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フォーラムin札幌時計台第3回講演会は、香山リカ氏を招いて、11月14日に開催された。精神分析医としての香山氏は、この秋多忙だったそうだ。朝青龍と安倍晋三元首相という二人の著名人(?)が、相次いで心の病から職場放棄(?)し、これについて専門的な分析を求められたとのこと。心の調子を乱すプレッシャーやストレスの多い現代ならではの話である。
香山氏は、近著『日本人はなぜ劣化したか』(講談社現代新書)に沿いながら、現代日本の社会病理について分析することから話を始めた。このところ、公共的な空間で暴力を振るう事件、会社や役所などでクレーマーと呼ばれる激しい苦情申し立て、学校の先生に理不尽な要求を突きつけるモンスターペアレントと呼ばれる親など、自己中心主義的な人間が周囲に迷惑をかけるという事例が増えている。いわゆる「キレル」人々の増加という現象である。
これは、従来の権威主義やパターナリズムの崩壊という社会変化の現われという一面を持っている。昔は、医者は絶対的に偉く、患者は従属する存在であった。学校では、先生は絶対的に偉く、生徒は従属する存在であった。役所は人々を支配する権力機関であった。こうした権威主義やパターナリズムは打倒の対象であった。
サービスを供給する側と消費する側が対等な人間関係を持つことが理想であるが、対等な関係というのが難しい。特に最近は新自由主義的な市場主義、競争主義の考えが普及し、教育や医療など各種のサービスが単なる商品として捉えられるようになった。そうなると、お金を出してサービスを購入している側が偉いということになり、自己中心的なクレームに際限がなくなる。目の前のちょっとした利益を求める、あるいは不利益を忌避することだけに関心を奪われ、行動にブレーキが利かなくなるのが、一連の現象の構図である。
自己中心的なクレーマーや暴走老人をバッシングするだけでは意味がない。また、権威主義やパターナリズムの昔に戻ることもできない。対等な人間関係を組み立てなおすことが唯一の解決策である。また、他者の存在を視野に入れた、正しい自己主張の仕方を身につけることしか、答えはない。
他者の存在が視野に入らないままの自己主張という問題は、現代社会における世論のあり方にも関連する。人々が相互に共感したり連帯したりして個人の声が集積されるというルートをたどるのではなく、自己中心的な主張が機械的に増幅されて大声が社会を支配するようになる。特に、ネット空間でこのような現象が起こりやすい。ウェブの炎上の際に起こるサイバーカスケードという現象がその例である。本来の世論とは、他者の存在を視野に入れた自己主張を集積してできるもののはずだが、世論を担う個人が存在していない。
素朴な自己中心主義、刹那的な自己利益の追求という現象と一見対照的に見えるが、超越的な権威や価値に帰依したいという傾向も最近目立っている。出版の世界では、何とかの品格というタイトルがはやっている。品格という権威に安易にすがりたい読者がたくさんいるということであろう。また、スピリチュアルや霊、前世、宇宙など超越的なものに対する憧れもますます広がりつつある。
実は、自己中心主義と超越への希求は、同じ問題のコインの両面である。このところ、成果主義、機能主義が蔓延して、個人個人がますます競争に駆り立てられ、目に見える成果を挙げることを求められるようになった。そのような圧力の中で、一握りの成功者を除いて、人間は生きる意味を見つけにくくなっている。そうした圧力を処理するために、一つの可能性として、外部に、自分より弱いものを見つけ、そこにはけ口を求めて爆発するという方法がある。これが自己中心的なクレーマーの根源である。他方、弱い自分をそのまま肯定してくれる超越的な権威に依存するという方法もある。これがスピリチュアルブームの根源である。
だとすると、冷静な個人が相互に了解可能な議論を重ねて行って、共通の解決策に到達するという民主政治の実践は、きわめて困難となる。今年夏の参議院選挙に現れた民意も、決して楽観的に評価することはできないだろう。
以上が香山氏の講演の要旨である。
話の前半を聞いて、自立した個人の確立という戦後啓蒙のテーマがゆがんだ形で実現したことを痛感した。権威やパターナリズムの解体は戦後啓蒙の課題でもあったが、その後に出てくる個人の姿として、決して今日のような自己中心主義を予想していたわけではなかったはずである。
自己中心主義と正当な権利主張を識別することは、理屈の上ではそう難しくない。単なる身勝手は英語でprivilegeという。日本語では特権である。正当な主張は、英語でrightといい、これが権利である。あなたと同じ主張を他者がすることを許せるならば、その主張はライトである。ある人の主張が同じような問題を抱えているほかの人にも役立つという関係が成り立つ。ただし、香山氏も言うように、他者が自分と同じことを行ったらどうなるかを考えるためには、想像力が必要である。現代人には想像力がかけていると香山氏は言いたいのであろう。
成果主義、機能主義の趨勢の中で、個人がより弱いものに対する居丈高な主張と、超越的な権威に対する帰依という、相反する二つの方向に引き裂かれているという指摘には、大いに共感できる。個人の弱さを互いに認めつつ、そうした個人が共感を持ちながら、了解可能な主張を積み上げるという方向を模索していくしかないと感じた。
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引用元には当日の講演の画像があります。
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