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(http://www.asahi.com/national/update/1119/TKY200711190353.html)
額賀財務相側が「口利き」 元防衛官僚が証言
2007年11月20日06時24分
元防衛官僚の太田述正(のぶまさ)氏が、仙台防衛施設局(当時)の局長在任中の00年3月、内閣官房副長官だった額賀福志郎財務相側から、山形県内の建設会社を同局発注工事の指名に入れてほしいという口利きが同局にあった、と朝日新聞記者の取材に語った。額賀氏側は全面的に否定している。太田氏は、要請は防衛庁官房長だった守屋武昌・前防衛事務次官を通じて伝えられたと、当時の同局幹部から報告を受けたと主張し、経緯を記録したとする当時の日記などを公開する意向だ。
額賀氏側は、同建設会社をめぐる「口利き」や「口添え」、そうした依頼や指示をしたことがあるかという朝日新聞の質問に対し、代理人の弁護士を通じて「一切ない」と回答した。
太田氏の話によると、00年3月2日夕、当時の仙台防衛施設局の幹部から、山形の建設会社についての額賀氏側の要請が、守屋氏を通じて東京の防衛施設庁側に寄せられたと報告を受けた。この幹部はあわせて▽額賀氏側からの同趣旨の要請は99年中にもあり、99年度にこの会社を1回指名したが、工事は落札していない▽その後、この会社の格付けと工事のランクが合わず、指名できなかった経緯がある――という事情も説明したという。
太田氏がパソコンに保存している日記の00年3月2日付の部分には、その日一日の出来事とともに「額賀官房副長官から官房長に、山形の●●〈原文は会社名〉の口添えをしているのに、動きが悪いとのクレームが入ったと●●〈原文は仙台防衛施設局の役職名〉が言ってきた」との記述がある。
また、太田氏によると、12日後の3月14日、仙台防衛施設局にあいさつに来たこの建設会社の役員2人と局長室で面会したという。同日付の日記には「例の額賀議員がらみの話。●●〈原文は施設局の役職名〉から、本庁●●〈原文は防衛施設庁本庁の役職名〉より、丁重な対応をと言われているとの話があった」との記述がある。また、建設会社役員らが話した内容として「額賀氏の秘書の●●〈原文は名字〉氏から、局の局長のところに顔を出せと言われた」と書かれている。
太田氏が日記のほかに示したのは、部下に指示し、00年7月7日と11日に、仙台防衛施設局の発注工事や用地買収にからむ口利き事例をまとめて報告させた際のリスト。
「斡旋(あっせん)利得議員等リスト」と題し、国会議員など14人の実名が記載された文書はパソコンに保存され、この中に「額賀福士〈原文のまま〉郎(衆議院議員)。元防衛庁長官。99・4・23。00・3・2(官房長経由)」などとする記述があった。太田氏は文中の「99・4・23」について、額賀氏側から99年中に業者指名に関する要請があった年月日として報告があった日付を記録したとしている。
仙台防衛施設局が改編された東北防衛局によると、この建設会社は99年度に公務員宿舎の新築工事1件(00年2月入札)、00年度に車両整備工場などの新築工事1件(00年12月入札)で指名を受けたが、いずれも工事は落札していない。
太田氏は東大法学部を卒業後、71年に当時の防衛庁にキャリア官僚として入庁。官房審議官などを経て、仙台防衛施設局長を最後に01年3月に退官した。
■額賀氏側「一切ない」
額賀氏の代理人の弁護士は19日、太田氏が語った「口利き」について文書で回答したうえ、朝日新聞の面会取材に応じた。
この弁護士は、額賀氏側の「口利き」を全面的に否定したうえで、「建設会社にも聞いたが『こういう事実はない』『99年と00年には太田氏とは会っていない』と言っている」などと話した。
文書では、守屋氏に苦情を伝えたことは「一切ない」とし、仙台防衛施設局長への面会の働きかけについても「秘書が『局長のところに顔を出せ』と言った事実は全くないとのことです」と答えた。
文書によると、太田氏が挙げた山形の建設会社そのものは額賀氏も知っているという。経営者が元防衛政務次官の元自民党衆院議員(故人)の支持者で、この元議員と一緒に額賀氏の講演を聞きに出席し、その時、元議員から紹介されたと説明。そのうえで、額賀氏の講演を聞きにきているだけの関係だ、と答えた。
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