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LONG VACATION、そして天皇陛下が語られる「外来種」
ドラマ「ロングバケーション」にあらためて想うこと
11年ほど前の日本で流行ったテレビ・ドラマの一つに、「ロングバケーション」(フジテレビ)がある。当時、私はドイツ・ボンで駆け出しの外交官。放映された2年後(1998年)に帰国することになるのだが、帰国直後も「ロンバケ」の余韻は強く、日本のカルチャーに一日でも早く再適応しようと、全巻をビデオ屋で借り、見いったことを思い出す。
今、その片鱗はYouTubeで今でも見ることができる。昨晩も遅くに一人、PCの前にたたずみ、思わず懐かしさに涙していた(笑)のだが、そこで思ったことがある。
「この10年余りの間、日本人は一体何をしていたのだろうか?」
すでにPHS(懐かしい!)もインターネットもあった時代。しかし、現代のドラマとは違い、1996年に放映されたこのドラマにおいて、「ケータイ」や「ネット」、それに「メール」は登場しない。
しかし、それでも人々は互いに出会い、愛し、和合して暮らしていたのである。すぐにツールに走り、表層的な会話にだけ終始し、「あとはネットで」と逃げ回る現代。それとは明らかに違う、必死に生きるONLY YESTERDAYの日本人像がそこにはある。
この言い様のない違和感は一体どこからくるのだろうか?
天皇陛下が語られた「外来種」とは何のことなのか?
去る11日、天皇皇后両陛下は滋賀県・大津市に行幸された。琵琶湖で行われた「第27回全国豊かな海づくり大会」の式典にご臨席されるためである。
天皇陛下はそこで行われたご挨拶の中で、自からが皇太子時代に米国から持ち帰った外来魚のブルーギルが琵琶湖の生態系を脅かしていることに触れ、「心を痛めています」と述べられた(関連報道はこちら)。
「当初、食用魚としての期待が大きく、養殖が開始されましたが、今、このような結果になったことに心を痛めています」
そう語られたのだという。――――このことの意味は大きい。
「何をそんな大袈裟な。自然科学者でもある天皇陛下が、その意味で純粋に心を痛められて発したにすぎないのでは?」と思われるかもしれない。しかし、私には決してそうは思えない。
確かに、象徴天皇制の下、天皇陛下は一切の「政治的発言」を行う権能を持たれない。天皇陛下のみならず、皇族が全体として憲法学上、いわゆる「人権」の範疇外とされ、日本の政治プロセスから隔離されるべきものとされてきた。天皇陛下が行うことができる国事行為は制限列挙であり、例外を許さない。
しかし、だからといって皇族の方々の行為が、事実上の政治的インパクトを与えないというのは言いすぎであろう。いや、むしろそうした事実上のインパクトをあまねく日本社会全体に与えるからこそ、天皇陛下と皇族の方々による行為はまさに「伝家の宝刀」であり、容易に抜かれるべきものではないとも言えるのである。
私はこのことについて、かつて拙著「国家の読み解き方」(勁草書房)の中で論じたことがある。憲法典は「社会統合のためのプログラム」であると読むルドルフ・スメント流の解釈をとった時、その一翼を現実に担うのが君主制なのだ。そのことを無視して憲法論を語ることはできず、また日本国の象徴としての地位(日本国憲法第1条)はまさにこの統合機能が具現化したものとしてみなされるべきものなのである。
とりわけ、国家としての日本国が大混乱に陥るといった意味での「国難」に際して、天皇陛下が持たれるこの事実上の役割が持つ意味合いはとてつもなく大きい。そして、古来、日本にとって「国難」とは多くの場合、外来であった。とりわけ、明治維新というプロジェクト自体が「国難」への対処法であったことを踏まえれば、その後の日本における「国難」とは、結局のところ、資本主義化という意味での近代国家システムが欧米より浸透していく過程で、国家としての日本が名実ともに揺さぶられる場合のみを指すというべきであろう。―――そして、この意味での「国難」を拝するために天皇陛下が抜かれる「伝家の宝刀」、それがお言葉だと考えるべきなのだ。
そう考えた時、どうしても考えなければならないことがある。
「今、はたして日本は『国難』に襲われているというべきなのか?」
「天皇陛下が嘆かれている『外来種』とはいったい何を指すのか?」
「日本国」を思われ続ける天皇皇后両陛下
私は外務省にキャリアの外交官として勤務していた際、極めて短期間ではあるが、天皇皇后両陛下にお仕えする貴重な仕事に携わったことがある。2000年5月に行われた天皇皇后両陛下によるオランダ国賓訪問の際である。
オランダへの国賓訪問は、天皇皇后両陛下の強いお気持ちから実現されたものであった。オランダと日本の間には、第2次世界大戦中、現在のインドネシアにおいて発生した、いわゆる「従軍慰安婦問題」がある。女学生までもが「従軍慰安婦」とされた、この凄惨な歴史問題について、天皇皇后両陛下は常に心を痛められ、日蘭友好の実現を悲願とされてきたのである。
その意味で、この国賓訪問の際、天皇陛下がベアトリクス女王主催晩さん会で読みあげられる「お言葉」は決定的な意味合いを持つものであった。そこにいかなる「和解」のお言葉が盛り込まれるのか。もっといえば、オランダ側が強く求める「謝罪」が入るのかどうか。―――こうした難しい論点を抱えた「お言葉」の草稿を担当したのが私だったというわけである。
準備作業は国内外の両面にわたって、文字通り困難を極めた。だが、結論としては「大成功」であった。晩さん会当日、オランダの国営放送はその様子を中継。決定的なフレーズを「お言葉」として読まれた天皇陛下を、にっこりとベアトリクス女王が微笑み返し、ここに日蘭の間における新しい歴史の一ページがめくられたのだ。今でもその時の喜びは忘れられない。
国賓訪問の際にはいつも行われるのであるが、その後、宮城に私もこの御訪問に関与した者の一人として参内するよう宮内庁より指示を受けた。余り知られていないことであるが、特別航空輸送隊(いわゆる「政府専用機」運航のための航空自衛隊のチーム)から、果ては外務省の電信官まで、大広間に一列となる中、天皇皇后両陛下は一人一人にねぎらいのお言葉をおかけになってまわられる。
私も天皇皇后両陛下からお言葉を賜る栄誉に預かった一人である。今から思えば大変不敬なことだが、私は自己紹介する際、「お言葉」案の担当者であったことを御説明した。すると、天皇陛下はにっこりとうなずかれ、皇后陛下が静かに微笑まれながらお言葉をかけてきてくださった。
「それは大変でしたね。さぞかし歴史の勉強をされたことでしょう。ありがとうございました。」
オランダ御訪問の直前に立ち寄られたジュネーブにおいても、最後の瞬間まで自ら筆をとられ、外務省作成の「お言葉」案を直されていたのは天皇陛下である。その気迫は伝礼として指示をおろしてくる侍従長の言葉から十分にうかがわれ、上司ともども畏れ入ったものである。
宮城でたまわったお言葉の重み、それは天皇皇后両陛下が私たちの国=日本国を思われ続けることのみを御公務として行われていることへの驚嘆の念によるものであったといっても良いであろう。その「重み」は、今でも決してわすれることのできない思い出である。
「一億総アメリカ化」する愚行
さて、話を「外来種」に戻そう。
天皇皇后両陛下、そして皇族の方々が常に「日本国」の行く末を案ずることだけをされているという前提に立った時、今回のお言葉から私たちは何を思えばよいのだろうか。
ここで思い起こさなければならないのが、「一億総アメリカ化」を進めようとする国内勢力の手によって、象徴天皇制であれ、「天皇制」そのものの事実上の廃絶がここにきて急激に画策・進展してきたという事実である。
実は、私が把握しているだけで2社ほど、日本の有名出版社が現在の皇統の正統性に大きな疑問符を投げかける著作の刊行を画策しているとの情報がある。一つは、新進気鋭の日本史学者(専門は江戸時代)によるものであり、もう一つは(驚くべきことに)旧宮家にもつらなる事物で、言論人として突如浮上した人物の手によるものだと聞く。とりわけ、前者はかなりの策謀とでもいえるものであり、私が知っているだけでも過去5年間にわたって執筆が続けられているものである。その誤った意味での「実証性」が、天皇家に与えるインパクトはテキストを読まずとも十分に予測がつく。
前回、このコラムにおいては米軍が日本のメディアをつぶさにウォッチし、コントロールしているシステムの一部をご紹介した。私が知る限り、上記の出版社はいずれも、こうした米国の情報工作機関による「非公然活動(covert action)」の対象、いや、その隠れ蓑となって活動してきたものである。すなわち、
1)まずは若手言論人候補を拾い、
2)彼らが得意な分野でどちらかというと「愛国的」な書物を書かせ、ヒットに持ち込み、
3)「若き言論人」として各種の媒体へと売り込みをかけ、
4)ある程度の影響力を持つようになった段階でいよいよ「本当のメッセージ」を彼らの本として出す
という手法をこれまで何度となく繰り返してきた出版社である。表面的には、こうした動きは単なるマーケティング(つまり純粋な私企業としての行為)のように見えるが、実際のところは、個別具体的な指示を米国の情報工作機関から受けての作業であることはいうまでもない(実際にそうした指示を受けている「出版社幹部」諸氏は、このコラムを読んで、当然、顔色を変えるはずだ)。そうした出版社たちによる動きなのである。今回の出版計画2点が、米国の意向によるものであることを前提としてまずは考えるべきなのだろう。
他方、ふと見ると、日本のすべてがここに来て流動化する一方なのである:
●「大連立」の試みに見られるとおり、日本の国政の主は永田町の住人たちでもなく、ましてや日本国民でもないことが露呈した
●経済はというと、5期連続で並み居る日本の大手企業たちが黒字決算を出してきたにもかかわらず、為替レートの乱高下にあわせて株式マーケットは翻弄され、「不安定」そのものといった状況になってきている
●メディアについても、いわゆる往年のトークマスターたちの抱えるテレビ番組ですら視聴率低迷は免れず、ましてや印刷メディアにいたっては「公称」と「実態」のかい離がもはや隠せず、企業間の統合すら緊急の課題になりつつある
今は・・・・明らかに「国難」というべき状況に他ならないのである。そのようなタイミングであるからこそ、先に述べたとおり、昨年、いやもっと前の段階から、今年の秋に皇室をめぐる「衝撃本」の出版が画策されていたのであろう。そう考えると、今の日本で起きていること、その全てが「あらかじめ決められていたこと」のような気がしてくるのだから不思議である。
政治、経済、そしてメディア、さらには皇室をめぐって今、起きているすべてのことが、実際には米国と密接不可分であることが明らかになりつつ今であってもなお、金科玉条のように「日米同盟神聖論」を語る自称「言論人」が後を絶たない。その内の一人曰く、「アングロサクソンは戦いに負けたことがない。日本はアングロサクソンと手を組まなくてはダメだ」という。
しかし、この映像をご覧いただきたい。戦闘機「ムスタング」からゲーム感覚で機銃掃射を行う米兵たち。ナレーターは盛んに「軍事関連施設の破壊」だと説明するが、どう考えても非武装な小型漁船や、砂浜で逃げ惑う市民たちに銃を向ける行為の、いったい何が正当化されるというのか?――――この映像に映し出されている「米国からの目線」に、戦後日本のすべてが凝縮されているのだ。そのことを忘れてはならない。
LONG VACATIONはもう終わらせなければならない
焦土と化した日本。その中で「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」ことによって再スタートを切り、現在の繁栄を私たち日本人は手にした。
だが、その過程において、「ムスタング」から降り立った米国人たちは、当然のように日本社会をアメリカ化し、その仕組みが無意識に再生産されるシステムを構築していった。
「完全に去勢され、米国の対日政策をめぐる真実を語らない大手メディアたち」
「親米を語れば食い扶持が守れると信じて疑わない『言論人』たち」
「一昔前の米国モデルを持ちこんでは日本で高値売り抜けを狙う元日本人留学生たち」
「「ムスタング」に機銃掃射されたことを忘れ、ひたすら装備の米国標準化をはかる武人たち」
「欧米の微妙なバランスを渡り歩くのではなく、米国閥だけが伸張する外務省」
・・・・などなど、例を上げればキリがない。
しかし、いかに62年前のあの時、それまでのシステムが強制終了となったとはいえ、その後にとりいれられたものは「外来種」にすぎないのだ。そして、それがどれほど我がもの顔をして跋扈していたとしても、在来種の存立すら危うくするのであれば、徹底して駆除されるべきなのである。そのことは、自然界に最終的には包含される人間界においても全く同じなのだ。
まもなく、世界は私たち日本人にとって想像もつかない「大転換」を迎えるであろう。
●日米首脳会談(11月16・17日)において福田康夫総理は「円高誘導」を強要され、
●12月初旬には中東和平が達成、原油に代わり「原子力」が前面に躍り出、
●それとほぼ同時期に、北朝鮮問題を巡るこれまでの米国発のとある重大な主張がすべて「虚偽」であったことが明らかとなる。
「原田武夫はここにきて商売っ気だけが一杯で、言論に力がこもっていない」とのお叱りの言葉を某ブログなどでお受けしているのだが、実はこの第3の点についての重大な図書を来る1月に上梓すべく、この秋は準備作業に没頭していたのであった。19日より弊研究所HPにて告知するので、ご期待いただきたい。
いずれにせよ・・・大切なのは、私たち日本人がLONG VACATIONを抜け出すことだ。
「うまく行かなければ休めば良い」という時期はもう終わった。
良い加減、再び自らの足で大地を踏みしめ、自らの頭で考えた方向へと歩み出していかなければいけない。
天皇陛下が口にされた「外来種」というお言葉は、そう考える全ての日本人に対する激励の言葉なのだ。
2007年11月14日
原田武夫記す
[新世紀人コメント]
北朝鮮問題を巡るこれまでの米国発のとある重大な主張がすべて「虚偽」であったことが明らかとなる。…とあるが、
「米国発のとある重大な主張」とは何を指すのだろうか?
私には考えられる事が幾つもあって、どれであるかを絞り込めない。
原田氏は著作で何を書くのであろうか?
それにしても、福田政権にはもう余り時間が残されていない。
自民党は老いぼれたとしか言いようがない。
暗礁に乗り上げた有様だ。
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