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2007年12月01日
この国では真の政権交代は決して起こらない
―額賀喚問中止と朝青龍問題の底に共通するものー
この国では残念ながら真の政権交代は起こらないであろう。たとえ政権交代が起きたとしてもその政権は本質的には自民党的なものに収斂していくであろう。決して革命的な変化は起こらない。額賀喚問中止と朝青龍復帰問題のニュースを見て、そしてそれを報ずるメディアの対応振りを見て、私はつくづくそう思った。
額賀喚問中止のニュースには失望した。今更ながら民主党の腰砕けぶりと野党の慢性的な結束のもろさを思い知らされた。はやりこの国では野党共闘などというものはありえないのだ。野党共闘がなければ政権交代は起こらない。あるのは政界再編と連立の繰り返しでしかない。そしてその中心はやはり自民党である。
朝青龍の謝罪会見はこんなものだろう。彼に本心からの反省を求める事は無理な話しだ。むしろここまで流暢な日本語を話せるようになった朝青龍に感心する。横綱審議会の面々を前にして一人で対峙して(みせかけの)謝罪をやってのけた、その度胸と強さを賞賛したいほどだ。情けないのは横綱審議会の面々である。あれほど厳しい事を言っていた各界の名士といわれている連中が、この程度の謝罪で、明らかに不満気な顔をしながら、「一応これで」と幕引してしまったのだ。極めて自民党的だ。
この、一見無関係に見える二つの出来事の背景にある心象風景に私は日本と言う国の特性を見る。日本人の姿を見る。それはよく言えば大人の態度であり、白黒をつけない曖昧さであり、謝罪をするものをそれ以上追い込まない寛容さであろう。しかし、他方においてそれは「間違っているものは間違っている」、「嘘は嘘だ」という原則論を押し通せない弱さであり、筋を最後まで押し通す事によって招く他者からの反発や孤立へのおそれである。この国では一人筋を通せば変わり者、異端者という烙印を押されてしまう。そのつらさ、厳しさ、馬鹿らしさを私は身をもって痛感してきた。
問題はそれが権力者の悪にまで適用されるとどうなるかである。
朝青龍の場合はまだいい。彼は相撲は強くてもいわゆる権力者ではない。横綱といえども一私人だ。しかも(八百長という噂はたえないが)自分の体一つで横綱にのし上がった人物だ。今後彼は土俵という場でその真価を証明しなければならない。彼の評価はフアンの反応で最終的に判断が下される事になる。
しかし額賀喚問問題は話は別だ。権力者の犯罪と嘘の有無がかかっている問題である。自民党政権の存続がかかっている問題である。そのような問題までも、世間の目をおそれて徹底的な追及が出来ないとすれば、この国では永久に正義は実現されないであろう。権力者の悪は最後のところで逃げ延びる事となる。
12月1日の朝日新聞に次のような記述があった。民主党の国対幹部は「本当はやめたくなかったんだ」と言って残念がった。それが想定外の共産党の気変わりで「数の横暴」に対する批判を恐れる羽目になったというのだ。しかしそのような混乱の中でも司令塔がしっかりしていれば正しく対応できたに違いない。しかし鳩山幹事長からの相談に小沢代表は「幹事長に任せる」と言って逃げ、その鳩山幹事長は野党共闘を重視し、小沢不在のまま幹部を集めて協議し喚問の見送りを決めたというのだ。天下分け目の政局でこの体たらくである。その一方で原因をつくった共産党幹部は、与野党攻防に与えるダメージを心配し、「民主党に冷や水を浴びせたいわけじゃないから、うちも困ったんだよ」などと逃げ口上をはいたという。福島党首の再任で忙しい社民党の声は、例によってまったく聞こえてこない。
最後まで追い詰める事は美徳ではないとするこの国の特性と、いつまでたっても結束できない野党、そんな今の日本においては決して真の政権交代は起こらないであろう。ここまで政権担当能力のなくなった自民党でも、それでも政権を担い続けるのである。それに変わる政権がすっきりした形で生まれないのである。日本の将来は暗い。国民生活はますます苦しくなる。
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