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大連立をめぐるごたごたも一段落して、政局の焦点はテロ対策新法をめぐる与野党対立に移ったようである。野党の抵抗によって福田政権がインド洋での給油再開という対米公約を実現することができなければ、臨時国会終盤での解散もありうるという展開になってきた。国政の手詰まり状況を打開するには、解散による国民の審判が最も根本的な打開策である。その意味では、与野党の対立点を明確にした上で総選挙を行うことは望ましい。
しかし、政権交代を求めて攻勢を強めるべき民主党の側に、いまひとつ迫力が足りない。小沢一郎代表自身が記者会見の場で民主党に政権担当能力がないと述べたことも、迫力を殺ぐ原因となった。そこで、野党に必要な政権担当能力について考えてみたい。
昔から野党に対しては政権担当能力がないという批判が浴びせられてきた。五五年体制時代の社会党は、安保・自衛隊の存在を認めないという点で、すぐに政権につけないという事情があった。しかし、今の日本には政治経済の基本的体制を受け入れないという体制外野党は存在しない。どの党が政権を取っても世の中がひっくり返ることはない。
また、政権担当能力は自民党の専売特許ではなくなった。何よりも、不適格な安倍晋三前首相を圧倒的多数で選んだところに、自民党の政権担当能力の欠如が現れている。また、薬害の放置、防衛利権への大物政治家の関与、年金の杜撰な管理など一連の政治、行政の失敗を見るにつけ、近年の自民党に政権担当能力があったとは思えない。どの党でも政権にさえつけば、自民党程度の政権運営はできるであろう。小沢が自分の党について政権担当能力がないというとき、こんな自民党にも劣ると卑下していたのであろうか。なんとも奇怪な話である。
もちろん、有意義な政権交代を起こすための政策能力は、それよりも高い水準を要求される。結局、本当の政権担当能力とは、行政の継続性を打ち破る政治力である。日本の場合、本来政治のレベルで、国民自身あるいは国民の代表者が議論して決めるべき政策の基本的方向付けを、官僚が決めている。たとえば、高齢者に対してどのような医療、介護サービスを提供するかは、本来、国民の価値観の問題である。最後までに生命を尊重するという価値観に立つなら、そのためのサービスを提供できるよう仕組みを整備すべきである。しかし、今の日本では財務官僚の価値観に沿って、病床の大幅削減、リハビリに対する保険適用の縮小などの政策が推進されている。
こうした行政主導の政策に対して、はっきりと別の価値観を注入し、方向を転換することこそ、政党が持つべき政権担当能力である。野党に、細部までつめた法案を作る能力がないことは当然である。細かいことをするために官僚がいるのである。では、民主党に価値観を打ち立てる覚悟があるであろうか。医療の例であれば、必ず財務省はない袖は振れないと抵抗するであろう。その時には、ほかでどのように削るか、さらに国民にどのような負担を求めるかという難問から逃げないことが求められる。
野党が今までの政府の追求したものとは異なる価値観を明確に打ち立て、それを共有するという迫力を発揮する時、初めて政権交代が可能となるであろう。
(週刊金曜日11月23日号)
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