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破壊を求める者(後編)(復活!三輪のレッドアラート! から)
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投稿者 忍 日時 2007 年 10 月 26 日 11:53:55: wSkXaMWcMRZGI
 

いよいよ「破壊を求める者」を一区切りする話です。

先程、「破壊を求める者(中編)」のminase様へのコメント返しで、私はこんな事を書きました。

>minase様
>数回前に取り上げた祐天上人奇瑞シリーズの最後の台詞なのですが「是非を知り、邪正を分かつ、亦た中なり」という林羅山の言葉があります。
>邪悪と正道の間に横たわるものはなにか?
>それは中庸になれるか否かである。
>本来邪悪も正道も人には無い、邪悪とは過ぎて善であるか、過ぎて悪であるかであり、中庸になれないからそうなる。

>朱子学の基礎ですね。
>さて、過ぎた善や過ぎた悪・・・・。
>まあ、私には耳の痛い言葉ではありますね。
>善悪は人の生まれた時からの性、なるほどと思う事があります。
>特に自分を省みてね。

>どうしたものかと考え悩む事は多いですね。

この言葉の「過ぎた善」、これも中庸になれない原因であり、極端に走る「悪」の要素と言う訳です。
それが多数の結集した「過ぎた善」である場合はどうなるか?
社会が壊れます。日本では社会が壊れました。戦前に。

以前にクーポン選挙でイギリス自由党を破壊したロイド・ジョージのお話をしました。
彼はドイツを過度に痛めつけて国民の鬱憤を晴らしました。
その結果がナチスドイツを育てた一因でもあったでしょう。

そして第二次世界大戦を芽吹かせる憎悪の種が撒かれた。
ドイツ国民はイギリス国民に明白な敵意と復讐心を抱いた。

無用な復讐、残忍な他者への懲罰、クーポン選挙はイギリス国民に血の味を教え、国民はその毒を鯨飲し、泥酔した。
「行き過ぎた悪」「誰にも止められない悪」が敗戦に苦しむドイツの国民を更なる塗炭の苦しみの中に叩き込む。
他者の不幸無しにはイギリス国民は満足などできなかった。
対岸の島国にドイツ人の怒りが向けられて行く。
悪は悪を育てた、ナチスドイツという決して中庸になれない巨大で鋭利な悪が育って行く。

そして、そんなイギリスの国民も世界恐慌の最中で「戦勝国の先進国でありながら餓死者が出る有様」に零落する。
ロイド・ジョージの招来したカオスの余波がそうさせたのだ。
まさに「人を呪わば穴二つ」だったのだ。

その頃、日本でも1927年に有名なライオン宰相「浜口雄幸」内閣が成立する。

日本を戦争に突入せざるを得なくした、その男の時代をお浚いしてみましょう。
そこには行き過ぎた「善の姿」が見える。
(0時22分、エントリーを完成しました。)

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野口旭の「ケイザイを斬る!」 第4回 清算主義=無作為主義の論理と現実

>清算主義vsリフレ主義

>近年の経済論壇で最も話題になった書物の一つは、間違いなく竹森俊平氏(慶應大学教授)の『経済論戦は甦る』(東洋経済新報社)であろう。
>この本は、ジョセフ・シュンペーターの「創造的破壊」という考えに代表される「清算主義」と、アービィング・フィッシャーの債務デフレ論から導き出される「リフレ主義」という対抗軸を設定することによって、1930年代の大恐慌をめぐる論争と現在の日本のデフレ不況をめぐる論争の相似性を見事に明らかにしている。

ここでまた面白い名前が出てきているでしょう?
アービィング・フィッシャーです。
[ 嘘吐きは、大事な事を語らない(その1)] by 復活!三輪のレッドアラート!
[ 嘘吐きは、大事な事を語らない(その2)] by 復活!三輪のレッドアラート!

こちらで「新自由主義の上っ面の理論を作り上げた」のがアービィング・フィッシャーだと言う事は書きました。

そして、アービィング・フィッシャーの理論を不完全な形で古典経済学と無理やり連結させたのが新自由主義者であるフリードマンの功績と言う事も述べました。

アービィング・フィッシャーの理論が、結局は利子論に至り、ケインズの主張する経済学と全く変化無い理論に落ち着いたと言う事も指摘致しました。
この主張を何故みんなしないのかね?特に経済学者が・・・。
ともあれ、先を続けよう・・・。

>この竹森氏のいう清算主義とは、資本主義経済において不況が生じるのは不可避であり、むしろ不況という「破壊」を通じてこそ非効率な企業や雇用の淘汰が進み、新たな成長の基礎が準備されるという考えである。

 それを最も典型的に体現するのは、大恐慌時のアメリカのフーバーの政権で財務長官を務めていたアンドリュー・メロンによる、「労働者、株式、農民、不動産などを清算すべきである。
 古い体制から腐敗を一掃すれば価格は適正になり、新しい企業家達が再建に乗り出すだろう」という発言である。

>実際、フーバー政権は、大恐慌の最中に銀行や企業が次々と潰れていくのを静観するのみで、積極的な景気回復策を何もしようとはしなかった。
 その結果、アメリカの国内景気はさらに悪化し、失業率は遂には20%を超え、GDPは半減するまでに至ったのである。

これが神の見えざる手の正体です・・・。皆様、御理解願えますか?
そして、これが小泉・竹中政権の行った経済運営でした。
特に竹中平蔵については、このフーバー政権の経済運営の結果を知らなかった訳がありません!

>竹森氏の上記著作は、大恐慌期に各国で行われた清算主義派とリフレ派との間の忘れ去られた論争を、現代に生き生きと甦らせている。
>しかし実は、忘れ去られている興味深い人々は、そのほかにも大勢いるのである。

それを次の項で述べる・・・。
浜口雄幸政権に続く様々な日本の布教に対する対策を行った人達の成功と失敗の記録である。

濱口雄幸 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これを読めばわかるでしょうけど、彼は一代の傑物です。
勇気、人品、公正さ、清潔さ、無私の献身と、人の美質を沢山備えています。
しかし、その性格を彼は抑制できなかった様です。

「行き過ぎた善」、徳性も過ぎれば悪なのです。
彼はその属性故に清算主義と言う方法論を採用しました。
「白川の清きに魚は住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

では次に移ります。

>当時の論争を調べてみると、デフレや構造改革をめぐる現在の論争とのあまりの親近性に驚かざるを得ない。
>そのことは既に、やはり上記プロジェクトのメンバーの一人である安達誠司氏(クレディスイスファーストボストン証券会社経済調査部エコノミスト)の論考「蘇る70年前の経済論戦」(『日本経済ウィークリー』2003年2月7日)において明らかにされている。
>そこに示されているように、野口悠紀雄氏、池尾和人氏、榊原英資氏などの現代の反リフレ派経済学者たちや、首相その他の政府首脳および日銀総裁などによって語られてきた構造改革主義的=親デフレ的=反リフレ的言辞のほとんどには、昭和恐慌時の論争の中にその先駆を見出すことができるのである。

私や江田島孔明先生は「歴史は繰り返す」「歴史は循環する」と言う言葉を頻繁に使います。
私も江田島孔明先生も、ノストラダムスが諸世紀に書いたように歴史が循環する性質を持つとは思っていません。
私達は非常に暗い気持ちでこの言葉を使います。

歴史に学ばない統治者が多過ぎるほど多く、それらの統治者が民を巻き込んで「先人の失敗と同じ轍を踏む」そう言う嘆きと共にこの言葉を使うのです。
江田島孔明先生のコラムを読めばよろしい。彼は怒りを込めながらこの言葉を使っている。多用している・・・・。

筆者は、本連載第二回「『構造』なる思考の罠」において、「構造」を強調する古今の議論は、構造は根本的かつ一挙に変革する以外にはないという「根本主義」と、構造は堪え忍ぶしかないという「我慢主義」によって特徴付けられることを指摘した。近年の構造的デフレ論は、その典型である。

>私見によれば、清算主義とは、筆者のいうこの根本主義のことに他ならない。
>そして、清算主義の対となるような、筆者のいう我慢主義に対応する概念をここで新たに名付けるとすれば、それは「無作為主義」と表現するのが適切であろう。
>すなわち、清算主義=根本主義であり、無作為主義=我慢主義である。
>これは、一挙的変革を説く根本主義の現実的形態が、堪え忍んでその変革の機会をじっと待つ我慢主義であったのと同様に、清算主義の現実形態は無作為主義であったことを意味する。

>実際、古今東西の清算主義者たちの「政策提言」の内容をつぶさに吟味してみると、結局のところ、アンドリュー・メロンの「労働者、株式、農民、不動産などを清算すべきである」、堀江帰一の「不景気を最極点まで徹底せしめよ」、そして勝田貞次の「大恐慌を大いに促進したいのです」に典型的であるように、何もせずに状況が悪くなるがままにまかせよという無作為主義の主張に帰着してしまうのである。

>しかし、清算主義の清算主義たるゆえんは、むしろその先にある。
>それは、そのイデオロギーが常に、単に経済状況の悪化を無作為のままに放置せよとするだけではななく、経済状況を積極的に改善する目的で行われる政策=「作為」の一切を拒否するような、強い否定の意志を含んでいるということである。
>したがって、この局面における清算主義は、無作為主義というよりも、作為を積極的に妨害するような非・作為主義と言い表した方がより正確であろう。


>そのことは、過去においてだけでなく、今現在においても確認できる。実際、現代日本の構造改革主義者たちの多くは、デフレに耐えよと無作為を説く一方で、「小手先のマクロ政策」という作為を批判することに余念がないのである。

ノーベル賞受賞のフリードマンが「統計指標を利用した作為的な政策は有害で、一定の数式や理論による政策を継続する事が大事である」と言う主張はまさに無作為主義の権化である。
人がああだこうだと考えるよりも、神の見えざる手を信じていれば良い。
これが古典経済学派、ネオリベ、シカゴ学派全ての共通的教義である。
その結果は先に述べられている。


「労働者、株式、農民、不動産などを清算すべきである」と言うアンドリュー・メロンの無作為は「アメリカの国内景気はさらに悪化し、失業率は遂には20%を超え、GDPは半減するまでに至った」と言う結果を招いた。

>革命=体制変革としての清算

>構造改革主義を特徴付けるこのような心情は、その目指すところは正反対ではあるが、体制内での漸進主義的改革を改良主義と蔑んできた、かつての教条的マルクス主義のそれときわめて近い。

>マルクス主義にとっては、すべての体制内改良は、資本主義の延命をもたらすにすぎないがゆえに、すべからく反階級的=反動的な試みとみなすべきものなのであった。
>資本主義は、あくまでもその「再極点まで」腐朽するにまかせられなければならないのである。
>したがって、彼ら革命的マルクス主義者たちにとっての敵は、多くの場合において、ブルジョア階級そのものよりも、体制内改良を計ろうとする、こざかしい日和見主義者たちであった。
>彼らにとってみれば、ブルジョア階級はむしろ、資本主義の腐朽を押し進める「進歩的」な存在だったのである。

>同様に、清算主義者たちは、それがいかに善意の試みであったとしても、経済状況の改善を目的として行われる政策のすべてに、原理的に反対せざるを得ない。
>というのは、それは、不況の招来を先延ばしすることで、結果として「古い体制」や「腐敗」の温存に手を貸してしまうことになるからである。
>彼らの考えによれば、「健全なる資本主義」は恐慌という清算=革命を通じてのみ実現されるのであるから、恐慌の発露を阻止しようとする試みは、いかなるものであれ反動そのものであり、否定の対象でしかあり得ないわけである。

>このように、マルクス主義者と清算主義者の思考様式は、「体制」や「構造」の一挙的変革を指向し、漸進的問題解決への強い忌避によって特徴付けられるという点で、まったく相似的であるといってよい。
>そして、現実世界においても、マルクス主義者はしばしば、清算主義者として発言し、行動した。

******

その反対に清算主義者がマルクス主義者と同じ事を発言する例を提示いたしましょう。

竹中平蔵公式ウェブサイト: ◆政局マニア系◆ フリーターと新しい自民党との革命的可能性(1)

>9.11総選挙で、もっとも驚いたことは「茶髪・20代・フリーター」が自民党を応援してくれた、といわれること。

>この現象について、マスコミに出るリベラル左派は、フリーターを「負け組」と位置づけた上で、そのフリーターが「勝ち組」政治の小泉自民党を支持したことについて説明不能・思考停止状態に。

>そして、「フリーターが小泉劇場の催眠術に騙されているだけだ」「民主党もPR戦略の失敗だった」といった選挙戦術論にばかり焦点を当てているように見えます。

>そうした中で、核心に迫ってきたかな、というのが、10月25日東京新聞政治特集4面の、文芸評論家・川本三郎さんと記者さんの対談です(以下、対談からの抜粋)。

>(記 者)「市場原理優先の小泉改革は、勝ち組、負け組の社会を加速させた。その小泉改革で正規雇用は大きく減ったため、若い人はフリーターや派遣社員など不安定で低賃金の仕事につかざるを得なくなった。いわば、小泉改革の犠牲者なのに支持しています」

>(川本氏)「・・・若い世代にとって敵というのは、彼らをずっと押さえつけてきた大人で、それは団塊の世代であり、中産階級だった。それが彼らの親の世代で、若い人たちの反抗の対象になっている」

>(記 者)「自分の親たちの価値観を否定してくれるのはホリエモンを代表とする六本木ヒルズ族であり、小泉さんだということですか」

>(川本氏)「・・・今まで教えられたことの逆を小泉さんはやっている。それは若者にとって、自分の親の世代の価値観を否定することになって気持ちいいんですよ」

>(記 者)「それは単なるうっぷん晴らしですね」

>(川本氏)「・・・経済的にみれば豊かでないかもしれないが精神的には、上流階級という人たちがいるんですよ。私はその層にものすごく期待しています」


>ここには、小泉総理と若い層が「真ん中」の層をサンドイッチにして「文化大革命」をしかけている、という新鮮な構図が。

>これは「勝ち組」VS「負け組」では読み取れない対立構図。

>こうみると、フリーター=「負け組」論がそもそも間違っているとしか思えません。

>あえていうならば、「真ん中」の層が「若者=勝ち組予備軍」の台頭に歯止めをかけ、それを突破しようとし、小泉総理がその先頭に立っている。

>20代自身の「9.11総選挙総括」が期待されるところです。

竹中平蔵公式ウェブサイト: ◆政局マニア系◆ フリーターと新しい自民党との革命的可能性(2)

>フリーター=「負け組」ではないとらえ方のヒントになりそうなのが、パソナ代表の南部靖之さんの日経新聞10月21日「ご異見拝聴」インタビューでの以下の発言。

>「正社員が安定した雇用で一番常識的な働き方という考え方は、20年後にはひょっとしたら非常識になっているかもしれない」

>「フリーターのような立場なら本当の意味で一生涯の終身雇用が可能だ。だから今は不安定といわれるフリーターが安定した働き方になる」

>「働く者から見た豊かさは、お金以上に自分の夢の達成や自由な環境で仕事することにある」

>「人がいるところに会社や仕事がやって来る。突き詰めていえば雇用という概念がなくなる」

>「映画を制作するときのように、決まった期間だけ人やお金が集まり、終わったらぱっと解散する。僕はそれを『オーディション型雇用』と呼んでいる」

>フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!

>これこそ、一般常識を180度ひっくりかえす革命的発想といえるでしょう。これなら確かに、フリーターが自民党を支持してもおかしくない。


>マルクス・エンゲルス「共産党宣言」の「ルンペン・プロレタリアート階級」観的偏見の遺伝子を引継いだ「フリーター=負け組」論で思考停止に陥りつつ、自らは規制やみえざる障壁で身分を守られ実力以上の生活水準を謳歌している「労働貴族」は、「雇用概念の消滅」という表現におののくことでしょう!

>近い将来、新しい自民党は以下のような「宣言」(DAS MANIFEST)を出す日が来るかもしれません。

>「フリーターは、『夢』以外に失うものを持たない。
>彼らが獲得するものは『成功』である。全国のフリーターよ、自由民主党のもとに結集しよう!」

革命なんて言葉を口にする保守は居ない。

>(川本氏)「・・・今まで教えられたことの逆を小泉さんはやっている。それは若者にとって、自分の親の世代の価値観を否定することになって気持ちいいんですよ」

>(記 者)「それは単なるうっぷん晴らしですね」

>(川本氏)「・・・経済的にみれば豊かでないかもしれないが精神的には、上流階級という人たちがいるんですよ。私はその層にものすごく期待しています」

>ここには、小泉総理と若い層が「真ん中」の層をサンドイッチにして「文化大革命」をしかけている、という新鮮な構図が。

わかりますかね?こう言う連中がネット右翼と言われる「アノミーの申し子」の正体なんですよ。
例の野獣すばるとか言うアニメ忍者の正体と言う訳です。
多分、彼も清算主義者なんですよ。

さて次です。(このエントリー長いですよ。凄く長いですよ。)

>日本の清算主義的マルクス主義者たち

この項目では、日本の経済学者にマルクス主義者が多数入っており、それらの行動は必ず清算主義者としての行動だったと書かれています。

>最も典型的なのは、戦前の日本を代表する経済学者であり、同時にマルクス主義者であった河上肇(京都帝国大学教授)である。
>その河上は、昭和恐慌期においては、現実に行われつつあった蔵相・高橋是清によるリフレ政策を最も手厳しく批判し、リフレ派の領袖であった石橋湛山と果敢に論争を行うような、徹底した清算主義者であった。

>それは、マルクス主義者たる河上にとっては、不況は資本主義の必然であり、不良事業を温存するにすぎない不況対策は無意味だからである。
>さらに、金本位制は資本主義にとって不可欠であり、その廃止は資本主義の枠内では不可能だと考えられるからである。

普通の感覚の人はもう気が付いているでしょう。
竹中平蔵が何故任期の間にあのような振る舞いをしたかを。
彼はマルクス主義者だったのでしょう。言動からも明らかです。

>若田部氏の上記論考は、マルクス主義者の思考様式が、本質的に清算主義的であり、かつ無作為主義的であることを示す、もう一つの事例を挙げている。
>それは、日本の代表的マルクス経済学者であった大内兵衛(東京大学教授)によってなされた、いわゆる証券不況期(1965年)における座談会発言である。
>あまりにも典型的なので、以下にそのまま引用しておこう。

>「もちろん、放っておけば、恐慌(クライシス)がいま起きるということはあり得る。多少の出血はある。それは原因があるのだから、起こるのはしかたがない。過剰の生産設備は恐慌によってその設備の一部を破壊すればよい。それが出血であるが、これによって旧式な、不生産的な設備がつぶれればあとはよくなる。それ以外にそれをなおす方法はない。そこで恐慌が起こるなら、いま起こしたほうがいい。それは将来起こらねばならない恐慌と比べれば、小さな恐慌で済むからだ。原因がある以上、熱は抑えない方がよい、輸血もしない方がよい。自然療法がいちばんよい」。

さて、我々ケインズ学派の者達に対して、ネット上の無知な小僧どもが垂れる悪口雑言に「お前達は計画経済を信奉する社会主義者だ!」と言う定型句がありますね。
笑わせてはいけません。マルクス学派こそは無作為を奨励するのです。

資本主義経済が「不況と好況を繰り返す頼りない経済形態である」と決め付けているが故にその様な態度を取るのです。
「異教徒が困窮している時に、正しい信仰の持ち主は無視する」と言う、野蛮で支配が大好きな宗教そのものの考え方です。
邪宗門のやり口です。

>清算主義の「プチ清算主義」としての現実

>ところで、清算主義の勇ましい掛け声とは裏腹に、その現実の末路は、情けなさに満ちているのが常である。

>大恐慌が起きた当初、上記のアメリカ、日本、ドイツも含めた多くの国々は、その危機的な状況の中で、むしろ経済的収縮を増幅させるような、緊縮的なマクロ政策を発動した。
>1930年1月11日に実施された日本の旧平価金解禁は、その典型的な例である。
>それらの政策が、恐慌を押し進めることで腐敗を一掃し、資本主義の健全性を取り戻すという、清算主義的な理念を背景として行われたものであったことは、いうまでもない。

>しかし、その後の経済状況の急激な悪化の中で、当初の清算主義は、企業や銀行の個別的な救済や延命に奔走する、リフレ政策なき「プチ清算主義」に堕していく。

MouRa|宮崎学、直言|宮崎学責任編集「直言」 2006.06.25
第10回「失われた5年−小泉政権・負の総決算(4)」

これと同じ事です。小泉も竹中も、清算主義の行く末を知ってはいたのでしょう。
言い訳できない大事の直前に、方向性を180度転換しました。

この後の醜態については、本文をお読み下さい。
皆様知ってのとおりの展開ですので、ちょっとしたおさらいと言う事でね。
次です。

>清算に熱狂する人々


>ところで、きわめて滑稽であると同時に悲劇的なのは、現実世界においては、清算主義の言説やスローガンは、しばしばメディアや一般大衆の側における過剰なまでの支持を取り付けがちであるということである。

>その点において最も典型的だったのも、やはり浜口雄幸=井上準之助の旧平価金解禁断行コンビであった。
>1929年に成立した浜口雄幸内閣は、その年の8月に、金解禁と緊縮財政に対する国民の理解を得るため、1300万枚の宣伝ビラとラジオ放送を用いて、大宣教活動を行った。
>巷ではその後、「金の解禁立て直し、来るか時節が手を取って」という歌詞の金解禁節が流行し始めることになる。
>また、かねてから「旧平価による金解禁の即時断行」のキャンペーンを行っていた『大阪毎日新聞』、『大阪朝日新聞』といった当時の大手メディアも、浜口内閣による旧平価解禁を諸手を挙げて歓迎した。
>そして、その紙面において、さかんに政府方針支持の論陣を張った。

当時からマスコミが政府を後押しして清算主義を称揚していたと言う事です。
ミスリーダーはこの当時から「毎日」と「朝日」です。
この二紙は日本の疫病神と言って良いのではないでしょうか?

>この浜口=井上の緊縮断行路線に対し、当時の一般大衆がいかに熱狂したかについては、有名な逸話がある。
>井上準之助は、旧平価による金解禁の実施にあたり、日本全国を行脚し、旧平価解禁をテコとした「痛みに耐える」緊縮政策の必要性を説いてまわった。
>その井上の演説を聴いていた一人の老婆は、感激のあまり、井上に向かって賽銭を投げたというのである。
>小泉政権発足当初の、マスメディアや一般世論の「小泉フィーバー」ぶりを彷彿とさせる逸話である。

>実際、小泉政権の誕生時には、メディアの多くが、あたかも政権の広報誌であるかのように、「痛みに耐える構造改革」の必要性を説いていた。
>とりわけ、小泉首相個人の人気はすさまじく、ブームの頂点であった2001年5月から7月にかけては、20冊以上もの「小泉本」が出版された。
>まさしく、「金解禁節」で人々が踊った浜口雄幸内閣の成立時に比較されるべきフィーバーぶりだったわけである。

おわかりでしょうか?
つまり、「痛みに耐える」と言うスローガンは、戦前から既に日本人の徳性、善性に訴える力を持つと理解されていた訳です。


「大きな、大き過ぎる善の力」が浜口内閣を支持したと言う事です。

>世間知と歪んだ道徳感情の混淆


>清算主義の持つこうした強烈な訴求力は、実に深刻かつ破壊的である。
>というのは、これまで明らかにしてきたように、清算主義はほぼ常に、無作為主義、すなわち経済状況の悪化を無為に放置することを正当化するイデオロギーとして作用し、実際にそのような役割を果たしてきたからである。


>もちろん、上述のように、現実における清算主義は、やがては、個別救済を伴うプチ清算主義として、幾分かは無害化されるのが常である。
>しかし、清算主義そのものは、人々の経済生活を破壊するような政策に積極的な意義を見出そうとするような考え方であるから、それがそのまま現実化し続けた場合の危険性は、まさに計り知れないのである。


>問題は、人々はなぜここまで、破壊を説く考え方に魅せられるのかである。
>私見によれば、そこには二つの要素がある。
>一つは、「良薬は口に苦し」というような格言を安易に経済問題にあてはめてがちな、経済についての一見もっとらしい「世間知」である。
>そしてもう一つは、清算主義の持つ、一見すると道徳的な装いである。

さて、題名の核心に迫って来ましたかね?

皆様、思い出していただけませんかね?
小泉内閣では「米百俵」と言う話をはじめとして、沢山の世間知を取り出してきては頓珍漢な当て嵌めを行って来ました。

教育を削ろうと言いながら米百俵の喩えを引き合いに出すなど、わざとやってるのでなければなんなのでしょうかね?

小泉純一郎はわかっていてやったのだと思います。
「こうすれば人の良心や善性を引き出せる」
「そしてその良心や善性を盾に反対勢力の反論を押し込め、自分達の好きな様に日本を解体してやろう」

私は彼がそう言う魂胆で様々な世間知を引き合いに出して来たのだと思っています。
わかりやすく説明して、その説明は全てミスリード、それが彼のやり口でした。


>竹森俊平氏の上記著作が、その問題に関する現代的研究を紹介することによって指摘しているように、「経済成長のためには不況が必要である」といった清算主義命題=シュンペーター・テーゼが現実に妥当してるような証拠はほとんどない。
>現代的研究が明らかにしているのは、むしろその逆であり、不況は単に資源の一時的遊休をもたらすだけでなく、経済の将来的な生産能力そのものも低下させるということである。
>それが、この問題についての、現時点における「専門知」である。
>にもかかわらず、多くの人々は、「明るい将来」のためには、現在の「苦しみ」や「痛み」が必要だと信じて疑わないのである。

救われない事夥しい。

>清算主義のもう一つの魔力は、それに常にまとわりついている「苦しみ」や「痛み」という我慢主義のスローガンが、しばしば人々の道徳的感情を呼び起こしがちだという点にある。

>とはいえ、その「道徳」を額面通りに受け取るべきではない。
>というのは、多くの場合、その道徳的感情の実態は、自らを律するという本来の意味での道徳というよりは、「バブルに浮かれていい思いをしていた連中」に対する庶民的反感あるいは妬みといった方が正確だからである。

>おそらく、この「道徳」の本質を最も鋭く見抜いていたのは、金解禁論争において「新平価解禁四人組」の一人として名をはせ、石橋湛山や高橋亀吉の朋友として活躍した山崎靖純であろう。
>これも、上記の若田部論文に紹介されている文章であるが、山崎は、旧平価金解禁を通じた財界整理論の背後にあるであろう感情を、以下のよう言い当てている。


>「苦しむがよいのである。日本の財界は戦時以来あまりに不真面目すぎた。だから大いに苦しんで其処に始めて財界の合理化が実現されよう」。

>おそらく、この山崎靖純の表現は、「戦時以来」を「バブル以来」に、そして「財界」を「銀行やゼネコン」に替えれば、現代日本にそのまま通用するのではないだろうか。

******

御拝読ありがとうございました。
三輪から申し上げる事はこの場では後僅かしかありません。

我等愚かな日本人は、戦前の轍を見事に踏み、今日悪意ある宰相の統治は終わったものの、彼の日本解体の作業はなおも後継者によって進行中であり、今日も外国、あらゆる外国が腸を引き摺り出された日本の傷口に邪悪な牙を打ち込んでいる所です。

日本の余命はあと何年なのか、今の私にはわかりません。

今回私は日本の今に至る裏側の事情を説明致しました。
表層だけではなく、その根底に横たわる事象を看破する事が必要かと思ったからです。

深層を理解した上で、今からでも遅くないと信じ、それらに対する対策を練らねばなりません。

そしてここで平和を真に望む方々に一言申し上げておきたい事があります。
日本が戦争に踏み切ったのは、この様な失政の後、日本が以前の健全な経済を取り戻せず、満州国に巨大な工業地帯、今に至るも中国がその生産の中心施設として利用している工業地帯を建設しながら、それを放棄するようにアメリカから求められた為です。

満州国の工業地帯を放棄すれば、日本の経済は立ち直れない打撃を受け、国威は失墜し、アノミーの増大で日本国内は滅茶苦茶になってしまった事でしょうから。

その事を最も良く知っており、議会でその様に発言したのは、他ならぬ対日戦争の最高責任者マッカーサー元帥でした。
Web版「正論」・Seiron マッカーサー米議会証言(原文)

これは米国の公文書としてマイクロフィルム化されて保存されています。

日本は浜口内閣の失政から立ち直れず、国民を幸福にしようとして満州国に莫大な投資を行い、ケインズ政策を実行しようとしていたのです。
当時の友邦ドイツがケインズ政策で超インフレの地獄から抜け出て、経済を見事に再建した事を見た上での行動でした。

当時の満州国への投資は莫大でした。
それを手放すと言う事は、再起不能に近い不況に転落すると言う事を意味していたのです。
日本は軍国主義ゆえに戦争を行ったのではないと言う事です。

あれでも国民を守ろうとしていたのですよ。
歴史を知って下さい。
東条英機は独裁者だと言われていますが、彼を罷免したのは帝国議会でした。
議会に罷免される独裁者など居ません。
嘘の歴史は信じない事です。この言葉だけは虚心に聞いて頂きたい。

それにしても金持ち喧嘩せず、良い言葉です。
平和を実現したいならば、富国富民を心がけるべきですね。
その為の処方箋が共産主義では無い事も今回説明致しました。
現在のむき出しの資本主義でもない。
かつての自民党やヒトラーが行った、徹底的かつ妥協の無いケインズ政策こそが正しい、そう私は信じています。

歴史はそう語っているのですから。
まだまだ・・・やり直す方法はある。

天国に行く方法は幾つかあるでしょうが、地獄の手前まで来た時に、その反対に引き返すと言う方法もその一つでしょう。
希望を失わない様にしましょう。

先祖先人の遺産を騙し取られたとしても、その後に子孫後輩が稼ぎなおす事も出来るはずです。
それができないのならば、どの道没落するしかありません。

心を強く持ちましょう。私はまだまだ日本はやり直せると信じています。
皆様もそうであればと願っています。

ではこのエントリーはこれで終わります。
続きはまた書くかも知れません。でも、今回はこれまで。

長い連作エントリーでしたが、皆様の御拝読に感謝して、これで一旦筆を置きます。
ありがとうございました。

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