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http://www.magazine9.jp/interv/hayashi/hayashi2.php
林
うーん。一言で説明するのはなかなか難しいんですが(笑)、最初に衝撃を受けたのは、中学生のときに部落差別の問題を知ったことですね。「こんなひどいことが現実にあるのか」と思ったし、差別される人の立場に立って物事を考えないといけない、と意識するようになったのはそれがきっかけです。
沖縄にも、中学生のときに家族旅行で行って、すごい衝撃を受けました。当時、摩文仁の丘の下にある健児の塔の裏側にあるガマでは、入り口にまだ火炎放射器の黒い跡がくっきりと残っていたりもしたんです。それから、当時はまだ日本への復帰前で、基地を囲むフェンスの内と外の光景が、明らかに違っていた。基地の中は芝生が敷き詰められてとてもきれいで、それなのに外側は道路の舗装さえされていなくて、すごく貧しい。そのコントラストが非常に印象に残りました。僕自身の考え方をつくる上では、そのあたりが大きな影響を与えていると思います。
それから、高校から大学にかけて強く意識するようになったのが、女性差別の問題。なぜそう思うようになったのかは今となってはよくわからないのですが、やっぱり部落差別の問題などから、いろんな「差別」について考えるようになったということなのかもしれません。
世間では非常に「民主的」だと言われていたり、平和運動をやっていたりする男性が、実はみんな家では妻に家事を押しつけていたり、女性を犠牲にしながらやっているということに、非常な矛盾を感じたんです。奥さんを犠牲にして、自分だけが外でいい格好しているんじゃないかって。それで、自分で本を買ってきて料理を勉強したりもして(笑)。結婚するときも、専業主婦ではなくて自分の生きがいを持ち、自分の仕事を持っている女性を、と思っていました。
編集部
そこから、具体的に沖縄戦や従軍慰安婦など、戦争に関係するテーマに取り組まれるようになったのはどうしてですか?
林
一つは、「誰もやらないから」です。沖縄戦のことも沖縄の人たちは研究していましたが、本土でやっている人は、まったくいなかった。慰安婦の問題も、研究者でやろうとしている人は少なかったし、当初名乗り出たのはほとんど朝鮮半島の女性だったでしょう。
私はその前に東南アジアへ行って、その地元の女性の中にも慰安婦にされた人がいるということを耳にしていたんですが、東南アジアの研究者は誰もそういうことを発言しない。このままだと朝鮮半島出身の慰安婦ばかりに関心が行って、その他の占領地域の女性の被害が反映されないのでは、というので、東南アジアのほうから慰安婦の問題をやり始めたんです。
マレー半島のことも、研究者が誰もやらないので、「どうしてやらないんだ」と思って…。
編集部
やる人がいない、というのはどうしてなんですか?
林
はっきり言えば、あまり学問業績にならないからでしょう。少なくとも、研究者としての就職には有利にならないどころか、敬遠されます。思想的に偏ってると評価されることもあるし、慰安婦問題にしても戦争犯罪にしても、学界は「そんなのは学問じゃない」と言って逃げる。そうして、自分は安全なところで高尚な議論をして、それが認められるという構図。そういうアカデミズムに対する反発もあったのかもしれないですね(笑)。
林
いろいろありますが、少なくとも事実を知って、被害者に対するきちんとした償いをするというのは、加害国としての責任です。それも、いまだに死ぬほど苦しんでいる人たちがいるのに、それを日本は放置しているわけですから。
加害国などとおおげさなことを言わなくても、深刻な被害を受けて、そのことについていまだに謝罪もされず、心身ともに苦しんでいる人たちを前にして、そういうことに無関心でいられる人たちって、いったいどういう神経なのかと疑いますね。平気でいられない、知らん振りできないというのが、人間として当たり前のことだと思うんですが。でもそう考える人は圧倒的に少数派みたいですが。
編集部
一方で「中国も韓国もいつも謝れと言うけれど、すでに何度も謝っているじゃないか。いったいいつまで謝ればいいのか」という声は、いわゆる「嫌韓」「嫌中」の極端な層だけではなく、ある程度一般的な意見としても存在しているような気がします。これについては、どう答えられますか?
林
「謝った」というけれど、たとえば首相が謝罪しても、すぐにそれを取り消すような発言を、しかも大臣クラスが平気でする。しかもやっていることはといえば、教科書から慰安婦についての記述を削除したり、さらには「つくる会」の教科書を支援したり。日本軍の強制を削除させた、いま問題になっている沖縄戦の教科書検定だって、そうですよね。口先だけで謝っても、それを否定するような行為を繰り返しやっているわけで、それではとても謝ったとは言えない。
あと、研究の中でわかってきたことは、日本社会というのは全然変わっていないんだな、ということです。
編集部
それは、戦前や戦中と、ということですか?
林
たとえば、日中戦争が始まった後の1938年、日本軍と内務省は、全国の府県知事に通達を出して、各府県から女性を何名かずつ「割り当て」して出させて、それを中国へ慰安婦として送り込むという計画を立てます。直接の人集めは業者にやらせて、台湾の高雄まで連れて行って軍に引き渡させる、そうした女性集めを警察と行政が行っていたんです。しかもそれを「業者が全部自発的にやったように取運べ」と書いてある資料が残っているんです。
実際には軍と警察と内務省が全部取り仕切っていたわけですが、その内務省での担当課長が町村金五。現在の官房長官の町村信孝の父親です。そして、息子の町村官房長官は文部大臣だったとき、「つくる会」の教科書を検定合格させた人物。つまり、父親がやった犯罪を息子がもみ消していると(笑)。
編集部
A級戦犯容疑者だった岸首相の孫で、しかもその祖父を「尊敬している」と公言する安倍晋三が首相になったというのも象徴的ですよね。薬害エイズ事件を引き起こしたミドリ十字も、731部隊出身の元軍人たちによって設立された会社でしたし、戦時中の明らかな犯罪が、そのまま許されてしまっている。
林
さらに日本だけではなくて、韓国軍というのも、もとは旧日本軍出身者によってつくられた軍隊です。そして、そこから韓国の軍事独裁政権が生まれ、日本は戦後、その政権と癒着して、戦争被害者の声を押さえてもらってきました。90年代になって韓国で元慰安婦などの被害者が声をあげるようになってきたのは、ようやく民主化が進んだからですよ。
編集部
それまでは、被害者として名乗り出ることさえ許されなかった。
林
その意味でも、被害者に対するきちんとした謝罪や補償という対応はなされていない。むしろ日本は、その声を軍事政権と一緒になって、何十年にわたって押さえつけてきたわけです。
韓国の人々は、民主化闘争を必死にやって、それでこの10年くらいになって、やっと語ることができるようになってきた。そうしたら日本人は、「戦後50年、60年も経っているのに、なんで今さら」と言う。金目当てだとまで言う声もありました。今さらというけれど、何十年も声を出せないようにしてきたのは、まさに日本ではなかったのか。そういう戦後史の認識が、日本人には本当に欠けていると思います。
林
ドイツ軍が、東ヨーロッパのほうでつくっていたようです。まだあまり研究がないので分からないところが多いですが。ただ、本当に至るところにつくっていたと言えるのは日本軍ですね。
編集部
そこには、どんな原因や理由があったと思われますか。
林
やはり、人権という思想が欠けていたのだと思います。たとえば、イギリスではもう19世紀末に、公娼制が人権侵害だとして廃止されている。もちろん売春は実態としてあるけれども、公として認めることは世論が許さないというわけです。それが、日本では警察が公然と全面協力してやっていたわけで、やはり人権感覚の致命的な遅れがあったのではないかと思いますね。
編集部
今年の夏には、米下院本会議で「第二次世界大戦中の従軍慰安婦問題に関して、日本政府の謝罪を求める」という内容の決議案が可決されましたね。
林
あれも、「女性の人権」という発想から生まれたものです。それも、現代でも頻発している戦時性暴力をなんとかしなくてはならないという問題意識が出発点です。
今、あちこちで戦時性暴力が起きている。それはなぜかと考えたときに、最初の大規模で組織的な戦時性暴力であった日本軍の慰安婦制度を、戦後の戦犯裁判で罰せずに放置してしまったことがもともとの間違いなんだというところにたどりついた。日本が、というだけではなくて、連合国側もその問題にきちんと取り組まなかったという反省がそこにはあるんです。
今の世界中で頻発している戦時性暴力をなくすためにこそ、過去の慰安婦制度をきちんと犯罪として認めて、それに対する償いをやるべきだ。それを日本が先頭を切ってやってほしい、そうすればそれが世界の模範になるだろう、そういうことですね。
編集部
単に、「日本の過去の犯罪」を糾弾しているだけではないんですね。
林
念頭に置いているのはあくまで「今」の問題。今起きている問題をどう解決するのか、そのために国際社会の対応が問題だという考え方です。ところが、日本人にはそういう、今世界で起きている戦時性暴力をどうするのかという発想がまったくない。だから、「なぜ昔のことを、しかもなぜアメリカに言われなくてはならないのか」となる。
国連人権委員会※での議論も完全に、さきほど紹介したような視点からのものです。今ある問題の出発点が日本軍の慰安婦制度であって、それをきちんと反省しなかった日本の対応、そしてそれを許した国際社会のあり方にこそ問題がある。そしてその解決は、被害者の名誉を回復するという、女性の人権の問題であって、国家間の賠償とは違う問題だという捉え方なんですね。
※1996年に国連人権委員会に提出された「クマラスワミ報告」、同じく1998年に採択された「マクドゥーガル報告」では、ともに付属文書の中で日本の従軍慰安婦制度について取り上げている。
編集部
しかし日本では、あの国会決議や国連人権委員会の報告を、「今世界で頻発し続けている戦時性暴力をなくすために、日本は従軍慰安婦問題にちゃんと取り組むべきだ」という視点から捉えた報道などはほとんどなかったように思います。
林
国際社会のそうした議論は、日本ではシャットアウトされてまったく入ってこない。だから、発想がすごく古いんですね。「人権」という発想がなく、全部国家間の話としてとらえて、首相が謝ればそれでいいとか、国家賠償したからもう終わりだとかいう考え方をしてしまう。実は、慰安婦問題に限らず、あの戦時中の犯罪の処理の仕方が、戦後の現在に至るまでの世界のいろんな問題を引き起こしているんだという発想が、日本にはない。日本人の歴史認識の中で、戦後60年間がほとんどブラックボックスのように欠落してしまっていて、戦争中に起きた問題が今とどういうふうにつながっているのかという意識がまったくないんです。
編集部
戦争中の問題は戦争中の問題としてだけ捉えていて、現在の問題とのつながりが無視されてしまっている。
林
たとえば韓国です。韓国で今も日本軍による強制労働や従軍慰安婦の問題が取り上げられるのは、それが現在の韓国自身の問題でもあるからなんです。
軍事独裁政権時代の問題を清算するというのは、日本の植民地時代の遺産を清算するということでもある。韓国軍はそもそも日本の軍隊だったし、警察は朝鮮総督府時代の警察を引き継いでいるし、当時の対日協力者は、戦後もずっと権力を握り続けていた。つまり、韓国の戦後の歴史を総括しよう、反省しようとするときには、日本の植民地時代の問題にも取り組まざるを得ない。植民地支配の清算は今韓国で進んでいる民主化の動きの中の一つなんです。
ところが、日本ではその植民地時代の問題への取り組みだけが取り上げられて、「なんで韓国はいまだにそんなことばかり言っているんだ」というふうに批判される。しかしあれは、反日ではなくてむしろ今の韓国の政治社会そのものに対する自己批判であって、自分たち自身のあり方にもう一度メスを入れて、問題点をすべてさらけ出そうとしているんだと捉えるべきです。
逆にいえば、日本がそうした、戦前戦中から戦後にかけての総括を、まったくできていないということでもありますね。
編集部
なるほど、そう考えると、日本社会において根強く残る男女差別や女性の人権への意識の低さについても、やはり「従軍慰安婦問題」をうやむやにしてきたことが、大きな影を落としているというか・・。ジェンダーについては、むしろ今、後退している状況ですからね。今からきちんと検証し、「戦争犯罪」だったことを明らかにすることが、「女性の人権」を回復するためにも、最も必要なことに思えてきました。
戦時中の問題を、ただ「過去のこと」として捉えるのでなく、それがいかに現代の問題につながっているのかという視点から見つめ直し、検証すること。それこそが、今の日本に求められていることなのかもしれませんね。
長い時間、ありがとうございました!
はやし・ひろふみ
1955年生まれ。関東学院大学経済学部教授。平和研究・戦争研究・現代史を専門とする。『沖縄戦と民衆』(大月書店)で第30回伊波普猷賞受賞。その他の著書に『裁かれた戦争犯罪−イギリスの対日戦犯裁判』(岩波書店)、『BC級戦犯裁判』(岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(高文研)などがある。
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