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今日の日曜定番の政治番組でも、“大連立騒動”をやっていた。今日みた番組で共通していたのは、この大連立構想を最初に仕掛けた渡辺恒雄読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆に対する非難であった。どうであれ、ジャーナリズムの人間が政治に自ら介入したことに対する非難であった。国民の多くがそう考えているので、マスコミもこれに追随せざるを得ないのだろう。この問題の潮目は変わってきた。
このフィクサーがもっとも責められなければならないことは、自らが仕掛けた大連立構想が頓挫すると公称1000万部を超える『讀賣新聞』を使って小沢民主党代表を政治的に攻撃したことである。最初に『讀賣新聞』11月4日の一面トップ記事をみたとき、私も小沢氏に強い不快感をもたざるを得なかった。それほど酷い記事だった。小沢氏が代表辞任表明の記者会見でわざわざ名前を挙げて抗議したのも理解できる。その職を辞さなければならないのは、渡辺恒雄読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆その人である。いまのところその動きがあるとは聞いていない。わが国で最大の発行部数を誇る新聞は、独裁者に支配されているということか。
今回の渡辺恒雄フィクサーの言動をみていると、池田大作創価学会名誉会長のそれと二重写しになる。まず大きな組織を独裁的に支配していること。その組織を本来の目的以外に使って自らの政治的野望を行おうとしていること。自公“合体”政権の最高指導者気取りであること。独裁者であるが故に自らの言動に責任を取らないこと。『讀賣新聞』と創価学会が特別に親密な関係にあることは周知の事実である。今回の工作について、この二人が通じていたと私は推察している。批判精神を失った自公“合体”政権の議員は、この二人の老人の言うなりなのである。彼らは恥ずかしくないのであろうか。私には哀れにさえ見える。
新テロ特措法案に対する世論の潮目も変わりつつある。インド洋における給油活動をしなければ、国際社会から孤立するというのもどうもそうじゃないと国民は感じつつある。また、防衛というのは少なくとも利権の対象になってはならない、という健全な感覚が国民の中にある。しかし、守屋前事務次官の接待漬けをみるにつけ、防衛であろうが何であろうが自公“合体”政権は利権の対象にするという実態が明らかになってきた。私などは自民党の中で長い間防衛族をみてきたが、彼らも所詮は“族議員”なのである。族議員というのは、票とカネを求める議員なのである。あの三白眼の防衛大臣も所詮は防衛族の一員なのである。そんな輩がエラそうなことをいっているから腹が立つ。
戦いというのは、押したり引いたりするものである。今回は民主党が押し切られそうになった。相撲でいう“徳俵(とくだわら)”で、辛うじて踏みとどまった。相撲では徳俵に足がかかると、簡単には押し出されない。民主党も野党もここが勝負時・正念場である。新テロ特措法案を阻止しなければならない。アフガン戦争が“テロとの戦争”とことに思いをいたせば、そもそも最初からおかしいのである。“テロとの戦争”などということは、そもそも軍事概念としてあるのか。9・11同時多発テロは、紛れもなくテロである。しかし、アフガン戦争でテロをなくすることはできるのであろうか。アフガン戦争は、アメリカの報復戦争でしかない。こんな報復戦争に付き合う必要は微塵もない。
それでは、また明日。
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