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憲法イジメを続ける教育行政、暴走する京都市教委の危険な狙い(ねっとわーく京都)
http://www.asyura2.com/07/senkyo44/msg/478.html
投稿者 熊野孤道 日時 2007 年 11 月 21 日 18:08:32: Lif1sDmyA6Ww.
 

Onlineねっとわーく京都

http://www.kyoto-21.com/nk21/magazine/text_all/0310_zadankai.htm

2003年10月号より
関連特集・教育 徹底座談会
憲法イジメを続ける教育行政、暴走する京都市教委の危険な狙い

 デタラメな教育行政のお先棒担ぎで知られる京都市教育委員会。「日の丸、君が代」に続いて、「心のノート」「道徳教育」などとデカイ面をしてのたまわく。大半の市民が「もう子育ては終わった」などと言っているうちに、この国は、とんでもない方向に私たちを導こうとしている。ここでは関係者に集まっていただき、京都の教育行政の実態を語っていただいた。なお司会進行は辻氏にお願いした。

<出席者>
野田 正彰
(京都女子大学教授)

林 功三
(京都大学名誉教授、「心の教育」はいらない!市民会議代表)

蒔田 直子
(「心の教育」はいらない!市民会議)

安岡 健一
(道徳教育なんてさいてーだと思ってる学生有志カラス団)

<司会>
辻 健司
(京都教職員組合副委員長)

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■根強い「日の丸、君が代」強制への不信感

 最初になぜ、「心の教育はいらない!市民会議」を立ち上げたのか、そして運動の取り組みを通して感じた点から、お話しいただけたらと思います。

蒔田 「心の教育」の前に「日の丸・君が代」の強制のことがありました。学校が子どもたちや親の内面に土足で入ってきて、大切なものを踏みにじっていくという経験は、そのときに味わっています。3年前に京都の公立校では100パーセント実施になりましたが、ちょうど下の娘の小学校卒業の時でした。

 “なにが何でも実施”というのは理屈じゃないですね。突然、音楽の時間に練習が始まって、体育館で教頭が「君が代は平和の歌、立って歌え」ってやる。うちは父親が朝鮮人で子どもは「君が代」の「君」は誰かとか、自分で考えて絶対歌わない。そうすると友達まで呼び出して「本当に自分で考えたのか」と問いつめたり、頭を下げて歌ってくれと頼んだりする。娘の友人で、言葉で返せないから、おなかが痛くなったり、熱を出す子も出て、「強制」が起こる時には、教師は自分の身を守るため、ここまでするのか、子どもの側には立たないんだって、子どもの目にはっきり見えてしまう。踏み絵というか、人間のイヤなところがむき出しです。子どもだからこそ「良心の自由」は守られなければいけないと思います。

 「心のノート」が出た昨年4月には、まだ配られていませんでしたが、5月に野田先生の講演で知って「あの卒業式前の日々が一年中続くのか!」と震え上がっている矢先、京都市の「道徳教育振興市民会議」の一万人アンケートが出て、これは黙ってられへんなと、アンケートやらされた子どものお母さんたちも言い出して集まったんです。

安岡 僕は大学でアイヌ民族の問題など、日本の先住民族問題に取り組んでいたのですが、文部科学省のHPを見たときに「日本人をつくるための教育をする」といった意味のことが書かれていて衝撃を受けました。先住民族であるアイヌ民族や沖縄の人たちの関わりの中で、「日本人」という単語に違和感を感じていた矢先に、教育を司る省庁が、まるでこの社会には日本人しかいないかのような方向に教育を変えようとしていることに凄く違和感を感じました。

 ちょうど中央教育審議会が新しい教育の方向を示す中間報告を策定し、12月に京都で「一日中教審」を開催した際に、ビラをつくって会場に抗議に出かけたり、「心のノート」の問題で学習会を開くなどの活動をしてきました。最近は今の教育界が狙う日本人というものを押しつけてこようとするやり方、そして勝ち組・負け組という言葉に表されている、「格差」があって当然というような風潮に抵抗していきたいと考えています。蒔田さんはじめ、ピースウォークを通していろいろな人たちと知り合い、いま「カラス団」という集まりをつくってニュースを出したり、活動しています。

■正義の理念が通用しない国で「心の教育」?

 林先生はドイツ文学、ナチズムの研究をされていて、一方で「『心の教育』はいらない!市民会議」の代表をされておられます。その結びつき、思いをお聞かせ下さい。

 「『心の教育』はいらない!市民会議」(以下「市民会議」)が結成されたのは2002年7月です。ぼくは2001年9月11日の後からピースウォークに参加していました。だれに頼まれたわけでもありません。そこで「市民会議」を推進するみなさんと知り合いになりました。ここにいる蒔田さんや安岡君はピースウォークの中心的メンバーで、同時に「市民会議」のメンバーでもあります。

 で、ドイツ文化・社会史の研究を専門にしているぼくがなぜ「市民会議」に加わったかというご質問ですが、つぎのような理由によるものです。ぼくは個人的にはもう子どもも大きくなっていて、「心のノート」の対象になる家族は身近にはいません。しかしナチズムの研究をしているので、ぼくは、戦後ドイツ人と日本人のそれぞれの歴史への関わり方のちがいに注目してきました。ドイツでは、ニュルンベルク裁判以後、曲がりなりにもナチズムの過去への断罪がおこなわれています。ぼくは90年代のはじめからそのことを紹介してきました。

 ドイツ人とは対照的に、日本人の歴史認識は、ますますひどいものになっています。天皇制の下で日本人のおこなった殺戮、犯罪、恥辱は、日本人の記憶から抹殺されています。「つくる会」の歴史教科書だけではありません。日本では歴史を否定する右翼政治家がリーダーになっています。小泉純一郎や石原慎太郎のような政治家はまさにその例です。かれらは戦争責任を黙殺し、狡く立ち回り、また居直りの態度を示しています。かれらのような政治家がリーダーになることはドイツではとうてい考えられない。EUの中ではオーストリアのハイダーも失脚させられました。

 ピースウォークでぼくらは、日本がアメリカに追従して、海外派兵をおこない、憲法も実質的に否定していることに抗議しているわけですが、日本のこの戦争への歩みは日本人の歴史認識、歴史の改竄・抹殺と無関係ではありません。ドイツは強者の不正に盲従しませんでした。他方、過去を忘れてブッシュに追随する日本は、目先の「国益」しか考えない、恥知らずの国になりました。日本は「正義」の理念などもう通用しない国になっています。そういう国で「心の教育」―その内容はよくみると、臨床心理学のいかがわしい手法を使って愛国心を刷り込む「道徳教育」です―が始められているのを知ると、これを放ってはおけるか、という気になります。これが、「『心の教育』はいらない!市民会議」にぼくが参加した理由です。

 「心のノート」はひどいものですが、京都市の「道徳教育振興市民会議」なるものをみて、ぼくは唖然としました。そこで市教委へ行ってみると、それ以上に驚きました。市教委というのはもう滅茶苦茶です(笑)。これについてはまた後でいいます。

■横柄で凄く「不道徳」な市教委の対応

 教育行政に関して「道徳市民アンケート」で抗議の申し入れをされたり、道徳教育振興市民会議の傍聴をするなかで、市民運動の立場から教育委員会の実態をご覧になってきたと思いますが、そのあたりはどう感じておられますか。

蒔田 初めて市教委に行った時は本当にびっくりでした。とにかく横柄ですごく不道徳な態度(笑)。私たちは責任を持っている担当者と話し合いたいのですが、「道徳教育振興市民会議」のメンバーや教育委員長には会わせないで、いつも労務屋さんのような人が出てきます。初対面のときからふんぞりかえって、まだ若いのに見下したような態度で「見解の違う人たちと話し合う必要はない」って、はっきり言うんですね。「見解が違う」かどうかさえ分からない。何十回話し合いや交渉をしても、彼らしか出てこず、担当の部署は対応拒絶です。企画課のお仕事は「あれこれ言ってくる市民を追い払うこと」としか言いようがありません。

 だからポリシーがなく、その場しのぎですから、言うことがコロコロ変わります。お役所も私たちと考え方が違うなら理屈が一本通ってて説明してくれるならまだ分かります。「道徳教育市民アンケート」の時でも最初は「キャンペーンとしてアンケートを実施した」と言うので、「アンケートをキャンペーンの手段にするのはひどい」と反論すると、5分もたたないのに「キャンペーンでなく調査が目的、実証するためだ」と話を変えて平気なんです。

 交渉の設定をするだけでも、電話のたらい回しで何十分待たせても平気だし、「話し合う必要はない」って、あなたが言うことじゃない。「道徳教育振興市民会議」の傍聴に行ってびっくりしました。私たちの目の前で、相手によってガラっと態度を変えて、組織の上の人には平身低頭、ペコペコしてまるで違う人です。1分前にはふんぞり返っていたのに…(笑)。こんな人たちが子どもたちや学校の上にいて、校長先生にも指図しているのかとゾッとします。友人たちには一度でいいから市教委のナマの姿を見た方がいいって話し合いに行く時、誘っています。

安岡 僕は障害者の介護に関わっていて、新しく制度が変わるというので障害福祉課に行ったことがありますが、資料から関連議事録を渡してくれ、説明も分かりやすく対応はとても良かったですよ。部署によってずいぶん違う。教育委員会は全く違っていて「道徳教育振興市民会議」の傍聴に行っても、どういった議題なのかといったレジメさえ渡されませんでした。

 行政側の市民会議を何回か傍聴したことがありますが、「メモはいいが録音はダメ、私語もダメで、したら出てもらいます」と初めから言うわけです。さらに市教委の関係者らしき人が私たちの方にカメラを向けて写すんです。これは腹がたちましたね。レンズを長いレンズに代えてまともに顔写真を撮る。公安警察そのものです。

安岡 僕たちは若いでしょ、もうめちゃくちゃ言われます。道徳教育フォーラムのときにビラを撒いていたら、「何しとんねん、こら」みたいな感じです。年配者が一緒の時はそういった言い方はしないですが、僕たちだけですと、まるで「脅し」に近い。交渉でも他の人が会場から出ていって、学生が残っていると「出ていけ!」と言われて、悔しい思いもしました。

野田 話を聞いていますと、市教委は非行集団の組織とよく似ている印象を受けますね。すごい上下関係がキツイ。例えば交通違反をして子分に名乗り出させて、罪を背負わせるといったことを非行集団はやりますが、市教委もそれに近いんじゃないかな。都合が悪くなると平気で嘘を言って、学校の先生に押しつけるとか。役所の他の部署ではあまり見られない体質でしょう。

 彼らは戦前の兵隊のようなメンタリティを持っています。上にはへつらい、学校の先生には偉そうに振る舞う。河合隼雄氏はこういう人間の心理をどう説明するのでしょうか。聞いてみたいものです。

■これが河合隼雄氏の本音。

野田 何をするにしても内部で一定のコンセンサスを持っていない。上から下りているだけです。上に優れた人が座っているわけじゃないから、下は訳がわからない。疑問は一切言わないといった組織だから、下も上と同じことを言う。中教審の文章がそうです。日本語になじめないような文章を書いて、指導、指導で下ろしてくるわけです。だから批判すると同じことを言うだけ。人に対して、説得しようという気がない。学校の先生に対しても説得は一切していない。ですから通達・通知の連発です。

安岡 それは彼等の発言のなかにも象徴的に表れています。私たちはこう考えています、あなたたちが理解できないのであればそれで終わり、といったことの繰り返しです。

蒔田 先日もモラロジー研究所の教育者研究会を府・市の教育委員会が後援し、教育長がそこで講演するということが起こりました。「皇室を中心にして祖先が培ってきた精神が若い世代にもっとも必要な心」と主張し、はっきり憲法を否定する主催者あいさつを前面に出しているところで教育長が講演するというのは、どうみてもおかしいと言うと、「教育長が直接それを言わなければ、どういう団体であってもいいじゃないか」と言うんです。それなら暴力団の集会でも勤務中に講演に行ってもいいのかと言いたくなります。

 学者や弁護士さんが公開質問状を出しても「回答の必要性は認めない」と言うし、教育長が教育基本法や憲法を否定する団体に、わざわざ応援に出かけていくのはなぜかと聞いても「あなたたちの理解力がない」というんですね。

 先日、自民党の「国家戦略本部」というHPを見ていると、この間ずっと講演会を開いています。その第4回(2001年11月)に河合隼雄氏が呼ばれていますが、この最後のあたりで河合氏は次のように話しています。

 「これから道徳と宗教がすごく大事になるのではないかと思っています。ただ報告書には意図的に書きませんでした。なぜかというと宗教とか道徳のことを政府が言うと、どんなにいいことを言ってもジャーナリズムが反対するんです。ジャーナリズムが反対すると、国民はそれに同調しますから言うだけ損みたいなものです。いいことを言えば言うほど反対されます。だからそのことを抜いていますが、僕らは絶対に考えねばならない。いま非常にありがたいことに道徳ということに対するアレルギーは減ってきました。今まで道徳と言えば私は嫌だと言う人が多かったですが、この頃はいろんな人に聞いても、ある程度(道徳は)要ると言う考え方が何となく出てきました。いま、実は私は京都で道徳教育振興会か何かの座長をしていまして、「心のノート」というのを考えているんですが、

(※注=この講演は「心のノート」を出す前に行われている。「心のノート」は翌年4月からスタートした)

それをつくる方の座長もしています。つまり日本人が新しい個人主義を目指していくなかで、どういう道徳を身につけていくかということを、みんなで考えようと言っても、ジャーナリズムはあまり反対しないんじゃないかというふうに考えています。宗教の方は非常にむずかしいのですが、ついでに言っておきますと、宗教というものを高等学校で教えるんであったら、どんな教科書で教えられるかというのをいっぺん試しにつくってみようか、なんていうことを今考えているんです。それも上からつくるんじゃなくて下のレベル、国民のレベルでこれくらいのことは知っていなくては話にならんといったものをつくってみようかと考えています」。

 ここでは「心のノート」の意図、或いは宗教教育の高校向けのテキストを試しにつくってみたいなどと、河合氏は表明しています。これは自民党の国家戦略会議ですから、自民党の議員との質疑応答でも「京都でもアンケートをやりますから、こういうのをやっているじゃないか、他でも考えたらどうだというんで、国民全体の運動的なものを、政府が取り上げてポンとやるという格好にすればいいのではないかと思うんです。道徳とか宗教のことに関して政府が先に動くと、どんなにいいことをしてもむずかしいと思っています」と、本音をあけすけに語っています。

■相手に応じて言葉を使い分ける河合氏

野田 そういう発言はもっとマスコミに知らせないといけない。彼(河合氏)は相手に応じてまったく別のことを言う。先日の毎日新聞ではこの手のことは匂わせないで、個性重視の教育を平気で語っています。ですからマスコミのなかでも彼を信用している人は結構いますが、相手に応じて言葉を使い分けながら、基本にある権力志向は一貫していますからね。

蒔田 アンケートをみても、最初からこういう方向に持っていこうという意図がよく出ています。最初からどこに○をつけたらいいかわかるアンケートなんてないですよ。「心のノート」も同じで、子どもたちは学校で「心のノート」とか道徳をやらされると、何が正しいのか目の前にぶら下げているわけで、自分の本当の気持ちとは無縁に、その場はこれを選べばやり過ごせるとなってしまいます。異議申し立てはダサいと、初めからあきらめています。

 鋳型にはまったように前向きであかるく、積極的で他人を思いやり、礼儀正しい国を愛する集団のゾーンみたいなものに、学校にいる間はその仮面を被っていればことが済む、と毎日毎日トレーニングされているわけです。

 河合氏は(行政側市民会議の)名誉座長ですからね。さらに座長、副座長がいる(笑)。まともな学者であれば、「西洋には神様がいるから上手くいくが、日本にはないから」なんて、バカなことは言わないですよ。野田さんがやった「ユング批判」、それと彼の心理学との関わり、そういったものをもっときちっとやっていかないとダメでしょうね。ユングなんてのはアメリカの一部で盛んに持ちあげられていますが、ドイツではナチズムとの関係で影が薄くて批判の対象になります。日本のように何も分からないところで、初めて日本にユングを紹介したとか言っても通らないですよ。

野田 日本でもユングを研究していた人はいます。にもかかわらず、河合氏は平然と自分が最初の紹介者だとか言います。普通、学者はそういった恥ずかしいことは言えませんが、彼は言える。ユング研究を日本に初めて入れたとか、「ユング心理学を日本で確立した」とか、肩書きに書くわけですからね。

 例えばケインズを初めて翻訳した学者が、翻訳したというのはいいが、ケインズ学を日本で初めて確立した学者ですなんて言ったら笑われます。紹介者が「日本で」という条件をつけて学を確立したと自負するなんて。

 彼等のグループがやっていることで驚くのは「心理臨床大事典」がありますが、河合氏のところはフロイトと並び称して同じ頁がとってあり、臨床心理学を確立した偉大な人と書いてあります。この辞典の序文は河合氏です(笑)。他の国に行ってもフロイトはもちろん知っていますが、河合という名前はだれも知らないでしょう(笑)。

 私は河合氏については80年の頃、ユング紹介の本などを見て、この人は嘘つきだと思いました。ケースを見ると、こんな患者さんはいるはずがないと思ったのです。ですから、学校の教育について彼は子どもの話を結構書いていますが、学校の先生は「こんな子どもはいない」となぜ見抜けないのか、と思います。河合氏のキャリアがどうだとか、どこそこでこう言ったとかの前に、自分の職業に関わることで、プロとして自分は子どもを観ているという意識があれば、河合氏の語るような子ども像なんてない、ということを学校の先生も気付いてもらわないと困りますね。

蒔田 先生たちが子どものことに気付くということそのものが、いまむずかしくなっているんでしょうね。成績が絶対評価になって最初に貰った成績簿を見て驚きました。4年前、上の子が中学生だった頃と全く違ってファイルになっています。一つの科目について五項目くらい列挙され、「愛国心通知票」じゃないけど、どうやってランクをつけるのか分からない項目に、ランクをつけて全部で100項目くらいの評価です。

 それとは別に裏付けのデータもあるそうで、「先生たちは子どもたちを一日中、関心・意欲・態度がどうかということをチェックしてランクづけしているのですか」と尋ねると、「そうなんです」との答えでした。「だったら子ども見てる余裕なんてないですね」と聞くと、「本当にそうなんです」と教師が言う(笑)。夜遅くまでパソコンにデータを打ちこんでる教師も気の毒です。

■上から下りてくるものに無条件に従う「異常」さ。

安岡 関心・意欲・態度があまりよくない評価を受けたときに、それをどうするかという余裕がないような気もします。私が中学3年生のときに、関心・意欲を評価する制度は導入されていて、私も成績が下がりました。「お前は授業中、こんなことをやっているから、これではダメだよ」と言われましたが、それも言われずに単なる観察のような評価だけをしていたら、先生と子どもの双方にとってマイナスでしょうね。

蒔田 子どもをモノのようにランクづけしたり、レッテル張る傾向が強まってますよね。東京都なんか「独特の目つきをする」とか七五項目を四段階で評価する調査を全生徒にするというから驚きます。商品管理みたいですよ。

野田 指導力不足教員リストの延長だから、やっている方は何も矛盾を感じない。ある県では指導力不足教員チェックの90項目のなかには、化粧が濃い、服装が派手、夫婦げんかが多いとか入っているところもあります。人間像が分裂していて、統一した人間として人を見る姿勢じゃないですからね。世俗的な言葉でいえば嘘つきですが、教育委員会も河合さんも場面場面で自分を装って生きているわけです。役割行動、役割言動がすごく巧みです。

 結局、そういう人たちが子どもに、お前たちも同じようにそうすればいいんだ、というメッセージを与えています。近代のなかでの教育は、統一した人格として生きるための人間関係、感情、思考を持っていけるようになることですが、ますますこうやってインチキな自己を装わせていこうとしていることに対して、憤りを感じますね。

 アンケートのことで言えば、自民党の講演で河合氏が言うには「私はちょっとずるいことを考えていまして、京都でやっているんですが、京都のいろんな方にともかく俺はこれは悪いというものを、いまアンケート取っているんです。何でもいいから『これは悪い』というものを整理して、PTAで配って集めて、何のかんの言わんでも、京都の人はこれは悪いと言ってる、頭ごなしに悪いと言え、と。私は道徳教育についてはこういう言い方をしているんです。『頭ごなしの道徳教育』というのと『考える道徳教育』と二つあって、人を殺したらいかんのですからしょうがない、ものを盗んだらいかん、これはいかんというのは、オヤジに怒鳴られたから怖いと思って身に付くでしょう」と言っていますから驚きます。

野田 河合氏は、こういうことを、ちゃんと言わないといけない。そうすればもう少し話もできるでしょう。彼は道徳以前と言いますが、従来の言葉で言えば「身体化された道徳」という言い方をされてきました。人を殺すなとか盗みをはたらくなとかいったことはありますが、こういったことは学校に入ってから教えるものでもない。5、6歳までに身につけておかないといけないものだけれど、そこに国を愛せとか、実際に言っておいてこういう場面では言わない。そういういかがわしさというか、ずるさが河合氏にはあります。

 それとアンケートに限らず、教育委員会からものが来たら100パーセント出さないといけないということになっていることが不思議ですね。アンケートもその延長です。「心のノート」が全国でどれくらい使われているか調べます、と文科省が言うでしょ、全国の教育委員会に言う、各市町村の教育委員会に言う。それが回収できるというのが異常なんです。教育関係は無料で自己申告するのが当たり前になっています。先生は慣れているから異常だと思ってないでしょうが、外からみると異常です。

■市教委は「書類をやめる」「手出しをやめる」ことから

 確かにそうです。文科省から各都道府県教育委員会に対しての調査を求めるような書類は相当あります。それに対していい加減な対応は許されませんからね。

野田 尾道の小学校を調べたときに一年間で1500数通、それも朝と午後に通知・通達がくるわけです。そのうち報告を求められた文書が残っているだけで370通です。学校は勤めている職員数からみると中小企業の規模です。そのようなところにそんな書類を出されたら企業だとやっていけません。

 私たちの場合、子どもと一緒に何かをすることが営業活動にあたるのでしょうが、それが出来ずにひたすらパソコンに向かって書類づくりをしているのが現状です。

安岡 そういったことが「説明責任」という言葉を使うことで正当化されています。ある地域の中学校では子どもの成績を出身小学校別に「開示」するという話があって、びっくりしたのですが、小学校を選べるということで情報公開したらいい、税金も使っているし説明責任にもなるだろうとばかりに、どんどん足を踏み出していく方向です。

 結果的に、小学校間の格差は増大するでしょう。いまの社会の「格差があって当然」という考え方は恐ろしいです。何か知りたいと思ったことが、すべて利用されている感じがしないでもない。もちろん利用されている面と代行してやってもらっているという面と両方あるとは思いますが…。

 説明責任と学校を選べる自由を広げたいということがセットになって、学校を選べるということに飛びついていくと、序列化が始まって、学校づくりを特色化せよということにつながっていくでしょうね。子どもたちは地域の学校から離れた所に通い出していく、学校選択制のもとで、東京の半分以上の行政区ですでに始まっています。京都でも小中学校の学校選択制が数年先に予定されているところもあります。

蒔田 「なんでも反対」ではなくて、対案を出しなさいとよく言われますが、まず「子どもを操作しようと何かをする」ことをやめて、と言いたいんです。例えば、昨年の夏休みに娘が「未来を開く中学生会議」というのに誘われていきました。花脊で三泊するから野外で遊ぶつもりで行ったら、三日間部屋の中で朝から晩まで心理ゲームのようなことをグループでやらされました。

 キャンプカウンセラー(?)とかいう人たちが、リードして徐々に「団結、すばらしい!」と興奮してくるらしいんです。名前も俗世のを捨てニックネームをつけられて、まるで「洗脳合宿」で、娘は帰ってきてから寝込んで「死にたかった、逃げられなかった」って言うんですよ。市教委はそんな変な企画をしないでほっといてほしい。毎週のようにカラーのパンフレットが「心の教育」や「人づくり二一世紀委員会」がらみで、学校から配られるけど、お金の使い方が間違っていると思うんです。対案はいくらでも出てくるけど「書類をやめる、手出しをやめる」という「しないこと」をまず提案したいです。

安岡 最近の京都市教委や、国が行う教育改革をみていると、民主性の喪失ということを感じます。自分たちに関係のある重大なことが決まるのに、その決定過程に全く関わることができないし、拒否することも難しい。こうした点に対する感覚を麻痺させないように、反対を続けていきたい。反対運動に積極的に関わる人のなかにも無力感のようなものが蔓延しそうになる雰囲気を感じることがあります。敗北感といってもいいかもしれません。教育を巡る問題にせよ、戦争にまつわる問題でも、とにかく現実に存在する問題を自分たちの手に取り戻していくことが必要なんだろうと思います。

 いま大学生とかでも将来はほとんど保障されていないに等しいので、ますます生活をどうしていくか、という課題が大事になってくると思うんですね。僕自身も将来なさそうだし…。教育という、多くの人の生活に密接に関わってくる課題を通じて、より広範な大きい意味で、運動自体が対案となるような運動を続けていきたいですね。

■増え続ける事件、不登校…教育委員会の責任は?

野田 教育というのは、相手の子どもの内面に入らないと教育は出来ません。問題なのは先生に対して頭を切って足を揃えるようにみていることが問題なんです。個々の先生には偏りもあるでしょうし、時に暴言を吐く人もいるでしょうが、ある程度は社会も許容しないといけない。ですから教師はキチっと揃えられたロボットのように思っていることをやめないといけない。教育委員会はまず子どもの意欲を言う前に、先生の意欲を引き出すことが本来の仕事です。教師の頭と足を切って身長を揃えることが、教育委員会の仕事ではない。五段階に分けてランク付けする教師がいても、親とケンカできるほど率直に語ればいいのですが、いまは全部の教師を同じようにそうさせるのです。

 教員の方も「指導力不足」とされると、現場を離されて特別研修です。研修をして復帰のためにという名目でありながら、実態としては退職強要をされて、辞めさせられていくようなことが一方で出てきていますし、一方では教育委員会に覚えめでたい先生は優秀教員として、昨年ですと、府教委関係は50人、市教委関係は500人表彰しています。市教委の場合は図書券を2万円ずつ付けています。

 そして今年から3年計画で、すべての教職員を評価システムにかけていくということです。まだ未定の部分ですが、全国の先取りしているケースでみると、五段階評価をして給料と人事にリンクさせていく方向です。S・A・B・C・Dの五段階です。Bですと真ん中ですから、これだと年一回、いままで通り給料がちょっと上がっていく。Aですと給料が上がる時期を3ヵ月短くする、逆にCだと3ヵ月遅くするわけです。先生たちも競争に追い込まれています。

野田 競争といってもそこに忠実かどうかだけです。評価したいのであれば、教育委員会こそだれに評価してもらうのか。教育を良くするというところで業績を上げているかどうか、チェックされないといけないけれど、教育委員会はいっさいされていない。不登校だって増え続けていますし、事件も起こり続けています。この責任はどうでしょう。先生の評価の基準も校長の言うことを聞いているか、学校の決められたことに従順であるかとかが並んでいます。結局、ロボットであるかどうかが点数なんです。

 そのあたりの問題は、市教委に対して少しはっきりさせる必要がありますね。先程蒔田さんからモラロジー研究所の話が出ました。1926年に設立され、全国に4万8千人の会員を抱えているこの団体は、「倫理道徳の研究と心の生涯学習推進」を掲げて、63年からは毎年1回「教育者研究会」を開いているそうです。「教育者研究会」には、これまでに6万6千人が参加しているといいます。

 理事長の廣池幹堂(ひろいけ・もとたか)は「研究会」の挨拶文の中で、「新世紀を担う若者に元気がない」、その原因は「自虐的な歴史教育がなされたこと」にあり、この克服のために「我が国の歴史、伝統、文化のすばらしさ、とくに皇室を中心として培ってきた寛容の精神、共生の心は(中略)最も必要」と道徳の意義を展開していました。さらに現行憲法は「アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための憲法」で「国際法違反」でもあるため、「憲法と教育基本法の改正は避けることができない」と訴えています。

 一民間人である彼が何を言おうと勝手ですが、京都市教育委員会がこの団体を公的に後援していることは問題です。京都では門川大作教育長が8月7日、この「研究会」に出席し、講演を行いました。私たちの市民会議は事前にこのことを知り、急遽、公開質問状を提出し、市教委へ押しかけ、教育長の出席中止を求めました。

 「憲法、教育基本法に基づいた教育行政を進めなければならない市教委が憲法を否定した研究会を後援し、チラシを配り、教育長が講演までするのは言語道断であり、公務員の義務を定めた憲法に違反している」というのが私たちの意見です。しかし、市は、蒔田さんや安岡君のいわれたように、このときもいっさい話し合いに応じようとはしませんでした。

 私たちは、7月29日に講演の差し止めを求める住民監査請求を提出し、講演の日の教育長の給料返還を請求しました。

 京都はこの団体から愛国心奨励の先駆的な地と見られており、市教委はこれに応えるかたちでこの団体を後援しています。私はモラロジーという名前だけは聞いていましたが、市教委がこの民間団体と結びついていることを、不覚にも知りませんでした。教育委員会の後援は、日本の各地でおこなわれている模様です。私たちは全国の人びとと協力してこのような不正を糺していく必要があります。

 長くなってすみませんが、もう一つ。京都市教委が後援しているのは「モラロジー研究所」だけではありません。今年の5月、市教委は「教育研究会・未来」(本部・東京)の講演会も後援しています。「未来」は主宰者の北村弥枝氏が95年、「女性教育総合研究所」として設立し、その後「世界教育新研究会」に改編、現在の名称になった組織です。この団体の会員は全国に約3千人。女性が6割を占めているそうです。北村氏は憲法改正などを訴える「日本会議」との親交があり、天皇即位十周年記念の奉祝委員も務めています。

 「戦後の日本は外国による弱体化政策にはまり」「世の中のお役に立てない子どもがすごく出てきている」。この政策は「若い女性に殿方と同じように表に出て働くことが最高の喜びと教え」、「妻を放棄し、嫁を放棄させ、夫婦別姓などと言うほど狂わせ」た。その結果「大和魂を持った子供たちを世の中に送り出すことができなくなった」というのが北村氏の主張です。

 このため「神国日本としての意識を取り戻し、全世界の中心となる国になるためには」、「子の心は胎教で母が教え」るべきである。かつ男性の運勢は女性の「愛の出し方」に左右されるので「妻とお母さんの心を取り戻すべき」である、と彼女は訴えています。

 なんと市教委はこの団体も後援しているのです。京都だけではありません。各地の教育委員会はこの団体を後援し、ここ2年ほど、この団体は30回以上「心の教育」をテーマに講演活動をしています。

 教育委員会がどのようなものになっているか、「未来」との関わりからもわかります。教育委員会をもうこのままにしておくわけにはいかないことが、本誌の読者のみなさんにもおわかりいただけるのではないでしょうか。いま全体のすう勢として改憲ということを、みんな平気で口にします。そういう世の中になっています。これは実に怖いことです。

 教育行政の問題では、言い出したらきりがないほど、意見や怒りの声が出てきます。この座談会もここで閉めますが、読者のみなさんにいま進められている教育行政の恐ろしい狙いが分かっていただけることを切に願っています。みなさん、お忙しいなか、ありがとうございました。



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