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http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10055464496.html から転載。
2007-11-14 18:59:23
gataro-cloneの投稿
<アフガンの子らに希望>日本は紛争にどんな支援ができるのか?/山の学校の取り組み【長倉洋海】
テーマ:アジア
中村哲医師(NGO「ペシャワール会」現地代表)は「殺しながら援助はできない」とアメリカによる「テロとの戦い」の欺瞞を鋭く告発し続けている。
またアフガニスタンで武装解除を指揮した経験を持つ伊勢崎賢治・東京外大教授は海自のインド洋上での給油活動継続を「実に、ばかげたこと」と批判する。
そして、アフガニスタンの小学校で支援活動をおこなっている、フォトジャーナリストの長倉洋海さんは、欧米がなぜアフガニスタンで嫌われているかを指摘し、日本の支援活動のあり方を次のように問いかけている。
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以下は「しんぶん赤旗」(11月14日1面)から直接貼り付け。
<発言 07年 秋>アフガンの子らに希望 ―― フォトジャーナリスト 長倉洋海さん
今、アフガニスタンのいなかにある小学校を支援しています。首都カブールから北へ約百`。パンシール渓谷に流れる川沿いの、車でさらに三十分はど上流にある「山の学校」です。児童百五十四人です。
岩肌駆け学校へ
初めて訪れたとき、ぼろぼろの平屋の校舎で、窓ガラスも扉もなく、寒風のなか手をあたためながら小さな子どもたちが一生懸命ダリ語や算数を勉強していました。早朝五時には起きて、家で飼っている羊を放牧してから、学校めざして岩肌を駆けてくる子どもたち。厳しい生活の中でも勉強の意欲を失わないその姿に、何かできないかと思ったのがきっかけです。
ジュマ・ハーンという十歳の男の子が今年亡くなりました。肝臓の病気でした。泣きべそで、いじめられて泣いてはお兄ちゃんにかばってもらっていたジュマ・ハーン。外国だったら治せたかもしれないとも聞きました。
モハマッド・ハーンくんも去年、戦争中、家に隠されていた爆薬に火がついて爆発」お姉さんとともに亡くなりました。「神が定めた運命なのかもしれない」と父親はいっていました。大きなものに審判をゆだねざるを得ない姿に、逆にその悲しみの大きさが伝わってきました。
テロを許してはいけないという意味で、テロとのたたかいは必要だと思います。そのテロの温床にあるのは貧困だという人がいますが、世界を悪くしているのは一部の権力を持った人や、金持ちの欲望に際限ない人たちだと私は思います。
そのしわよせを受けているのが貧困層ですが、彼らは貧困を人のせいにするのではなく、日々、まっとうに生きています。テロを生みだし、行っている人とは違います。身内を殺され、憎しみを持ってたたかいに加わったり、自爆テロ攻撃に志願する人もいると思いますが、武器や金を渡す人たちがいるからこそ、彼らも身を投じるのだと思います。
なぜ欧米嫌うか
欧米が、中米でもアフリカでも中東でもなぜ嫌われるかといえば、彼らは口では美しい民主主義を唱えながら、領土的な野心のために、民族と民族をたたかわせて、それを植民地経営のてこにしてきた歴史があります。いま、根強く対立が残っている地域の多くが欧米の植民地政策に原因があります。
それを見据えると、日本は、僕たちは、紛争にどんな支援ができるか、何をすればいいのか、見えてくるのではないかと思います。
僕は若い人たちが、いろんな国の人と触れ合うことで始まる国際理解、国際協力というのがあると思います。そこから武力に訴えない、平和のあり方が見えてくるはずだし、日本への強い提言になると思うのです。
今年の「山の学校」の新一年生のなかに、死んだジュマ・ハーンによく似た子がいました。「ジュマ・ハーンの弟?」と聞いたら、「そうだよ」との答え。悲しみを乗り越える希望を感じました。この子たちが、未来のアフガンをつくっていくのだと強く感じました。人々を長く見続けていくことで、人々の望むものや国の将来が見えてきます。
ながくら・ひろみさん 1952年北海道釧路市生まれ。同志社大卒。時事通信社をへてフリーに。アフリカ、中東、中南米など世界の紛争地を訪ねる。92年土門拳賞、写真集『アフガニスタン 山の学校の子どもたち』(憤成社)、『ぼくが見てきた戦争と平和』(バジリコ)ほか多数。
聞き手 都 光子
写 真 吉武 克郎
(*画像は長倉洋海さんのHP ― http://www.h-nagakura.net/ から拝借)
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