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『同席政治家は複数』 守屋前次官証人喚問 答弁に10秒の間 うろたえる場面も
2007年10月30日 07時40分
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007103090070719.html
衆院テロ防止特別委の証人喚問で、補佐人の弁護士(右)との協議を深谷委員長に注意され、頭を抱える守屋武昌前防衛事務次官=29日午後、国会で
「防衛事務次官のポストにあった者として痛切に責任を感じる」。二十九日、衆院テロ防止特別委員会で開かれた守屋武昌前防衛事務次官(63)の証人喚問。守屋氏は、防衛専門商社「山田洋行」(東京都港区)の宮崎元伸元専務(69)との親密ぶりを認めて謝罪する半面、同社への便宜供与は「一切ございません」ときっぱり否定した。だが、大物政治家との接点などをめぐる証言の歯切れの悪さに、野党は「疑惑が深まった」と不信感を強め、識者からは「喚問を“幕引き”の儀式にするな」と注文が付いた。
「私の不祥事に関して、国民と防衛省職員に大変申し訳なく思っている。(法案の)審議を進める上で大きな障害となっていることを、防衛事務次官のポストにあった者として痛切に責任を感じる。誠実にお答えすることで審議が円滑に進むよう願うばかりです」
冒頭、深谷隆司委員長(自民)から、衆院テロ防止特別委が自らの不祥事の解明に時間を割く羽目になったと苦言を呈されると、守屋氏は陳謝した。宮崎氏からのゴルフ接待の回数は「多い時は年に二、三十回。五年で百回を超えた」。「佐浦丈政」という偽名でのプレーも「間違いございません」と神妙に答えた。
守衛らに囲まれ、グレーのスーツに証人を示す緑のリボンを着けて委員室に入った守屋氏。宣誓書に署名する際、緊張からか日付を「九月」と書き間違えて「十月」に訂正したり、生年月日を二度答えたりする一幕も。
宮崎氏とのなれ合いをめぐり、委員からは「この際、全部話した方がいいのでは。ほかに何があるんですか」。矢継ぎ早の厳しい追及に、守屋氏は夫婦でゴルフセットをもらったり、海外土産のネクタイをもらったりした事実をぽつりぽつりと打ち明けた。
かつての“豪腕次官”が「あのー、それについては、あのー…」としどろもどろの場面も。後ろの補佐人の弁護士を振り返り証言内容を相談、委員長から「証言拒否の際しか補佐人には相談できない」とたしなめられ頭を抱える守屋氏に、自信をみなぎらせていた現役時代の面影はなかった。
最もうろたえたのは、宮崎氏との会合に同席した政治家について問われた瞬間だった。なかなか証言に立とうとせず「答えられないのか」とヤジが飛んだ。十秒ほどの間をおき、委員長に促されて「一人ではなく複数だったと思います」。さらに、思い出したかのように「いろんな政治家がおられる席に宮崎さんが入ってきた会もあるし、少数の席に先生がおられて私が入ったということもあった」。
出席者の中に防衛相や旧防衛庁長官の経験者がいたかただされると、再び間をおき「現職の大臣ではなかったと思います」と証言、大臣経験者との同席を認めた。ただ「いつごろの時期か記憶がはっきりしないので、特定の方の名前を挙げるのは迷惑をかけるので差し控えたい」とかわし、委員室はざわめき立った。
接待の事実関係はほぼ認めたものの、見返りの便宜供与は否定した守屋氏。宮崎氏のことも「長い間の友人関係」と述べ、疑惑の核心はことごとく否定した。
■「喚問」で終わるな 軍事ジャーナリスト前田哲男さんの話
守屋氏は業者との癒着を認めたが、調達にどう影響したのか、肝心なことは言葉を濁した。物足りなさは残ったが、防衛省の長年の不正が、国会の証人喚問という一番厳しい形で国民の目にさらされたことは初めてで意義があった。文民統制とは、背広組が制服組を監督すればいいというものではない。国会には防衛省調達の暗部を除去するという真の文民統制を期待する。喚問を追及のスタートにすべきで、幕引きの“儀式”にしてはならない。
■ 隠すものを隠した 評論家の佐高信氏の話
政治家がきちんと役人をチェックしないから「厄人天国」をもたらした。事務次官を四年も務めたのは異常で、政治家とグルになったからできたこと。宴席に同席した人物の名前を出さなかったのは、政治家に対する脅しだろう。「隠すものを隠し、守るものを守った」という姿勢が際立つ証人喚問だった。
「山田洋行」や「日本ミライズ」は単なる商社。もっと追及するべきなのは、守屋氏と、日本の防衛利権を代表している企業との関係だ。
(東京新聞)
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