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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007111402064319.html
2007年11月14日 夕刊
核兵器を搭載した米軍艦船による日本国内への寄港や領海通過を認める日米間の密約をめぐり、米政府が一九六三年から六八年にかけ、佐藤栄作元首相や外務省幹部らに確認を迫っていたことが十四日、米公文書で分かった。日本側が当時「核搭載船の寄港は認めない」と表明するたびに、米側が危機感を持ち要請したとみられる。
日本政府は現在も六〇年の日米安全保障条約改定に際し結ばれたこの密約の存在を否定しているが、米公文書では外務省が密約に関する記録を保管していたことも判明。密約は日本の政権や外務省内の一部でその後も長期間にわたって引き継がれていた可能性が高い。
公文書は一九六八年一月二十六日に在日米大使館が国務省に発信した極秘公電。米シンクタンク「国家安全保障公文書館」が米国立公文書館から入手した。
公電によると、六八年一月二十五日、当時のアレクシス・ジョンソン駐日大使が外務省の牛場信彦次官、東郷文彦アメリカ局長を呼び出し、同月開かれた三木武夫外相との会談に言及した。
ジョンソン氏は「三木と話すまで日本政府上層部、少なくとも佐藤首相はわれわれの立場を理解していると考えていた」と述べ、三木氏が密約を知らないと会談を通して感じたことを示唆。こうした点を「大きな誤解」とし、取り除くよう牛場氏らに求めた。
この際、核搭載船の通過・寄港を「核持ち込み」とみなさない日米共通の解釈を確認した六三年四月の大平正芳外相、ライシャワー駐日大使(いずれも当時)の秘密会談の存在を指摘。さらに六四年九月に再び大平氏、同十二月には後の駐米大使安川壮氏ら外務省幹部や佐藤氏に順次解釈を確認したことも明かした。
牛場氏は「外務省も秘密会談の記録を持っている」とした上で「大平、佐藤両氏と相談し三木氏への対応を検討する」と回答した。政権内部で根回しされていなかったことに対する不満を牛場氏が漏らしたという。
六七年末には、原子力空母「エンタープライズ」の初寄港をめぐって国会で核兵器搭載の有無が争点になり、野党から追及を受けた三木氏は「核兵器を積んで寄港しない、それが米国の約束」などと発言していた。
国民は納得しない
我部政明琉球大教授(国際政治)の話 今回見つかった米公文書は、密約を結んだ日本政府が、存在を否定し続ける理由を示している。文書から、日本側が主体性を発揮できるはずの事前協議制度は密約によって機能しなかったことが読み取れる。さらに核搭載船の寄港を日本側は了解しており、在日米軍基地の使用でも米側に最大限の裁量を与えていたことも明らかにしている。岸信介政権下でスタートした日米パートナーシップがこうしたいびつな実態を隠してきたため、国民の信頼に支えられる日米関係を築けないのだろう。米側からの事前協議申し入れがないので、核の持ち込みはないとする日本政府の説明を聞いて、国民が納得するはずはない。
<メモ>核搭載船めぐる密約 米軍による核持ち込みについては、1960年の日米安全保障条約改定で事前協議の対象とされたが、核兵器搭載船の通過・寄港を協議の適用外とする密約を記した「討論記録」が交わされたことが、米公文書で裏付けられている。池田勇人首相が核搭載船の寄港を認めないと発言した直後の63年4月4日、大平正芳外相とライシャワー駐日米大使が会談。「核搭載船の寄港・通過は核持ち込みに当たらない」とする密約の解釈を確認したことなども米公文書で既に明らかになっている。
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