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先週の金曜日、「死刑問題」の勉強会に出席するために法務省に出かけた。その際に、団藤重光さん(94歳)のメッセージを携えて、東大准教授の伊東乾さんが出席した。このおふたりは、朝日新書でと『反骨のコツ』いう本を上梓している間柄で、一読をお勧めする。伊東さんを経由して、鳩山法相に宛てた手紙を紹介することにする。団藤重光元最高裁判事は、現在の刑事訴訟法を起草した経験を持ち、波崎事件で法廷で「人殺し」という声を浴びたことがきっかけで、死刑廃止に向ったと言われている。(保坂)
なぜ死刑は廃止されねばならないのか ―――死刑問題勉強会のために
日本は古来、死刑を行わない時代が長かったことを多くの国民は知っているでしょうか。昔の記録に残っています。平安時代、嵯峨天皇の810年に藤原仲成が誅されてから、「保元の乱」の勃発で1156年に再開されるまで、実に300年以上にわたって死刑は停止されていました。
そもそも唐から輸入された「律令」を手本に大宝・養老律令を制定したとき、日本では法定刑を中国よりも一、二等軽くしたものが多いのです。818年には盗犯について死刑を事実上廃止しています。
遣唐使を廃止し、日本ならではの文化が栄えた「国風文化」の時代、日本には死刑がありませんでした。日本の文化は古来、伝統的に死刑を好まず、忌まわしいものとして避けてきました。
これを、トマス・モアの時代の15,6世紀のイギリスと比べると、違いは顕著です。あちらでは無数の窃盗犯が片端から死刑になっていたわけですから、大変な差があります。
『保元物語』に「国に死罪を行えば、海内に謀反の者絶ず」とあるように、こうした死刑の長期停止には、殺生を戒め、慈悲を本旨とする仏教の影響もあるのかもしれません。
これは明治以後に西洋近代法学が輸入される直前までの、伝統的な日本文化全体に通じます。私は陽明学に深く影響を受けましたが、江戸時代初期の陽明学者、熊沢蕃山は
「君子の治世は殺を用いず」「仁君は法を乱すを慎みたまえ」「人を殺すに政をもってするは、刃より甚だし。刃は限りあり。不正の殺は限りなし」と語っています。
死刑、つまり人間が人間を殺す刑罰は、法の名のもとに決して存在してはならない、という共通認識が、21世紀の今日、国際的に合意されています。EUを初め国連加盟国の大半が死刑を廃止し、フランスは2007年、憲法によって死刑を禁止しました。
なぜ死刑はあってはならないのか?
それは要するに人間性に反するからです。生命は天の与えたもの、人間が決して作り出すことができないもので、これを人が奪うことは決して許されません。
死刑は大変にむごたらしい、きわめて残酷な刑罰です。
さらに学術的な二つの理由で、死刑はあってはなりません。
ひとつは裁く側の人間の可謬性です。人間に完全ということはない、必ず誤りを犯すのが人間であり、その人間が、取り返しのつかない死という刑罰を科すことはできません。
可謬性の問題は私の友人でナチス・ドイツの惨禍に遭われたユダヤ系科学哲学者、サー・カール・ライムント・ポパー博士が第二次世界大戦後に、詳細に論じています。
いまひとつは、裁かれる側の人間の主体性、すなわち悔悟による変化、矯正の可能性です。重い罪を犯した人が、悔い改めて聖人になる例も歴史上数多く存在しています。
そうした可能性をすべて奪う死刑は、あってはなりません。この「主体性理論」については、私の「死刑廃止論」第六版(有斐閣)で詳細に論じました。
日本国憲法の下で死刑が合憲とされた最高裁判例は、戦争犯罪者に死刑を宣告する極東軍事裁判がまだ進行している昭和23年に、苦渋の元で下されたものでありました。
人が人を殺すことを容認することは、憲法を含め、あらゆる法律以前にあってはならないものです。これは各国別に異なる憲法によって定められるような水準の問題ではなく、もっと深い人間性に根ざすものです。
一国の憲法の制度がどうあろうとも、つまり日本で言うならば欽定憲法の時代でさえも、死刑は本来あってはならなかったものだと私は思います。旧憲法時代、私はまだ死刑廃止論には到達していませんでしたので、残念ながらそのような主張をしませんでした。しかし、大日本帝国憲法の下でも、死刑は廃止されねばならないものだったと思います。
昨今、民心を寒からしめるような残虐な犯罪の報道を多く目にしますが、「汝、殺すなかれ」は個別の法を超えた絶対的な命題です。
これを国が率先してこそ、民心も安定します。EUを初めとする死刑廃止国の現状すべてが、その成功の証拠となっています。
以上から、死刑は絶対的に廃止されなければならないものであると結論します。
2007年11月8日 94歳の誕生日に 団藤重光
上記文書は、11月9日、鳩山法務大臣との「死刑執行に関する勉強会」に筆者が準備の上、持参したものである。もし表記に瑕疵があれば、すべては筆者の責任である。(談・校正、聞き取り文責:伊東 乾)
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