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東京では爽やかな秋晴れが続いている。秋はこうでなければならない。政治の目的は、“爽やかな秋晴れのような社会”をつくることだと私は考えてきた。長い間政治家として生きてきて、政治家ができることなどそんなに大したことではないと考えている。政治家がすべての問題を解決することなどできない。政治家がやらなければならないことは、行政や経済や社会がうまく機能するような仕組みと気風を作ることなのである。
目立ちがり屋の政治家は、いつの時代にもいるものである。そのような政治家の特徴は、やけに張り切っていることである。肩に力がいつも入っている。どんな問題も自分が必ず責任をもって解決するという。自分が庶民の味方として快刀乱麻、悪い奴を退治するという姿勢を示す。そうすると庶民は拍手喝采する。マスコミもそのような政治家をもちあげる。本人はますます元気になる。しかし、この世の森羅万象すべてを政治家が管理することなどできないのである。政治家はそんなスーパーマンではない。
自由主義社会の政治は、いろいろな問題を公正な競争を通じて解決しようという考えである。公正な競争が行われるようにシステムを作っておくことが政治の責任なのである。公正な行政が行われるかどうかも同じような考えで行わなければならない。どのような仕組みを作っておけば、役人が公正かつ国民の気持ちに配慮する行政が行われるかを考えるのが政治家の責任である。個別の案件に政治家が出張っていって、大岡裁きをすることが政治家本来の役目ではない。
福田内閣で際立っている大臣は、ゴキブリ大臣の舛添氏と三白眼大臣の石破氏であろう。舛添氏をゴキブリ大臣と呼ぶのは、彼の過去の行状や性格を私は知っているからである。ゴミ処理は確かに厚生労働省の所管だ。舛添氏はゴキブリと一緒になってゴミで人気を博そうとしている。それで安倍改造内閣の支持率を10%上げたと本人はますます気を吐いている。ゴキブリと同じようにゴミほど良い物はないと思っているようだ。福田首相は期待して再任をしたのだろう。産経新聞に「舛添氏ピンチ 民主が年金と薬害肝炎で攻勢」との記事がある。これは一見した方がよい。
福田首相が新テロ特措法の審議にはこの人ほどの適任者はいないと踏んだのが石破氏である。私が石破氏を“三白眼”大臣というのは、彼の一種独特の表情と語り口を指して昔からことをそういっているのだ。“三白眼”がどういうことをいうのか、本当は正しくは知らない。広辞苑によれば、三白眼とは「黒目が上方にかたよって左右と下部の三方に白目のあるもの」とのこと。石破氏の目が本当にそうなのか今度ジックリと見てみよう。
防衛問題に関しては、石破氏も張り切っている。目立ちがり屋だ。自分ほど防衛問題に詳しい者はいないと思っているようだ。あの表情と語り口がなんとも好きになれない。過日電車の中で、週刊『プレーボーイ』の中吊り広告に「石破大臣プラモデルを語る」とかいうものがあった。彼の防衛問題の知識を端的に象徴しているようではないか。彼の防衛論はその程度のレベルなのである。しかし、福田首相はこんな人が頼もしいようである。福田首相のレベルも判る。
守屋武昌前防衛事務次官の業者との癒着が大きな問題となってきた。この問題は福田内閣の命取りになるような気がする。防衛庁や警察庁では、こういう疑惑は絶対にあってはならないことなのである。他の省庁とはちょっと違うのである。防衛や治安をあずかる組織の根幹を揺るがす問題なのである。国家公安委員長をした者として、そのことはよく知っている。警察庁長官にもし同じような疑惑があったら、警察の権威と信頼は失墜する。防衛事務次官は、警察庁長官と同じ立場なのである。
石破氏は、前守屋事務次官と深い付き合いがあったと思う。このようないかがわしい人物を防衛庁の幹部から排除できなかったことに石破氏は責任を免れない。冒頭に書いたような「政治家がやらなければならないこと」とはこういうことなのである。いかがわしい人物には“一種独特の臭い”があるものである。その臭いを嗅ぎ取ることができなくては政治家ではない。政治家にとっていちばん大切なことは、“人間をみる目”なのである。政治家は「人間をみるプロ」でなければならない。兵器をプラモデルと同じような感覚でみているから、“人間をみる目”が育たないのである。防衛大臣としては失格なのである。
それでは、また明日。
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