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http://www.magazine9.jp/rev/071024/071024.php
1974年10月、ザイール(現コンゴ民主共和国)の首都キンシャサでのジョージ・フォアマン対モハメド・アリのヘビー級タイトルマッチは、体力、若さともに優るチャンピオン、フォアマンが圧倒的に有利という戦前予想だった。アリの毒舌は強がりにしか聞こえず、試合が始まると、ハンマーのようなフォアマンのパンチに、アリはロープを背にして防戦一方。ラウンドが重ねられた。
しかし、結果は8ラウンド、アリの逆転KO勝ち。「あしたのジョー」みたいな派手な打ち合いを期待していた、当時小学生だったぼくには、消化不良の感が残るタイトル戦だった。
そのせいか、いまもあの試合が「キンシャサの奇跡」と名づけられ、アリのボクシングが「蝶のように舞い、蜂のように刺す」芸術品のようにたたえられても、いまいち、ぴんとこない。
この映画を見たのは、アリ賞賛の一端を知ることができるかもしれないと思ったからだ。しかし、そんな期待は裏切られた。
『アリ』は、彼がプロボクサーになってから「キンシャサの奇蹟」までを描いているものの、物語の重心は、本名の「カシアス・クレイ」から「モハメド・アリ」に改名した理由とその時代背景に置かれている。
カシアス・クレイを捨てたのは、それがアフリカ系アメリカ人の「奴隷の名前」であり、「モハメド」としたのは、マルコムXの影響からである。マルコムXは、アリが入信したネイション・オブ・イスラム教団のスポークスマンで、急進的な黒人解放運動家だった(映画では黒人公民権運動家、マルチン・ルーサー・キング牧師も登場するが、二人とも暗殺される)。
1964年にソニー・リストンをTKOで倒してチャンピオンになったアリは、その3年後、ベトナム戦争の兵役を拒否したため、それまで守り続けていたヘビー級タイトルとボクサーライセンスを剥奪される。
アリは兵役拒否の理由をこう表現した。
「ベトナム人は俺のことを“ニガー”と呼ばない」
当時のアメリカ政府は、ベトナムへの軍事介入を「南ベトナムが共産化すると、ドミノ崩しのように東南アジア諸国で次々と革命が起こり、自由主義陣営にとっての脅威となる」というドミノ理論で正当化したが、アリに言わせれば、
「アメリカが俺たち(黒人)に正当な権利と自由を保障したことがあったのか?」
裁判闘争によってアリがボクサーライセンスを取り戻すまで3年の月日を要した。「キンシャサの奇蹟」は復帰後4年目の出来事である。
試合前に対戦相手をこき下ろすアリの“ビッグマウス”の根底には、“自由な国アメリカの人種差別”に対する強い反発があったと思う。メディアに乗っただけの“おおぼら”であったら、その気まぐれなメディアによって、容易に萎まされていただろう。
アリがその後、3度も王座に返り咲いたのは、その派手な言動にもかかわらず、メディアとは一線を画していたからではないか――一連の亀田騒動を連想しながら、そんなことも考えさせられた。
(芳地隆之)
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