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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20071210-01-0701.html
額賀のクビと「大連立劇」の後遺(1)
2007年12月10日 文藝春秋
防衛利権をめぐり国会は紛糾。解散・総選挙はもはや不可避か――
「委員長室を出るときは自信満々だったんだけどねえ。一時間たったら電話でなかったことにしてくれって。どうなっているのかね」。十一月二日、二度にわたる党首会談を終えて、官邸に戻っていた首相・福田康夫は周辺にこう漏らした。水面下で周到に練り上げられたはずの大連立構想は、民主党代表・小沢一郎が党内をまとめることができず、一旦立ち消えとなった。国民の多くの度肝を抜いた大連立構想は、一体、誰が、いつシナリオを書いたのか。
話は九月十二日の前首相・安倍晋三の突然の辞任表明に遡る。代表質問一時間前の政権投げだしは、自民党にとっても危急存亡のときのはずである。しかし、この時、「ピンチはチャンスに変えられる」と考えた人物が二人いた。元首相・小泉純一郎と読売新聞グループ本社代表取締役会長兼主筆・渡辺恒雄である。
七月の参院選で自民党が惨敗して以降、渡辺は自ら筆を執り「民主党も政権責任を分担せよ。自民党は党利を超えて、民主党に政権参加を呼びかけてはどうか」と「大連立」を呼びかけてきた。ホテルオークラの料亭を舞台に自ら主催する「山里会」では、鳩山由紀夫に大連立論を熱く説く。しかし鳩山はつれなかった。「参院選での民意に背くような行動はとれません」。
ところが、安倍の電撃辞任によって大連立構想がにわかに動き出す。実は渡辺は安倍辞任の一報を聞いて、いちはやく福田後継への流れをつくった陰の立役者の一人でもある。一方、渡辺と小沢の関係も古い。九八年の参院選で自民党が大惨敗した後、首相・小渕恵三と、自由党党首・小沢の仲介的役割を演じ、自自連立政権を誕生させた黒子役の一人が渡辺だった。
そして今回も渡辺は小沢にこう説いた。「六年、場合によっては九年間、国政は長期にわたってねじれが続くことになる。ここはひとつ、民主党も政権責任を分かち合うべきだ」。これには小沢も「話はわかるが、それは政権をもっている側が言い出すべき筋の話じゃあないですか。総理のお話なら断ることはしない」。渡辺はすかさず「それなら福田にも話してみよう」と応じる。参院選直後からこうした政治状況を打開すべきだとの認識をもっていた福田は、自らが政権を担うタイミングでもあり、「前向きに話を進めてほしい」と答えた。
一方、独特の嗅覚で政局勘を働かせたのが小泉だ。歌舞伎やオペラ鑑賞以外ではほとんど姿を見せなかった小泉が、十月四日の町村派総会に六年ぶりに出席し、発した言葉は、水面下の政治の動きを察知している者にのみ真意が理解できるものだった。「人生には、上り坂もあれば下り坂もある。さらにまさかという坂もある」。この「まさか」こそが大連立である。小泉はすでにこの時点で、大連立への手応えをつかんでいた。福田政権の発足直後から、福田に大連立実現を説き、水面下の交渉を促した。小泉と接触した議員は、小泉の気持ちの高ぶりを感じ取っていた。「首相引退後は、やっと女性と話ができるとか、柔らかいネタが多かったのに、それがなくなった」。一方で、小泉は五年半、自らの政権を支えてくれた公明党への恩義も忘れていない。福田に再三、「民主との連立を実現しても、公明党を離すことがあってはならないですよ」と訴えた。
福田の代理人として、“指名”されたのが元首相・森喜朗である。森は十月なかばから極秘裡に、小沢との折衝にあたった。
ただし森は小沢に対して強いわだかまりがあった。早大以来の親友・小渕が脳梗塞で不帰の人となったのは、自自公連立政権で小沢が高いハードルを突きつけたからだ、という憤りがあった。だが、森の協力要請に小沢の反応は驚くほど前のめりだった。「年金改革、子供手当、農家の戸別補償を掲げ、我が党は参院選に勝利した。だから財務、厚生労働、農水の閣僚ポストは民主党で占めるべきだ」。また連立政権の象徴として「副総理兼無任所相での入閣」についても「望まれるなら」と否定しなかった。
しかしここでも小沢は、土壇場で高いハードルを突きつける。「自民・民主連立政権はよいが、公明党は外してもらうのが条件になる」。森の答えは当然「ノー」である。衆院の解散総選挙の時期については、「大連立が実現するなら、首相は任期満了近くまで解散権を封印するだろう」と森。さらに中選挙区制復活にまで話は及んだ。「比例代表はなくして、現行の三百選挙区を百五十にまで合併し、定数は三に」などの具体案が検討された。小沢は「自民党の方をまとめてきてください。固まればこちらの方は、きちんと話をして(党首会談に)臨みますから」と断言した。
公明外しを迫る小沢
大連立への流れができはじめた十月二十五日、東京・紀尾井町の料亭・福田家に、渡辺、元首相・中曽根康弘、前官房長官・与謝野馨らが顔を揃えた。与謝野の慰労会のはずが、渡辺の新聞文化賞受賞祝いとなった。上機嫌の渡辺は「いまのねじれの状況を直すには、大連立しかありえない。一気に閣内協力まで進むかは実際に(党首会談を)やってみないと判らないが」と胸を張る。与謝野は「三日後に小沢さんと囲碁で対局します。棋風から相手の心理状況が見えるものです」と笑った。ANAインターコンチネンタルホテル東京の囲碁サロンで行われた対局では、周囲の予想に反して小沢が大差で勝負を制した。与謝野が序盤で一本とったが、小沢はあきらめずにひっくり返した。後から、党首会談にいい気持ちで臨んでもらうため、与謝野が手加減したのだろうとの見方も囁かれた。
十月三十日午前、衆議院常任委員長室で一回目の自民・民主党首会談が開かれた。冒頭のみ両党の幹事長・国対委員長が同席したが、会談が始まるとすぐに退席した。二人きりになると、小沢は六歳年長の首相に礼を尽くす。「今日はありがとうございます」と頭を垂れた。さらに「総理はワインがお好きで知識がおありと聞きました」と座を和ませる。会談の大半は政治の現状をめぐる大局的な話が占めた。福田は低姿勢で小沢の協力を仰ぐ。「各国が政府と話をしても、その通りにならないなら、日本が国際社会から見放されることになる。それは国益に反することで、民主党としても望む姿ではないはずです」。そして話は核心へ。福田は「この際、お互いが協力しあえる仕組みを作ることが大事だと考えている。政策を実行するための“新しい体制”を築きたい」。「新しい体制は理解するが、公明党はそこに入らないということでよろしいですね」と再び公明外しを迫る小沢。福田は「それは現実的ではなくできない」と拒否するが、小沢も譲らない。「もう一度週内にやりましょう」。福田の要請に小沢も「それは結構です」と応じた。
福田は、森、小泉らに会談の様子を伝えた。小沢が公明外しを主張したことに森は「小沢にだまされてはいけない。絶対にそこを譲ってはダメだ」と釘を刺す。小泉も「公明を離すようなことがあっては、絶対にならない」と繰り返す。しかし福田は、党四役には詳しい説明をしなかった。一方の小沢も、党幹部にはほとんど説明せず、「福田の言うことは抽象論ばかりで何が言いたいかわからなかった」と煙に巻いた。
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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