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最近感動したこと(森田実の時代を斬る)
2006.9.1(その2)
森田実の言わねばならぬ[311]
最近感動したこと――松木けんこう衆議院議員の「わが師・藤波孝生を想う」の一文を読んで
「世の中で最も強い人間とは、孤独でたったひとりで立つ人間である」(イプセン)
最近、大変に感激したことがある。
いま私は、季刊のタウン誌『神楽坂まちの手帖』に連載している「政界早稲田人脈」のための取材をつづけている。
最近、藤波孝生さん(元内閣官房長官)の句集『伊勢灣』と著書『藤の花』と『藤波孝生オーラル・ヒストリー』を読んだ。そして、いろんな人に藤波さんのことを聞いたが、藤波さんの人間としての大きさに触れ感動している。藤波さんが偉大な人物であることを改めて認識した。
とくに、かつて藤波さんの秘書だった松木けんこうさん(民主党衆議院議員)の「わが師・藤波孝生を想う」の一文には心を打たれた。私は松木けんこうさんに、藤波孝生について一文を書いてほしい、それを『神楽坂まちの手帖』の「政界早稲田人脈」に掲載させてほしいとお願いした。松木けんこうさんは快諾してくれ、以下の一文を送ってくれた。
《わが師 藤波孝生を想う――衆議院議員・松木けんこう 大学に合格したときに、父の「藤波先生のところで人生勉強をさせてもらいなさい」という一言で、議員会館に出入りするようになりました。それが二八年にも及ぶ藤波先生とのご縁の始まりです。
「松木君。日本が世界一の国を望んだら不幸になる。地球儀を見たことがあるだろう。そこでキラッと光る国を目指せばいいんだよ」。誠実で、総理候補と嘱望されていた藤波先生は私のような一九歳の青年にもまっすぐ向き合って言葉をかけてくれました。
「政治家は常に在野の気持ちを与野党問わずに持っていなくては駄目だ」が口癖でしたが、リクルート事件により世界は一変し、世間の冷酷さ、暖かさを実感させられたことと思います。しかし、泰然自若、言い訳も愚痴の一つもこぼさず、裁判の一切も弁護士に任せるのではなく、どんな書類にも目を通し対応されていた姿を横で見ながら、覚悟の出来た方なのだなと改めてその人格力の凄さに感銘したことを今でも忘れられません。
私が二度落選して政治の道から離れようとした際、「自分より先に選挙をやめるのか」と言われて奮起し、三度目に当選を果たして小沢一郎先生のもとで頑張っていましたが、藤波先生が労働大臣の時に「小沢さんは田中元総理に一番信頼のある政治家で、腹も据わっているし、若い。将来の総理だな」と評していたことをふと思い出しました。
また、現在は渡部恒三先生の下で国対副委員長として修行中ですが、渡部先生と藤波先生とは早稲田で同期、政治の理想を語り合った仲とのことで、人の世の縁の深遠さに驚かされています。
「至誠一貫」という言葉が好きで、それが最も似合う人なのに、不条理を痛感するばかりですが、折々に伊勢にお邪魔する度に、にこっと笑いながら迎えてくださる藤波先生に人生の、そして政治の羅針盤として今なおお話しが聞けることを私は誇りに思っています。》
【松木けんこうさん。ありがとうございました。これは「政界早稲田人脈」に引用させていただくために書いていただいたものですが、大感激しましたので二度使わせていただきます――森田実
なお、最近、各方面で「藤波さんは無実の罪に問われたのではないか」との問題意識から無実を証明する調査・研究が始められている。私は、藤波さんの名誉が回復される日はそう遠くないと思っている。】
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02862.HTML
藤波孝生氏死去 74歳、元官房長官(中日新聞)
2007年10月29日 朝刊
◆リクルート事件で有罪
中曽根内閣の官房長官を務め、リクルート事件で有罪判決を受けた元衆院議員の藤波孝生(ふじなみ・たかお)氏が二十八日午後四時二十二分、肺炎による呼吸不全のため、三重県伊勢市の市立伊勢総合病院で死去した。七十四歳。伊勢市出身。自宅は伊勢市曽祢一の三の一四。葬儀・告別式は故人の遺志で親族、近親者だけの密葬で行う。
早大商学部卒業後、実家の和菓子店を継ぎ、青年団活動に取り組んだ。三重県議を経て、一九六七年、当時の衆院三重2区から自民党公認で初当選。七九年、第二次大平内閣で労働相として初入閣。中曽根康弘元首相の側近として、八二年の中曽根内閣の発足で官房副長官、八三年の第二次中曽根内閣で官房長官に就任した。
二期二年の官房長官時代に靖国神社公式参拝や防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠撤廃などの懸案に取り組み、電電、専売両公社の民営化など、中曽根行革路線を推進した。
「将来の首相候補」の呼び声も高かったが、八九年五月、リクルートコスモス社の未公開株などを譲り受けたとして、東京地検が受託収賄罪で在宅起訴。一審無罪、控訴審で逆転有罪となり、九九年に最高裁で懲役三年、執行猶予四年、追徴金四千二百七十万円が確定した。
無所属で臨んだ二〇〇〇年の衆院選で十一回目の当選を果たしたが、〇三年十一月の衆院選を前に「健康を害して根気が続かなくなった」として政界引退を表明。リ事件をめぐっては「(自分は)事件の象徴的な人物として(人々の記憶に)残るだろうが、
事実関係として無実だと確信している」と語った。
「孝堂(こうどう)」の号を持つ俳人としても知られ、句集「神路山」「五十鈴川」などがある。
引退後、体調を崩し、入退院を繰り返し、今年八月ごろから再び、入院していた。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007102902060047.html
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