である。
それを教えてくれただけでもこの本の価値はある。1600円を払って買い求める価値はある。そういう本である。
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