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1997年に起こった残忍な事件ですが、これに関して何も知ってない人がまだまだ多いと思うので、改めて紹介したいと思います。
1997年5月24日に行方不明になった神戸市須磨区友が丘の土師淳君(当時11歳)が同27日に、頭部が中学正門前で見つかり、残る遺体も、その近くの丘陵にあるケーブルテレビ中継アンテナ基地で発見された・・・
1.1997年6月28日のA少年逮捕は、自白しか証拠がなく、物的証拠はまったくなしに、行われた。
少年逮捕のあと、同日夜、記者会見に臨んだ兵庫県警の山下警視正は、「凶器は?」と聞かれて、
「ナイフ・・・など」(・・・は沈黙による間)
という、奇妙な答え方。
さらに
「刃渡りは?」と聞かれて、
「・・・わかりません!」(・・・同前)
と、肩で唸り声をしぼりだすように答えていました。
凶器自体が不明で、具体的な形状など言えなかった、というのが、あの逮捕の実態だったのです。
2 しかもその自白は、警察が少年をだまして取ったものだった。
「冤罪はこうして作られる」によれば、あるベテラン刑事は以下のように語ったそうです。
「人間はな、そんなに強いもんではないよ。…殺しを自供させてくれ、と被疑者をあてがわれれば、三人でも四人でも同じように自白させてみせるよ。…三日あったら、お前に殺人を自白させてやるよ。三日目の夜、お前は、やってもいない殺人を、泣きながらオレに自白するよ。右のとおり相違ありません、といって指印も押すよ」
現在の警察の取り調べ方からすれば「やってなくても自白する」ほうが、人間としては自然なのです。いかなる状況でも無実を一貫して訴えられる人のほうが、むしろ少数派なのですね。ですので「自白したから犯人のはずだ」というのは間違いです。
【酒鬼薔薇聖斗の犯行声明の筆跡はA少年ではない】
第2犯行声明の文字と自宅から押収された作文の文字の照合が終わっていないうちに警察官が「筆跡が一致した」と偽って情報を流した。
しかし、照合結果は「これらを同一人のものと断定ですることは困難だ」という結論だった。
【死斑の色】
友が丘中学校門前に置かれた首は赤い色をしていました。
普通の死斑は紫です。
赤い死斑ができるケースは特殊です。それは、遺体が低温保存されたとき、一酸化炭素や青酸カリで中毒死したときです。
【あの日に頭部切断は不可能だった】
アンテナ基地で頭部を切断したとされる頃合い、現場は警察とPTA が警察犬を動員して山狩りの最中。
遺体の工作はできません。
【南京錠】
殺害したあと、遺体をしまっておくために、その現場のケーブルテレビ用アンテナ施設の柵を開けようとして、戸の南京錠を切ったと「供述」していますが、それが発見されていません。
さらに、南京錠を切ったなら金属粉が出たはずですが、現場にも遺体にも金属粉は発見されていません。
【ルミノール反応】
死体から頭部を切断した現場と「供述」しているタンク山のケーブルテレビ・アンテナ施設では、血痕を検出するルミノール検査に、反応がありません。
警察が捜索して向畑の池から「発見」した「凶器」、金のこにもルミノール反応はありません。
切り取った頭部を家に持ち帰り、風呂場で洗って、髪もとかしたと「供述」していますが、その自宅の風呂場にもルミノール反応はありません。
ルミノール反応というのは、血液が最大五○万倍に薄まっても現れます。
頭部の切断面は「鋭利な刃物か電動ノコで切断されたような鋭い切り口で、ギザギザではなく真っ直ぐ一様に切られていた」となっているのに、犯行に使ったとされる金ノコであれば、その切り口は「ズタズタ・ボロボロ」になり、そのようなことは不可能です。
【遺体発見直前、管理者や捜索中のPTAらが現場を見ていた】
胴体部分発見の直前の午後1時半頃に、新人職員の研修のため、7人でアンテナ基地に行っていたケーブルテレビ課の係長の話では、入口の南京錠があかないので、鍵を間違えて持ってきてしまったと思ったという。しかし、基地内に入れなかっただけに、より入念にフェンス越しに中を見たのである。その彼が言った。
「その時、何かいつもと変わったことは全然気付かなかったですね」
「遺体の一部とか、靴とか、血痕とか、そういうものは何も見ませんでした」
「匂いとかも気付かなかったですね。・・・金ノコの切り屑とかも気付かなかったです」
また、PTAの捜索でケーブル基地まで行った友が丘8丁目の主婦3人は異口同音に「フェンス越しに中を見たけど気になるものは何もなかった」と語っている。
【真犯人は目撃されている!】
「黒いブルーバードが停まっていたのと、黒っぽい服の男がうずくまっているのを見た」
「あれが犯人だと思います。あの少年なんかじゃないですよ。会社の人もみんなおかしいといってます」
27日五時頃に不審な車と人間を目撃した運送会社の運転手Bさんは、われわれが後日学校正門前で行った早朝一斉聞き取り調査に応じてこのように明言した。
さらに北側通用門のところに丸く膨らんだ黒のポリ袋をもった男が隠れるように植え込みにしゃがみ込んでいるのを目撃した。そして、頭部発見のニュースを聞いて「あれが犯人だ」と直観したのだという。
このBさんが見た黒いゴミ袋を持った(現在の住民は青いゴミ袋を使っており黒いゴミ袋は使っていない)黒っぽい服の男は、4時半頃に、中学校北側幹線道路の車道の真ん中を西方向に向かって歩いていたのも目撃されている。この男は多くの人々に何度も目撃されているのである。
またBさんが見た黒いブルーバードは、同時間帯にここを通ったタクシードライバーCさんら多くの人々が目撃している。
それだけではない。Bさんは、遺体発見の前前日の25日の午後5時頃に、北側通用門のところから正門方向を監視するように見ていた一八〇センチほどの長身の男とそれよりやや低めの男の二人連れを目撃したという。
これは犯行の下調べであったにちがいないのだ。
だが、このような決定的な目撃情報はやみに葬られてしまった。
早朝の聞き取り調査を受けてBさんの会社を訪問したところ、Bさんの会社の役員は
「捜査に協力しようと思ったのに逆に犯人扱いされた。」「警察でもマスコミでもない怪しい人間が徘徊するようになった」「怖い」
「これ以上、危険なところに(Bさんを)巻き込ませたくない」
と、強く訴えるように何度も繰り返した。
また、Cさんも同様に
「警察に口止めされている」「あのことはもう思い出したくない」
と、切実に述べたのである。
彼らは、一様になにものかに怯えた様子であった。
兵庫県警捜査本部が、目撃者に口止めをおこなったことは明らかであった。
中学の正門前で怪しいことをしていたら、南落合の高台から丸見えだ。早朝でも車の通りはあっただろう。
そして「マスコミであれほど騒がれていたのに、黒いごみ袋の男については警察は一度も聞き込みに来なかった」と、そのあたりの住民たちは言う。
南落合に限って警察の聞き込み捜査が来なかったのだ。
そして警察当局は、少年の処分が確定するや否や、タンク山の中継アンテナ基地の改修工事を強行させ、疑惑の隠蔽工作にのりだしています。
さらに「真相を究明する会」の会員であった東京の高校教師の夫妻にたいしては、真相究明する運動から手を引けとばかりに、卑劣な脅迫が加えられてもいるのです。
弁護士は、A少年が当初は「警察にだまれたのが非常につらいかった」と訴えていたこと、しかし、そのうちに疲れてきて「もうそんなんいいんだ。早くやつてくれ」と言いだしたことを明らかにしているのです。
このようなA少年の言葉こそは、彼が長期間の拘留と取り調べに疲れはて、耐がたい苦痛から逃れるためであるならば無理にでも「非行事実」を「認め」てしまおうと考えたことを、よくしめしていると言えないでしょうか。
このような経過を経た事件では、被疑者を「どうにでもなれ」という気にさせてしまい、後は警察官や検事のいいなりになることがしばしばあった筈です。
そしてこれこそは、戦後の数々の冤罪事件と全く同様の事態をくり返したものと言えないでしょうか。
http://kokusaku-enzai.seesaa.net/article/66864138.htmlに書いた記事から一部抜粋しました。
あまりにいっぱいありすぎて、とても書ききれませんでしたが、
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/index.htmあたりのサイトにはもっと詳しくいろんなことが書かれてます。
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