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http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10052203205.html から転載。
2007-10-23 09:18:31
gataro-cloneの投稿
<帰還すれば「臆病」「国賊」の誹りが待つ>美しくない「特攻」の実相/なぜ「特攻」は生またのか
テーマ:戦争責任(歴史)
1944年10月20日に航空特攻作戦が発令され、フィリピンのレイテ沖海戦で爆弾を搭載した24機の零戦による“神風特別攻撃隊”が出撃したのは10月25日のことだった。あれから早63年の歳月が流れようとしている。
先日(10月21日)、NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還 〜陸軍特攻隊の悲劇〜」(http://www.nhk.or.jp/special/onair/071021.html)が放映された。10月25日の海軍による「特攻」出撃に続いて陸軍も「特攻」作戦を敢行していくことになるのだが、学徒出陣した「特攻兵」を死地に追いやるために用意されたのは練習用のオンボロ機だった。当然ながら「特攻」に失敗し帰還する「特攻」機が多数出てくる。
帰還した「特攻」兵たちが収容されたのが「振武寮」。そこで彼らは横柄に机の上に足を投げ出した参謀から「なぜ生きて返ってきたか」と「臆病者」「国賊」の嘲笑を浴びかけられた。
自分こそのうのうと生き長らえておきながら、その参謀はインタビューで「なぜ『特攻』機はオンボロだったか」の問いに「天皇直卒の部隊に新鋭機をまわしたから、『特攻』にはオンボロ機しかまわせなかった」と、どうせ死ぬのに新鋭機は必要なかろうとばかりに昂然と言い放ったのだ。
安倍前首相をはじめ自民党「靖国派」が憧れ、回帰を求めて止まない「美しい国」の正体が暴かれた瞬間だ。こんな国(大日本帝国)に未来がなかったのは当然だ。
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戦争の実相を研究し続ける戦史研究家・森本忠夫さんとの「しんぶん赤旗」月曜インタビュー(10月22日付・学問文化欄)を以下に転載する。
<月曜インタビュー>「特攻」はなぜ生まれたのか/痛哭の青春、戦争の実相を暴く
戦史研究家・森本忠夫さん
日本はなぜ無謀な戦争(アジア・太平洋戦争)に突き進んでいったのか、組織的自殺攻撃・特攻はなぜ生まれたのか。痛恨の死を強いられた四千人の日本の若者にたいして「以て瞑(めい)すべし(安らかに死ぬ)などという言葉を使うことができようか」と厳しく語る戦史研究家の森本忠夫さんは、綿密な調査と論理で戦争の実相を暴き出します。『特攻』『マクロ経営学から見た太平洋戦争』(『魔性の歴史』)などは、くり返し再版、文庫化され、外国からの取材も多い。
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「昭和十八年十二月、私は十八歳で戦争に行きましてね。敗戦まで約千人の同期生を失いました。十七歳から二十四歳までの若者ですよ。私たちの青春は痛哭(つうこく)の青春でした。日本という国は一体、どういう国だったのか。戦争一色に塗られたこの国の近現代史とはなんだったのかということで、戦史の研究を始めたわけです」
日本の近現代史
正確に読み解く
書棚を埋めているのは、『公刊戦史』といわれる防衛庁防衛研修所戦史室編纂の戦史叢書百二巻。
「これ全部読んだ人は一人もいないでしょう。この中には日本の近現代史を正確に読み解くための情報が詰まっています。それとアメリカ、イギリス、オーストラリア、さらにソ連の公刊戦史や戦闘報告を集めました。アメリカは戦闘ごとに分析されたアクション・レポートをまとめ、将校に読ませています。異なった見解や評価も含めて紹介し、その後の戦闘の参考に供している。このような情報提供は日本の軍隊にはなかった。あったのはウソで固めた大本営発表だけです」
ついと立ち上がり、コピーの束をもってきます。「私の家の二階に膨大なマイクロフィルムから翻訳したコピーがあります。二十万ページはあるでしょう。今とりかかっているのは、アメリカ陸軍航空隊公刊戦史です、七千ぺージあります。これと日本側の記録を照合して原爆を含め日本本土を壊滅に導いた『戦略爆撃』の非人間性をてっけつしようと思っています。『ガダルカナル勝者と敗者の研究』もその一つ。今まで上梓したのは二巻ですが全部だすと十巻にはなるでしょう」
ある研究会で、一人の若い研究者が上海の中央公園にあった「犬と中国人は入るべからず」と書かれた看板はもともとなかった、ウソの看板だと発言。その場にいた森本さんは、看板は間違いなく存在していたと指摘し、でっちあげられた伝聞をたしなめたといいます。
森本さんは上海海軍航空隊に在籍し、その看板の存在をよく知っていたのです。こうしたこともあって、「近現代史の総まくり」を決意、「ついに憲法改正までいこうとしているのだから」と語ります。
「明治の為政者は、明治四十年に、以後昭和の敗戦の導火線となった『国防方針』を決め、そこで日本の進路を方向づけた。陸軍は『南守北進』、海軍は『北守南進』を拡張主義のロードマッブとして十二度に及ぷ戦争に向けて驀直(ばくちょく)前進した。大蔵省の『財政史』をみてもわかるように、陸軍と海軍は何らの軍事科学的根拠もなく軍事予算をほぼ三十八年間にわたって半分ずつに分け合っている。戦前の、日本は陸軍と海軍に分裂した双頭の鷲(わし)だった。日本の国家戦略は別々の方向に敵を求めて結局はすべてを敵に回していたということです」
たとえば、“玉砕”を続けている主戦場の太平洋戦域より、中国に侵攻している陸軍への軍事費が数段多いという数字をあげての著書は衝撃的です。
復興担う若者を
死の道連れに…
七月に公開されたドキュメンタリー映画「特攻」にも出演している森本さんには、特攻隊の悲劇の下部構造となった物質的基礎、組織的自殺攻撃の非道性への怒りも大きい。
「フィリピンで発動された特攻の戦果を軍令部が天皇に報告したとき、天皇はよくやった、しかしそこまでやらねばならなかったのかといわれたものの、やめろとはいわれなかったといって“二〇一空”の飛行長中島正少佐は絶句したという話を聞きました。特攻は最後にスピードの遅い空戦能力のない練習機まで動員した。敵を攻撃するという正攻法は捨て去られ、死ぬことが自己目的になっていた。これは戦争じゃないですよ。奇跡的に今日に生き残った元特攻隊員の中には今も精神の後遺症にさいなまれている人がいます」
.終戦の翌日に若い塔乗員を引き連れて沖縄特攻に「出撃」した第五航空艦隊司令長官宇垣纏(まとめ)中将のことにふれます。
「なぜ、崩壊した戦後の日本を立て直すべき若者を死の道連れにしたのか」
展望のない指導者が支配していた軍国日本の現実。言葉の端々に、怒りとも悲しみともつかない思いがにじみます。
(牛久保建男)
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もりもと・ただお 1926年生まれ。戦時中に海軍航空隊員として従軍。京都大学経済学部卒。東レに入社。ソ連市場を開拓し、ソ連・東欧のエキスパートとして知られます。その後東レ取締役、東レ経営研究所社長をへて龍谷大学教授(1999年まで)。主な著書に『ニッポン商人赤い国を行く』『さまよえるロシア』『敗亡の戦略』『破局への戦略』『貧国強兵』他。
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