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2007年11月14日発行 二十一号
9条改憲阻止の会
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E−mail:kyujokaikensoshi@utopia.ocn.ne.jp
国会審議もまた変わるか、会期末まで見守ろう
「まだ国会前に座り込んでいるのか…」「うん、そうだよ」「そんな自慰的なことはやめろよ、といっても止めないだろうが…」「自慰というのは小沢の辞意だろうに」「ハハハ……」。友達との電話でのやり取りである。僕が国会前に座り込んでいる行為を一種の自慰的なものに過ぎないと思っていないわけではない。別に無力感に陥っていることではなく、現状に自覚的だという意味でだ。現状とは僕らの行動が少数であるからとか、政治的有効性(力)を実感できないからというのではない。それは僕らの政治的言葉が深さと広がりを持っていないことだ。僕らは「憲法九条改定阻止」のスローガンで結集し、行動をしている。だが、これは政府が憲法改定を提起してきたから危機感にかられて反射的に行動しているのではない。それはひとつの契機ではあるに過ぎない。憲法九条ということも、危機感も僕らの身体から出てくる一つの表象ではあるが、その背後の身体の内部で渦巻き沸騰しているものはもっと深くて広いものである。ただ、それはまだ言葉になり得ていない。僕らのさしあたっての言葉とは距離があり、その自覚もあるのだ。
僕らの身体の内部で渦巻いているものは日本は何処へ行くのか、世界は何処へ行くのかという思念であり、その像を求める欲求である。それは僕らが家族の中で連れ合いと葛藤しながら今と明日を生きていること、あるいは仕事場で些細なことに悩みながら生きていること、さらには、自分の身体の動き(病など)と付き合って生きていることと同じである。国家や世界の今を、明日を考えることはこれらと少しも変わらない。確かに、僕らは国家や世界についての指南力のある思想が次々に敗北し、解体させられてきた苦い経験をもっている。それはかつて左翼陣営に身を置いてきた僕らだけのことではない。少し、ずらして考えれば戦後の国家権力の運営を担当してきた保守の部分も同じである。彼らも国家や世界の明日を担うに足りる指南力のある見識も構想も持ってはいない。僕らの立っている場所とは少しも違はないのだ。
僕は国会前に来る度にかつて六十年安保を共に戦い、政治家になって活動中に暴漢に刺されてなくなった石井紘基のことを思う。彼はソ連(当時)に留学しロシアの官僚制の退廃を深く知った。その批判を日本の官僚制の今日、明日の問題として生かすように取り組んでいた。その途上で亡くなったが、若いころに僕らが「ソ連もアメリカもダメだ」とさけんだブントに共感したことのうち、彼はソ連の批判を日本の国家構成の問題として展開していたのだ。僕は今、アメリカもダメだといった方に比重を置いている。「アメリカから自立して自分で考える」という誰しもが当たり前にいう言葉を真なるものにするためだ。これを日本の国家の構想として現実化したいのだ。これは明治維新以降に日本人に浸透してきたアメリカ的なものの愛憎両面の対象化なしには不可能であるが、今、それを避けて通れない時代にあるのだと思う。
この通信は「12月15日の国会の会期末」まで間隔を空けて続けます。現場ニュースではないのですが、待機中として了解してください。それと期間がありますので意見などの投稿をお願いします。一回の分量は一面で掲載できるくらいで。事務所まで(FAXでもメールでもOKです)。 (文責 三上治)
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