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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007121302071730.html
【社説】
ビラ配布有罪 政治の自由を奪うまい
2007年12月13日
一審無罪の政党ビラの配布行為を一転、東京高裁が「有罪」と断じた影響は見過ごせない。政治活動を伝える方法が、それだけ狭められるからだ。言論の自由さえ委縮させかねない空気は危ない。
被告の僧侶の犯罪とは三年前、東京都葛飾区のマンションに入り、共産党の「都議会報告」などをドアポストに投函(とうかん)したことだ。住民が一一〇番通報して、僧侶は住居侵入の罪に問われた。
マンション内に勝手に出入りしてビラを配ってほしくない、という住民の気持ちは理解できる。しかし、それだけで、二十三日間も身柄拘束して起訴し、刑事罰まで科すべき「事件」だろうか。表現の自由と大きくかかわる問題だからである。
一審は「ビラ配布の目的であれば、立ち入り行為を刑事上の処罰の対象とするという社会通念は確立していない」と述べ、無罪とした。
それに対し、高裁はチラシの投函を禁ずる張り紙が玄関ホールにあったことを重視して、罰金五万円の有罪とした。表現の自由についても、「思想を発表する手段であっても、他人の財産権等を不当に害することは許されない」と断じた。
だが、考えてみたい。宅配食品や不動産などの数々の商業ビラの投函は、日常的なことである。配布の専門業者も存在する。個人が迷惑に感ずるビラもあれば、家庭生活に有益になるものもある。
マンション住民内にも「逮捕はやりすぎだ」という声はある。僧侶は四十年以上もビラ配布を続け、それまでとがめを受けたことがなかった。今回の事件の立ち入り時間も七、八分程度と一審では認めている。
プライバシー意識や防犯意識が高まっている時代だ。住民が平穏な生活を求めるのも当然だろう。それを考慮しても、張り紙を有力な根拠に有罪に導いた高裁の判断は、あまりに形式に過ぎるといえないか。
まるで平穏の価値が“金科玉条”となって、表現の自由という大きな価値を押さえつけた印象だ。注意が必要なのは、反戦ビラの配布や国家公務員による政党ビラ配布で、有罪判決が続いていることである。
一連の取り締まりは、いわゆる左翼や反戦活動を標的にしているように受け止められかねない。委縮は十分に予想される。弁護団は「言論弾圧」という言葉を使った。
言論を発露する一手段としてビラはある。民主主義の根幹は、その自由を保障することにある。もし、取り締まりに政治的意図があるのなら、“微罪”にくるんだ「言論封じ」といわれても仕方がない。
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